富山マラソンと「正面突破」の精神 「高岡発ニッポン再興」その71
出町譲(高岡市議会議員・作家)
【まとめ】
・マラソンで頼みの綱は、己の体力のみ。「正面突破」の精神しかない。
・自分のペースで進み、晴れの日も雨の日もあるマラソンはまるで人生の縮図。
・何をするにしても、挫けずに前を向いて前進するしかない。
私は今年11月の富山マラソンに出場しますが、2016年に引き続き、17年も参加しました。その時は、晴天の16年とは打って変わって冷たい雨でした。全身がびしょ濡れになりましたが、沿道からの声援を受けて走っていると、心も体も熱くなりました。応援する人との一体感をぞんぶんに味わったのです。記録は4時間55分05秒。去年の記録を大幅に上回り、自分なりに満足しました。
マラソンで頼みの綱は、己の体力です。普段からの鍛錬は不可欠です。号砲が鳴ると、あとは孤独な闘いとなります。体力、気力の限界への挑戦です。「正面突破」の精神しかない。走りながら思うのは、「正面突破」という言葉です。誰も助けてくれないからです。
▲写真 富山マラソンでランナーに用意されている富山名物のますのすし(筆者提供)
その時のマラソンで改めて痛感しました。自分よりも速いペースで追い越す人もいれば、途中歩く人もいます。またある人は屈伸運動をしていました。速く走る人を羨んでもしょうがない。人はそれぞれペースが違います。それに晴れの日だけではありません、雨の日もあります。人間社会、そして人生の縮図のように感じました。
振り返れば、私が最初に「正面突破」を試みたのは、高校受験でした。どうしても、地元一番の進学校、高岡高校に行きたかったのです。しかし、進学できるのは、中学のトップレベルの人ばかり、私にとっては、無謀な賭けでした。前日まで勉強して桜が開きました。なぜか、自信がありました。
せっかく入った高岡高校なのに、勉強そっちのけ。成績は最下位近辺にいました。生徒会長、ラグビー部、応援団と、勉強以外のことばかりに熱中しました。
あっという間に月日が経ち、3年生になりました。合格するような大学は皆目見当がつきません。しかし、ある人の言葉をきっかけに、志望校を早稲田大学にしました。その人とは、1学年上の女性の先輩。彼女はラグビー部のマネージャーを務めていましたが、私にとっては片思いの人でした。
彼女は前の年に、早稲田の近くの女子大に進学し、時折、文通していました。ある時の手書きにはこう書いてありました。
「早稲田があなたを待ってます」。彼女にとっては勇気づける言葉だったのですが、私は狙いを早稲田に絞りました。関心のある学部を片っ端しら受験しましたが、全滅でした。そして、一浪。猛勉強しました。すると、成績はぐんぐんよくなり、結局、早稲田大学政経学部が振り向いてくれた。
合格の翌日、彼女に思いを告白しようとして会いました。「おめでとう」の笑顔の後に、彼女の口から飛び出したのは、彼氏の話題でした。ずっと聞き役に徹しました。結局気持ちを伝えられずに、夜空を見ながら、涙が流れました。
大学生活では、ラグビーのサークルに身を置きながら、もっぱら関心事は世界でした。作家、沢木耕太郎の「深夜特急」に憧れ、一人で放浪の旅に出たのです。3カ月かけてインドからギリシャまでバスや列車の陸路で旅行したり、中国大陸を1カ月以上彷徨ったりしました。その時はちょうどバブル期です。日本の浮かれた大学生と、イラン・イラク戦争で、戦闘しているイランの若者たち。戦争や貧困、差別の問題などを必死に考えました。
就職先として目指したのは、新聞社でした。しかし、4年生で受けたマスコミは全滅。就職浪人しても、思いはかないません。そして、一般企業に半年身を置きながら、再び狙いました。吉報は、時事通信でした。
それから、マスコミ生活です。テレビ朝日に転職しましたが、いつも全力投球してきました。「日本一の経済ジャーナリストになろう」。「政治経済中心の史上最強の報道番組を作ろう」。「震災後の日本人の生き方を示唆する本を書きたい」。様々なことを目論みました。非才だけに、空振りもありましたが、芽が出たこともあります。何をするにしても、挫けずに前を向いて前進するしかありません。
高岡に帰って3年目です。市議会議員として日々活動しています。市民の皆さまありがとうございます。今年の富山マラソンはタイムを目指しません。完走し、喜びを皆さんと分かち合いたいですね。応援よろしくお願いします。
(関連記事 盲目ランナーも 富山マラソンで見えた別の風景「高岡発ニッポン再興」その39)
トップ写真:去年の富山マラソン会場に集まるランナーたち(富山県、高岡市)筆者提供
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この記事を書いた人
出町譲高岡市議会議員・作家
1964年富山県高岡市生まれ。
富山県立高岡高校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。
90年時事通信社入社。ニューヨーク特派員などを経て、2001年テレビ朝日入社。経済部で、内閣府や財界などを担当した。その後は、「報道ステーション」や「グッド!モーニング」など報道番組のデスクを務めた。
テレビ朝日に勤務しながら、11年の東日本大震災をきっかけに執筆活動を開始。『清貧と復興 土光敏夫100の言葉』(2011年、文藝春秋)はベストセラーに。
その後も、『母の力 土光敏夫をつくった100の言葉』(2013年、文藝春秋)、『九転十起 事業の鬼・浅野総一郎』(2013年、幻冬舎)、『景気を仕掛けた男 「丸井」創業者・青井忠治』(2015年、幻冬舎)、『日本への遺言 地域再生の神様《豊重哲郎》が起した奇跡』(2017年、幻冬舎)『現場発! ニッポン再興』(2019年、晶文社)などを出版した。
21年1月 故郷高岡の再興を目指して帰郷。
同年7月 高岡市長選に出馬。19,445票の信任を得るも志叶わず。
同年10月 高岡市議会議員選挙に立候補し、候補者29人中2位で当選。8,656票の得票数は、トップ当選の嶋川武秀氏(11,604票)と共に高岡市議会議員選挙の最高得票数を上回った。