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.社会  投稿日:2024/3/9

「晴れて競馬のできる平和を祝す」文人シリーズ第2回「流浪(さすらい)のギャンブラー 山口瞳」


斎藤一九馬(編集者・ノンフィクションライター)

「斎藤一九馬のおんまさんに魅せられて55年」

【まとめ】

・1946年の夏、札幌と函館の競馬場で戦争で中止されていた競馬が再開。

・横浜市戸塚競馬場でも競馬が再開され、そのなかに後に直木賞作家となる山口瞳18歳の姿が。

・氏の『草競馬流浪記』は全国の地方競馬場踏破を綴った競馬紀行文の傑作。

 

先の大戦中、軍馬として中国大陸に渡った馬の数はおよそ50万頭(100万頭の説もある)。もちろん、1頭たりとて無事帰国できた馬はいない。これを犬(馬)死と言わずして何といおう。軍馬担当の兵士が、日本に連れて帰れない愛馬を、泣きながら処分、葬ったという逸話も残る。人間は勝手である。

終戦後間もない1946年の夏、札幌と函館の競馬場で、戦争で中止されていた競馬が再開された。馬はまだ国内に残っていたのだ。競馬開催は遊びに飢えた米軍人たちの強い要望があったからで、「進駐軍競馬」とも「闇競馬」とも呼ばれた。けれど、その実、開催をせっついた米軍将校はもとより、1万3000人もの北海道民が札幌競馬場に押し掛けたという。どんな時代でも競馬好きはいる。国民の大半が戦後のハイパーインフレと食糧難にあえぐ飢餓の時代である。

一方、内地では、同じ時期、横浜市の戸塚競馬場で競馬が再開された。ここにも連日大観衆が訪れ、9日間の開催で3000万円近い売り上げが記録されたとある(*)。その大群衆のなかに、後に直木賞作家となる山口瞳18歳の姿があった。

昭和二十一年だったと思うが(中略)戸塚競馬場が再開されたとき、僕は、まっさきに、喜びいさんで出かけていった。」(『草競馬流浪記』・新潮社)

山口瞳は、若い一時期、賭け麻雀で身を立てていたほど博才があったらしい。競馬好きで知られる作家は何人もいるが、皆、見事なほどギャンブル運に恵まれなかった(ようだ)。だが山口だけは違った。毎月の給料袋は封を切らずに家族に渡し、自分の遊興費は麻雀で稼いでいた。

「そうして、このときほど、平和というものを強く感じたことはなかった。青空の下で、大勢の人が集まって、天下晴れて公認の博奕を打つ。こんなにいいものはないと思った。」(前掲書)

山口はこのとき、「頭がクラクラするような解放感」を覚えたと、その高ぶった心情を吐露している。平和がつくづくありがたかった。

その「頭がクラクラするような解放感」が、一冊の名著に結実するのが、だいぶ時代も下った、1984年(昭和59)3月のことだ。それが、この『草競馬流浪記』という“稀代の悪書”である。

“稀代の悪書”とけなしたいのは、何を隠そう、私が人生を踏み外すもととなったのが、この『草競馬流浪記』だからだ。元は『小説新潮』に連載されていた競馬随想である。このエッセイを読んだ翌日、私は雨にもかかわらず、それまで一度も利用したことのなかった地下鉄東西線に乗って中山競馬場へすっ飛んでいった。以来、たまたま知人に馬主がいたこともあって、土日はほぼ競馬場に通い、身分不相応にも馬主席に腰を降ろし、せっせとはずれ馬券を買い続けたのである。

残念ながら、山口先生(ここから先生と呼ぶ)にはお会いできなかったが、同じく直木賞作家で馬主でもある浅田次郎氏には毎土曜日、穴場(発券窓口)で接近遭遇した。もちろん浅田さんはそんなことは知らない。夏開催の函館競馬では定宿のホテルの大浴場でご一緒したこともある。これは、ひょっとして、裸の付き合いとは言えまいか?もちろん浅田氏は知らない。

だからというわけではないが、山口先生と浅田次郎さん、おふたりの著作と競馬エッセイはほとんど読んでいる。

『草競馬流浪記』は、山口先生による全国27カ所の地方競馬場踏破を綴った、世界に類書を見ない競馬紀行文の傑作である。私にとっては生涯のバイブルとなった。何度読んでも飽きるということがない。

その裏表紙には、革の鳥打帽をかぶって黒縁のロイド眼鏡をかけた山口師匠(一階級昇格)の姿と一緒に、次の迷句が麗麗と掲げてある。

わが公営競馬に来たれる日

財布は烈風の中に尽きたり

馬は闇に吠え叫び

馬券はスタンドに散りたり

まだ払い戻しの窓口は見えずや

師匠は同書の中で「流浪のギャンブラー」を自称している。私も、この本のおかげで、“平和”な日本を未だ流浪ってばかりだ。

-脚註-

*公益財団法人馬事文化財団「学芸員便り2014年第1回 昭和初期に賑わいを見せた2つの戸塚競馬場」より。 

▲写真 「草競馬流浪記」山口瞳著、新潮社 出典:amazon

トップ写真:イメージ(本文とは関係ありません)出典:Romilly Lockyer/GettyImages




この記事を書いた人
斎藤一九馬編集者・ノンフィクションライター

宮城県生まれ。東京外国語大学インド・パキスタン語学科卒業。編集者・ノンフィクションライター。主な著作に『歓喜の歌は響くのか』(角川文庫)、『最後の予想屋 吉冨隆安』(ビジネス社)など。数誌に社会課題のルポルタージュを寄稿。

斎藤一九馬

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