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.政治  投稿日:2023/4/18

「仕事という戦場で戦う」マラソンを始めた理由 「高岡発ニッポン再興」その70


出町譲(高岡市議会議員・作家)

【まとめ】

・11月5日に開催される富山マラソンのエントリーが始まった。

・富山マラソンのメリットは、富山最大の観光資源である自然をアピールできること。

・小さな子供から、お年寄りまで沿道に出て応援。富山に一体感が生まれるという効果も。

今年も富山マラソンのエントリーが始まりました。私は参加するつもりです。去年は、途中で棄権しましたが、今年こそなんとか完走したいですね。

思えば、初めて参加したのは、2016年です。私は当時テレビ朝日報道局勤務。私自身にとって富山マラソンは大きな挑戦でした。

亡妻に、出場を宣言したのは、富山マラソンの半年前でした。妻は「40キロなんて無謀よ。やめた方がいいよ」と反対しました。

それもその通りです。私は高校、大学とラグビーをやっていましたが、卒業後、あまりスポーツをせず、忙しい日々を送っていました。とりわけ、その当時、極度に不摂生な生活でした。8年以上にもわたる報道ステーションでは、ニュース全体の責任者でした。100人以上のスタッフに仕事を指示。緊張感をもって仕事をしていました。番組終了後、深夜12時からの会食。番組構成に関して、喧々諤々の議論をして、2軒目に行けば、早朝帰宅となっていました。時には当時、キャスターだった古舘伊知郎さんも交えての懇談でした。

その後、異動した早朝の番組「グッド!モーニング」。週に2回ほど徹夜の30時間連続勤務をこなしました。一睡もしない状態で、ニュース番組の陣頭指揮をとっていたのです。

しかも、会社も仕事以外でも、個人的な仕事でフル稼働でした。取材や原稿の執筆に追われたり、地方講演したり。本を執筆し、作家としてデビューしていたのです。自分でもよくあれだけ仕事ができたなと思うぐらいハードな時間を過ごしていました。一方で、体はたるみ切っていました。

そんな時、当時、親しくしていた幻冬舎社長の見城徹氏が私に強烈な言葉を投げつけたのです。「孤独なトレーニングを終えた時には、肉体だけでなく精神までもが鋭く引き締まる。体がたるんでいる状態では仕事という戦場では戦えない」。週に5回程度ジムで鍛えぬいている見城氏にとって、戦うための最大の武器は体だという主張です。

私はその話に妙に納得したのです。そうだ。体を鍛えぬくことこそが、仕事の一段の飛躍にもつながるのではないか。

そして、「無謀な」マラソンへの挑戦が始まりました。まずはゆっくり走ることから始めました。1キロ走っても、「ぜえー」「ぜえー」と肩を落として、しゃがみ込んだのです。徐々に、走行距離を伸ばしました。出張に行っても、シューズを持参し、練習しました。そして体重を7-8キロ減らしました。体が軽くなると、格段と走りやすくなります。毎日走るようになり、直前には、20キロまで到達したのです。

さて、本番です。快晴の中、風の音を聞きながら走るのは、至極の贅沢でした。新湊大橋から見る、真っ青な日本海。青空にくっきりと浮かび上がる立山連峰。空気も澄んでいました。出発点は、わが母校高岡市立志貴野中学の近くで、大仏通りの実家の前も通りました。なじみ深い土地も、いままで車で通りすぎただけの町も、自分の足で踏みしめると、違った風景に見える。

初めてのマラソンをなんとか完走できました。タイムは5時間20分55秒。総合順位は6880位。1万2041人の参加なので、半分ぐらいの順位でした。ただ、完走だけを目標にしていた自分にとって上出来だったと思いました。

ご当地マラソンというのは、経済効果を期待しています。確かに、多くの県外客が宿泊し、お金を使いました。富山最大の観光資源である自然をアピールできたのは、大きなメリットです。

ただ、それとは別に、富山に一体感が生まれるという効果も大きいのです。コースは富山、高岡、射水の3市だけなのだが、県内各地からもたくさんの人が参加しています。こうした参加者が「頑張れー」「頑張れー」の声援を受けるのです。小さな子供から、お年寄りまで沿道に出て応援してくれます。この声援があったからこそ、私は途中で退場する気にはなれませんでした。今年もこの一体感を味わいたいですね。

トップ写真:2016年、富山マラソンのスタートラインに立つ筆者)筆者提供




この記事を書いた人
出町譲高岡市議会議員・作家

1964年富山県高岡市生まれ。

富山県立高岡高校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。


90年時事通信社入社。ニューヨーク特派員などを経て、2001年テレビ朝日入社。経済部で、内閣府や財界などを担当した。その後は、「報道ステーション」や「グッド!モーニング」など報道番組のデスクを務めた。


テレビ朝日に勤務しながら、11年の東日本大震災をきっかけに執筆活動を開始。『清貧と復興 土光敏夫100の言葉』(2011年、文藝春秋)はベストセラーに。


その後も、『母の力 土光敏夫をつくった100の言葉』(2013年、文藝春秋)、『九転十起 事業の鬼・浅野総一郎』(2013年、幻冬舎)、『景気を仕掛けた男 「丸井」創業者・青井忠治』(2015年、幻冬舎)、『日本への遺言 地域再生の神様《豊重哲郎》が起した奇跡』(2017年、幻冬舎)『現場発! ニッポン再興』(2019年、晶文社)などを出版した。


21年1月 故郷高岡の再興を目指して帰郷。

同年7月 高岡市長選に出馬。19,445票の信任を得るも志叶わず。

同年10月 高岡市議会議員選挙に立候補し、候補者29人中2位で当選。8,656票の得票数は、トップ当選の嶋川武秀氏(11,604票)と共に高岡市議会議員選挙の最高得票数を上回った。

出町譲

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