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.国際  投稿日:2025/3/4

鉄とアメリカ(3)~NY在住の爺カメラマンが見る、ナチスによるニューヨーク攻撃計画の痕跡(下)「裏切り、そして単独ワシントンDCへ」


柏原雅弘(ニューヨーク在住フリービデオグラファー)

【まとめ】

・ダッシュはワシントンDCで自首し、ナチス工作員の位置を明らかにした。

・ルーズベルト大統領は軍事法廷で死刑判決を下し、ダッシュとバーガーは減刑された。

・計画は未遂に終わり、ダッシュとバーガーはドイツに強制送還され、「裏切り者」として苦しんだ。

裏切り、そして単独ワシントンDCへ


(中からの続き)

「自分はナチスのスパイだ」とFBIに電話をかけたものの、話が通じなかったダッシュは、現実逃避、とばかりに、月曜、火曜日とマンハッタンでギャンブルなどをして遊びふけった。カフェで知り合ったフリッツという男と「ピノクル」というカードゲームに遊びふけてフリッツから250ドルも巻き上げた、ともいう。(引用a)


ダッシュは、数日間、FBIに話を取り合ってもらえなかったことに悩んでいた。そして、その後、ワシントンDCまで行き、FBI本部に電話をかけ、エドガー・フーバー長官に直訴することを決心した。


ダッシュは列車のチケットを買い、ワシントンDCに向かった。


ワシントンDCでは、ホワイトハウス北の、その後、さまざまな歴史の舞台となる、メイフラワー・ホテルというホテルの351室にチェックインした。(引用b) ホテルはホワイトハウスまで歩いて行ける距離にある。

ワシントンDC、ホワイトハウスの北、徒歩10分にある「メイフラワー・ホテル」(筆者撮影)


6/19(金)の朝、ダッシュはホテルの部屋から、FBI本部に電話をかけた。


「自分の名前は ”パストリアス” という。ニューヨークで電話をした。フーバーと話がしたい。今、メイフラワー・ホテルの351室にいる」


ビーチでの上陸から数日経っていてFBIは事態を把握していた。


ダッシュは、フーバー長官と話はできなかったが、すぐさま、捜査官らがホテルに到着し、事情聴取が行われ、ダッシュは、話の証拠として活動資金の一部、現金82,000ドル(80,000ドル、84,000ドルとの説もあり。現在の貨幣価値で2億円程度)の現金(引用b)、見えないインクでハンカチに書かれた指令書などを見せ、その場で逮捕された(ちなみに、その時見せた、ナチスから支給された米ドルは、全部今、流通しているものではない旧札であったらしく、ダッシュはアメリカ潜入時に気が付き、苦々しく思っていたらしい)。


その頃、ニューヨークでは、ダッシュに「他の2人を見張ってろ」と命じられたバーガーが、ハインクとクイリンの2人を5番街の高級紳士用品の店に連れて行き、スーツを仕立てたり、ナイトクラブを回ったり、売春宿へ行ったりして、皆でニューヨークライフを満喫していた。もっともバーガーは気が気でなかったに違いない。


翌日6/20(土)。


ハインクとクイリンは、映画館に行きニュース映画を見て、今、世の中で起きていることの把握に努めた。その後バーガーに会い、3人で計画をこれからどうするかを話し合い別れたが、ハインクは帰る途中に立ち寄ったドラッグストアを出たところで、クイリンは、仕立てたスーツをピックアップして店を出たところで、バーガーはホテルに戻ったところで、それぞれFBIの捜査官に逮捕された。


「自首」してワシントンDCで逮捕されたダッシュの供述に基づき、残りの「フロリダチーム4人」の行動も露見した。


リーダーのカーリングとティールは6/23に、ノイバウアーとハウプトは6/27にシカゴで捕まり、これで8人全員が逮捕されたのである。


テロ計画は何ひとつ実行されることなく、ナチの工作員は全員が逮捕されてしまった。


軍事裁判、そして死刑


「自首した」ダッシュは、他の7人をFBIに売って「ナチスのテロを未然に防いだ男」として、あわよくばヒーローとして扱ってもらうことまで期待した。


しかし、彼の自首は黙殺され、FBI長官のフーバーは「FBIがすばらしい働きをしたおかげでテロは未然に防げた」と述べ、潜入したスパイをFBIが努力で捕まえた、として、そのニュースが大々的に報じられた。しかし、半年前の真珠湾攻撃のこともあって、ナチスの工作員が潜入した、という事実は、国民の警戒感を最高レベルにまで高めた。


ルーズベルトの怒りは半端ではなかった。


ルーズベルトは軍事法廷を開くことを主張した。8人にはアメリカ人2人が含まれている。国民の国家反逆罪は死刑に相当する重罪であり、ルーズベルトは6人のドイツ人も含めた全員を死刑にすべき、と主張した。


しかし、ドイツ人を死刑にするためには、戦争犯罪として軍事法廷の開催が必要であった。通常の裁判では、アメリカ人2人はともかく、のこりのドイツ人6人は、死刑どころか、共謀罪で最高で懲役3年程度の罪にしか問えなかったのである。なにより、テロは計画だけであって、何一つ実行されていなかった。


