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.政治  投稿日:2022/11/9

リハビリ農園の可能性(上)「高岡発ニッポン再興」その37


出町譲(高岡市議会議員・作家)

【まとめ】

・新藤悠子氏は、地域に開かれた病院を目指す「ひかりプロジェクト」を推進している。

・その一環として、病院の敷地内に「みんなの畑」がオープン。

・さらに、驚くべき行動力で、リハビリとして園芸療法を取り入れた。

 

病院の敷地内に5月にオープンしたばかりの農園がありました。その名も「みんなの畑」です。そこに、子どもから高齢者まで数多くの人が集っていました。車椅子や、歩行器を使う人らが思い思いに、農園の野菜や花などに手を入れています。入院患者やデイサービスで通う人だけでなく、地域の人も集っています。植えてあるのは、野菜やハーブなどです。収穫もすれば、植え付けもする。作業をせず、車椅子で目を細めながら、佇む人もいます。そこにいること自体が、幸せそうです。みなさん笑顔で、会話しています。

ここは、富山県高岡市ある光ケ丘病院です。この病院の職員数は370人あまり。病床が177ある大きな民間の病院です。医療、介護、福祉、予防医学まで幅広く手掛けていますが、なぜ農園があるのでしょうか。

生みの親は、リハビリテーション科新藤悠子氏(45)です。

今までの病院のイメージは暗いものでした。老人だけ、最期を迎えるためというイメージです。それを一新したいのです。病院を地域に開き、子どもにも若者にも高齢者にも居心地のいいところを目指しています。その一環が農園なのです」

農園では、木の板で覆われた花壇のようなものが2基ありました。そこに土が入れてあります。地面から高い位置で栽培ができる「レイズドベッド」です。この2基は高さが違います。車椅子を使う人や歩行器の人がかがまずに作業ができるのが特徴です。トマトやパプリカ、マリーゴールド、ハープなどが植えられています。また、畑の間にはゴム製のマットが引いてあります。車椅子が歩きやすくするためです。

新藤悠子氏は、この光ヶ丘病院の理事長、笠島學の娘です。慶應病院に勤めていましたが、2年半前に、夫で、同じくリハビリテーションの専門医の新藤恵一郎氏と一緒に、高岡に戻ってきました。長女と長男も連れてのUターンです。

新藤悠子氏は帰郷以降、高齢者の病院というイメージを変えるため、さまざまな取り組みを行っています。それは、地域に開かれた病院を目指す「ひかりプロジェクト」と呼ばれています。

そのうちの一つは、音楽療法です。施設利用者のリハビリに、地元鋳物メーカー「能作」の風鈴を使っています。それぞれ音が違う真ちゅう製の風鈴8個を木の棒にぶら下げた楽器です。脳卒中などで麻痺のある人などを想定しています。

音楽は単に耳で聞くだけではなく、叩いた後の振動が伝わってくるため、リハビリには重要だというのです。

また、臨床美術も採用しています。それは、独自のアートプログラムに沿って、絵やオブジェなどを楽しみながら創作するもので、作品づくりに上手い下手はありません。患者は、心の中にある想いを、創作活動にぶつけることによって、心が解放されます。その結果、脳が活性化し、高齢者の認知症予防にも役立つといいます。

新藤は2021年から、リハビリの一環として、園芸療法を取り入れていました。もともと畑仕事をしていた高齢者の人が多く、土いじりをすると、元気になると考えたのです。そして、この園芸療法が新たな局面に入りました。病院の敷地内の空きスペースで農園がつくられたのです。きっかけは新藤がある講演を聞いたことです。

「これだと思いました。『農業は甘くないよ』と言われていましたが、講演を聞いてできると思いました。農園では、五感に触れて、作業ができます。リハビリにうってつけなのです」。

驚いたのは、その決断から実行までのスピードです。1月に講演を聞き、すぐにその講師に連絡を取り、3月3日、改めてセミナーを開催。5月に農園が誕生したのです。

ここは、1500平方メートルの敷地があります。隣りには、同じぐらいの広さのスペースか空き地のままあります。

片方は農園、片方は空き地。双方を比較すると、簡単に風景が変わったことがわかります。

新藤悠子氏に火をつけた講師は、北海道拓殖大学招聘教授の飯尾裕光氏です。飯尾氏は従来の農業の概念を打ち破る手法を導入しました。それは、リハビリ農園にとどまらず、日本の都市計画が大きく変わるきっかけとなるやり方です。

(下につづく)

トップ写真:新藤悠子氏(左)筆者提供




この記事を書いた人
出町譲高岡市議会議員・作家

1964年富山県高岡市生まれ。

富山県立高岡高校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。


90年時事通信社入社。ニューヨーク特派員などを経て、2001年テレビ朝日入社。経済部で、内閣府や財界などを担当した。その後は、「報道ステーション」や「グッド!モーニング」など報道番組のデスクを務めた。


テレビ朝日に勤務しながら、11年の東日本大震災をきっかけに執筆活動を開始。『清貧と復興 土光敏夫100の言葉』(2011年、文藝春秋)はベストセラーに。


その後も、『母の力 土光敏夫をつくった100の言葉』(2013年、文藝春秋)、『九転十起 事業の鬼・浅野総一郎』(2013年、幻冬舎)、『景気を仕掛けた男 「丸井」創業者・青井忠治』(2015年、幻冬舎)、『日本への遺言 地域再生の神様《豊重哲郎》が起した奇跡』(2017年、幻冬舎)『現場発! ニッポン再興』(2019年、晶文社)などを出版した。


21年1月 故郷高岡の再興を目指して帰郷。

同年7月 高岡市長選に出馬。19,445票の信任を得るも志叶わず。

同年10月 高岡市議会議員選挙に立候補し、候補者29人中2位で当選。8,656票の得票数は、トップ当選の嶋川武秀氏(11,604票)と共に高岡市議会議員選挙の最高得票数を上回った。

出町譲

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