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.国際  投稿日:2023/7/24

米中新冷戦とはー中国軍事研究の大御所が語る その4 アメリカはまだ準備不十分だ


古森義久(ジャーナリスト/麗澤大学特別教授)

「古森義久の内外透視」

【まとめ】

・米財務省には中国への投資の内容をモニターする機能がない

・米は中国との新冷戦にのぞむ国家としての構えができていない。

・したがって、米は新たな対中冷戦への国家の再構築が必要。

 

古森義久――この対中認識という点ではニクソン元大統領が1994年に亡くなる前に、かつて自分のスピーチライターで、その後に大物の政治評論家となったウィリアム・サファイア氏に対して、自分の対中和解は間違いだったかもしれないと告白したという話がありますね。1972年の中国への接近で「私たちはフランケンシュタインのような怪物を造り出してしまったのかもしれない」と反省した、という話です。

マイケル・ピルズベリー 「私もそのニクソン氏の反省という話はよく知っています。しかし現実にはニクソン氏によってドアを開けられた米側の対中アプローチは関与政策となり、その後、民主党カーター政権、共和党レーガン政権と、続きました。

私自身が内部にいたレーガン政権では大統領自身が中国への直接の軍事援助をも支持しました。当時では最新鋭の魚雷『マーク45』というのを中国軍に供与することまで一度は決めたのです。

この魚雷を中国の潜水艦に装備して、有事にはソ連艦艇を撃つという発想でした。技術上の障害のために実現はしませんでしたが、当時のアメリカはここまで中国支援にのめりこんでいたのです。私自身もその点で大きな錯誤を冒していたことは素直に認めたいです」

――しかしその後、米中関係ではときおり中国が果たしてアメリカのパートナーとしてふさわしいかを疑わせるような出来事も起きましたね。

「その通りです。ニクソン訪中後の50年ほどをみると、数年に一度ぐらいにその種の出来事が重大な形で起きました。1989年の天安門事件はその代表例です。文化大革命での混乱も中国社会の過激な本質を露呈した。対外的には中国軍のベトナム侵攻、あるいは南シナ海での紛争領土の軍事奪取などもそうです。

こうした事件のたびに時のアメリカ政府は抗議や警告を発しました。しかし対中政策を変えることはしなかった。だから中国はまた平然と同種の行動を繰り返す。このパターンの継続だったのです。

中国側は米中関係についてはアメリカが述べることは気にしない。実際の行動だけを気にするのです。だからアメリカは結果として中国側の望む方向にばかり動いてきた、ということになります」

  ――ではアメリカはこんごどうすればよいと考えますか。

 「まさにその点こそが私のいまの研究の主題です。中国はすでにアメリカに対して新冷戦と呼ぶべき闘いを始めた。アメリカ側もその現実はわかってきた。しかし脅威への対応は脅威だという言葉を述べるだけでは意味がない。その脅威に対抗し、抑止するための行動が欠かせません。

 その点でいまのアメリカはまだ中国の脅威に対する適切な対応ができていません。たとえば中国に投入されるアメリカの資本ですが、その資金が結果としてアメリカを攻撃するための軍事能力の強化にも使われる場合、好ましくないことは自明です。ところがいまのアメリカの連邦政府の財務省には中国への投資の内容をモニターする機能がないのです。

 たとえばシリコンバレーから出発したアメリカのベンチャーキャピタルの『セコイア・キャピタル』がいまのグローバルな大成功の波に乗り、中国のどんな経済分野、軍事分野に投資をしても、中国ハイテク企業の成長に寄与しても、その結果、アメリカへの軍事脅威が増しても、アメリカ政府にはなんの規制の方法もありません。

中国にすでに巨額の投資をして、現地での生産を始めたアメリカ企業のなかには多様な理由により撤退したいと考えているところも少なくないようです。しかし現状ではその撤退が非常に難しい仕組みになっています。

要するにアメリカ側は中国との新冷戦にのぞむ国家としての構えができていないのです。この状況はソ連との東西冷戦に直面した当初のアメリカの状況に似ています。第二次大戦後の1947年ごろにはソ連が新たな脅威になることが明白となりました。しかもアメリカの国家の根幹を崩しうる重大な脅威です。

 ソ連との冷戦の始まりでした。しかし当時のアメリカ側にはその闘いに対処する国家のメカニズムが整っていなかった。国家安全保障会議がなかった。中央情報局がなかった。空軍という独立した軍事部門がなかった。いずれもアメリカ国民の恐怖に押される形で急いで設置されました。いまのアメリカはそのときの状況に似ており、新たな対中冷戦への国家の再構築が必要なのです」

(その5につづく。その1その2,その3

*この連載は月刊雑誌「正論」8月号掲載のインタビュー記事「米国の過ちは抗議だけで対中政策を変えなかったこと」の転載です。

トップ写真:TechCrunch Disrupt SF 2018に登壇する セコイヤ・キャピタルのパートナー、ロエロフ・ボサ氏 2018年9月7日 米国サンフランシスコ

出典:Photo by Steve Jennings/Getty Images for TechCrunch




この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト/麗澤大学特別教授

産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。

古森義久

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