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.社会  投稿日:2024/4/12

「競馬は人生の比喩ではない。人生が競馬の比喩である」 文人シリーズ第3回「アフォリズム(比喩)の天才 寺山修司」


斎藤一九馬(編集者・ノンフィクションライター)

「斎藤一九馬のおんまさんに魅せられて55年」

【まとめ】

・寺山修司は競馬をこよなく愛し、いくつものアフォリズム(警句)を残している。

・曰く、「さまざまな馬の性格は、そのまま、人間によって作り出された「作品」である」。

・「『人生が競馬の比喩だ』と思っている」、とも。

 

詩人であり歌人、小説家であり劇作家、あるいは前衛劇団の主宰者と多芸・多能を誇った寺山修司(1935~1983年)は競馬をこよなく愛し、いくつものしびれるアフォリズム(警句)を残している。

「私たちは一頭のサラブレッドを見るとき、それが『ただの一頭』ではなく、サラブレッドの歴史、その血の宿命と葛藤、そして自然に挑んできた人工の営為の結果であることを知るのである。長距離が得意な馬、一瞬のスピードをもった馬、内気な馬、好色な馬、視力の弱い馬、大食いの馬、さまざまな馬の性格は、そのまま、人間によって作り出された「作品」であることがわかる。」(『山河ありき』新書館)

サラブレッドが人間によってつくられた作品なら、われわれ人間の創造主は、いわずもがな、その親たちである。さらには親たちが連なる家系である。

山口瞳によって競馬にいざなわれ、寺山修司のアフォリズムに酔って私は道を踏み誤った

――と思っていたのだが、どっこいこれは、血の宿命でもあったようだ。

今から20年ほど前、父親の葬儀の席でのことである。

私の父親はまじめ一方の男で、パチンコすらやったことがない。もちろん競馬なんて論外だ。競馬場に連れて行ってもらったことなど一度もない。おふくろも同じで、賭け事にはまったく縁のない家系だった。それなのに、私がどうしてこんなに競馬にのめり込むようになったのか、自分でも不思議に思うことがあった。

葬儀のあと、身内だけで父親の思い出話になった。そのとき父親の一番上の姉、私の大伯母が私に向かってなにげなくこう言った。

「お前の親父、良一はクソがつくほどマジメで堅い男だったけど、母親がとんでもない博奕好きな女でねえ」

聞いて、私はのけぞった。伯母の言う「母」というのは父の母、すなわち私の祖母にあたる。

「亭主を早くになくして、さびしかったんだろうねえ。夜の食事を済ませると、赤ん坊の良一を背中におんぶして、いそいそと近くの温泉場にある賭場へ出かけるんだよ。花札だか、丁半博奕だか知らないけどさ。このあたりじゃ有名な話で、私らはずいぶん肩身の狭い思いをしたもんだ」

伯母がつづけた。これは、ちょっとしたショックだった。

俺は祖母の博奕好きを、隔世遺伝で引き継いだのではないか

そう確信したからだ。祖母は私が生まれる前に他界していて、私は顔も知らない。

時代は戦前、昭和の初めごろのことである。未亡人の賭場通いなんて、当時ならアンモラルもいいところ。しかも、東北のひなびた温泉郷だ。華やかなラスベガスの話ではないのである。薄暗い裸電球の下で、血走る目の男たちに交じる紅一点の祖母、花札を握る手が白い――想像すると、頭がくらくらしてくる。

もちろん、祖母がそう大きな賭けをしていたとは思えない。僅かな小銭くらいのことだったろうけれど。

それ以来、私は実家の墓参りをするたびに、墓石に刻まれた祖母の戒名を、いわく言い難い思いで眺めるようになった。

寺山のアフォリズムにもどる。

私は、前科者たちに『追込み』好きが多いことに気がついた。それも、中団から追込むというのではない。松山厩舎(*)好みの、後方一気というやつである。なぜ、追込みが好きかということは、彼らの人生と考えあわせてみると、よくわかる。早いうちに、(つまり、人生の第一コーナーあたりで)挫折してしまった連中にとっては、もはやハナに立って逃げるのは不可能なことだからである。」(『馬敗れて草原あり』新書館)

私も人生の向こう正面あたりでけつまずいた。そのときから自分は「逃亡者」となったような気がする。逃げ馬である。だけど、今は、追い込み型に脚質を変えた。後方一気の追い込みで勝利のゴールにいつしか飛び込もうと願うからである。でも、競走馬で、逃げ馬が追込み馬になって大成した例を、寡聞にして聞かない。

「競馬は人生の比喩だと思っているファンがいる。彼らは競馬場で薄っぺらの馬券のかわりに『自分を買う』のである。(中略)だが、私は必ずしも『競馬は人生の比喩だ』とは思っていない。その逆に『人生が競馬の比喩だ』と思っているのである。この二つの警句はよく似ているが、まるでちがう。前者の主体はレースにあり、後者の主体は私たちにあるからである。」(前掲書より)

私はこのアフォリズム「人生が競馬の比喩だ」にしびれたひとりである。60年前の春、上野駅に降り立った集団就職の子どもたち「金の卵」は、いましずかに、人生の比喩であるレースから退(ひ)こうとしている。

「サラブレッドは死にむかって走る」。これは寺山のアフォリズムではない。私の畏友、大井競馬場の名物予想屋の警句である。

脚註

*松山厩舎は3冠馬ミスターシービーを育てた厩舎として知られる。ミスターシービーはつねに4コーナーどん尻からの猛烈な追い込みで勝利し、大変な人気を呼んだ名馬である。

トップ写真:イメージ ※本文とは関係ありません 出典:Lo Chun Kit /GettyImages




この記事を書いた人
斎藤一九馬編集者・ノンフィクションライター

宮城県生まれ。東京外国語大学インド・パキスタン語学科卒業。編集者・ノンフィクションライター。主な著作に『歓喜の歌は響くのか』(角川文庫)、『最後の予想屋 吉冨隆安』(ビジネス社)など。数誌に社会課題のルポルタージュを寄稿。

斎藤一九馬

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