「高岡発ニッポン再興」その125「地震が起きない」高岡の安全神話が一転
出町譲(高岡市議会議員・作家)
【まとめ】
・「高岡市には地震が起きない」は、“安全神話”だった。
・能登半島地震、高岡市で震度5強。人的被害こそなかったが住宅に大きな被害。
・伏木地区で液状化現象。「ドアが傾き開けられない」「家が沈み込んで車を出せない」。
「高岡市には地震が起きない」。それは根拠のない“安全神話”でした。今回の能登半島地震で高岡市でも震度5強の地震に見舞われたのです。私の地元の小学校でも200人ほどの人がかけつけました。
高齢者だけでなく、赤ちゃんを抱いた若い夫婦の姿も目に付きました。「余震が続き、家にいると怖い」「一人暮らしなので、みんなと一緒にいたい」。皆さん、口々に不安な思いを話されました。恐怖は人を駆り立てるのです。「落ち着いてください」とも言えず、私はただ皆さま思いを聞きました。その小学校は1日だけの避難所でした。私の住んでいる地域はあまり被害が出なかったのですが、高岡市民が経験したことのないような恐怖を味わいました。
令和6年1月1日午後4時10分。町は正月で浮き立った雰囲気でした。私は神社でご祈祷してもらい、自宅に戻っていました。最初の揺れの際には、冷静に構えました。
ところが、2度目の揺れの瞬間、恐怖を感じました。家が大きく揺れています。階段を下りながら、つぶれると思いました。すぐに家を出ました。
近所の人たちも外に出ています。「こんな地震、生涯初めて」。「怖い」。私の自宅の前を通り過ぎる正月の参拝客らもどよめいていました。
私は民生委員の方と一緒に、自宅の周辺を回りました。それほど深刻な被害が出ていませんでした。高岡は大丈夫だったのかな。一方、テレビを入れると、能登半島では深刻な様子が伝えられています。倒壊した家屋で、多くの方々が亡くなったというニュースが出ました。
私は茫然としながら、「高岡はやはり地震に強い」と思いました。しかし、それは、間違いでした。市内の他の地域では人的被害こそありませんでしたが、住宅に大きな被害が出ていました。
海に近い地区、伏木に住む支援者から「私の家が沈んでいる」などの悲鳴の声が届いたのです。現場に行くと、私は目を覆いました。道路に水分を含んだ、泥が湧き出ているのです。道には大きなき裂が入っています。多くの家の側溝には泥がたまっています。
さらに、泥が入った家もあります。男の人が中心に、土を集めて、土嚢に入れていました。「ドアが傾き開けられない」「家が沈み込んで、車を出せない」。水が出なくなっていました。このため、高岡市は給水車を配置。ポリタンクを持った住民が水を求めて行列していました。
液状化現象が起きていたのです。
震源地の能登半島での惨状がテレビでは伝えられていましたが、液状化については、あまり伝えられなかったのです。
トップ写真:能登半島地震後の倒壊した家屋(2024年1月2日 富山県高岡市)筆者撮影
あわせて読みたい
この記事を書いた人
出町譲高岡市議会議員・作家
1964年富山県高岡市生まれ。
富山県立高岡高校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。
90年時事通信社入社。ニューヨーク特派員などを経て、2001年テレビ朝日入社。経済部で、内閣府や財界などを担当した。その後は、「報道ステーション」や「グッド!モーニング」など報道番組のデスクを務めた。
テレビ朝日に勤務しながら、11年の東日本大震災をきっかけに執筆活動を開始。『清貧と復興 土光敏夫100の言葉』(2011年、文藝春秋)はベストセラーに。
その後も、『母の力 土光敏夫をつくった100の言葉』(2013年、文藝春秋)、『九転十起 事業の鬼・浅野総一郎』(2013年、幻冬舎)、『景気を仕掛けた男 「丸井」創業者・青井忠治』(2015年、幻冬舎)、『日本への遺言 地域再生の神様《豊重哲郎》が起した奇跡』(2017年、幻冬舎)『現場発! ニッポン再興』(2019年、晶文社)などを出版した。
21年1月 故郷高岡の再興を目指して帰郷。
同年7月 高岡市長選に出馬。19,445票の信任を得るも志叶わず。
同年10月 高岡市議会議員選挙に立候補し、候補者29人中2位で当選。8,656票の得票数は、トップ当選の嶋川武秀氏(11,604票)と共に高岡市議会議員選挙の最高得票数を上回った。