ルーズベルトの方針に対して、軍事法廷の開催に消極的だった、法の番人たる司法長官フランシス・ビドルは、代案として、6人のドイツ人を捕虜としてずっと拘束してはどうか?とルーズベルトに提案したが拒否されてしまった。


司法長官がそういうつもりならば、と、ルーズベルトは大統領権限で「大統領宣言2561(Executive Proclamation 2561)」を発布し「潜入者は「戦争法」に違反しているため、軍事裁判にかけられるべき」との論理展開を行い、ついに軍事法廷が開かれることになった。


軍事法廷が開かれたのは、80年以上前のリンカーン暗殺で関係者が裁かれて以来であった。


リンカーン暗殺のときでさえ、事件が南北戦争後の軍事法廷で裁かれ、一般の裁判で行われなかったことに対して非難の声が上がっていたが、今回は、ほぼ怒りに任せたルーズベルトの「死刑ありき」の結論にするために、戦時中ということで開かれた軍事法廷であった。


逮捕されてから半月後の7/8から裁判が始まった。

8人全員がアメリカに戻りたいだけのために作戦に志願した、と無罪を主張した。そして8月1日に結審したが、ルーズベルトの思惑通り、全員に死刑が言い渡された。


1週間後の8月8日、ワシントンDC刑務所(DC Jail)3階で、電気椅子による処刑が行われ、遺体はワシントンDC南東の無縁墓地に埋葬された。

救急車で運び出される処刑された6人の遺体 (Getty Images)

前代未聞の電気椅子による大量処刑だったため、電気椅子は、高電流の負荷に耐え、連続してきちんと動作するか心配された。結果、処刑はそれぞれ、約14分で「無事」終えたという。(引用c)


ただし・・・


計画を密告したダッシュと、協力したバーガーら2名は、禁錮30年と、終身刑に減刑された。減刑はルーズベルトが大統領権限で行った。


司法長官ビドルが、ルーズベルトに働きかけたとされる。FBIのフーバー長官でさえ、その働きかけには反対しなかったらしい。心情的に、協力者2人の死刑は重すぎると思ったのだろうか。ダッシュとバーガー、この2名の密告と協力がなければ、計画は確実に実行されていた可能性が高かったのだ。


2011年4月に機密解除されたイギリスMI5の検証報告によれば、事態は過去に思われていたより深刻で、実際に技術的に高度なテロ計画が練られており、実行されればかなりの被害の危険性があった、と結論付けられている。(引用e)


処刑された6人のうち、22歳のハウプトは「死刑を実行された唯一のアメリカ人」だった。


ハウプトの両親は、アメリカに帰化したため、幼かったハウプトもアメリカ人となったが、今回、ハウプトを匿ったことで国家反逆罪に問われ、市民権を剥奪された上、終身刑の判決をくだされた。


その他、ハウプトの叔父、叔母ら4人も同様にハウプトを匿った容疑で有罪判決を受けた。


自慢げに、カーリングに秘密を打ち明けられたカーリングの古い友人も、カーリングから受け取った100ドル紙幣を使いやすいように小額紙幣に替えてやり、情報を与えたとのことで(引用f)、敵との取引をしたとして懲役18年の判決を受けたが、後に有罪判決を受けた全員が減刑、仮釈放、国外追放処分などになった。


作戦が失敗したことでヒトラーは、作戦を計画・立案した、アプヴェーアのカッペ中尉を激しく叱責した。


「ニューヨークを火の海に」と願ったヒトラーの願いは叶わず、マンハッタンの上空に、メッサーシュミットが現れることはなかった。そしてその後、ナチスによるアメリカへの破壊工作は一度も実行されることはなかった。


数年後、ルーズベルトは亡くなりナチスドイツは壊滅、終戦となり、ダッシュとバーガーは、判決から6年服役した後、ルーズベルトの後を引き継いだトルーマン大統領によって、恩赦を与えられ、ドイツへの国外追放を条件に釈放された。


ダッシュとバーガーの2名とも、当時のドイツのアメリカ占領地域、後の西ドイツの地域に強制送還された。


だが、ドイツでは「裏切り者」の烙印を押され、彼らの、ドイツでの残りの人生は悲惨だった。定住してもマスコミ報道などで身元を暴かれ、そのたびに村八分となり、生活の場所を転々とすることを余儀なくされた。


ダッシュは1991年88歳で、バーガーは1971年に統一前の西ドイツにて、69歳で亡くなった。


工作員8人が関わった作戦のコードネームは「パストリアス作戦」であったが、「パストリアス」とは17世紀、まだ建国前のアメリカ・フィラデルフィア近郊に最初に入植した、偉大なドイツの先人「フランシス・ダニエル・パストリアス」の名前から取られたものだった。


作戦の名前が意味することろは「アメリカに深く潜入せよ」という意味であったが、作戦名はドイツの偉大な先人の名誉と、ドイツ系アメリカ人の文化を穢すものになった。


ドイツの発展のために作戦に計画に参加した工作員たちは、「パストリアス」の名前をさらに輝かせることなく、それぞれの人生を終えた。


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テロが計画されていた現場で、「ヘルゲートブリッジ」を見上げてみる。

南側から見た、ニューヨーク、ヘルゲート・ブリッジ(筆者撮影)


「ニューヨーク連絡鉄道・イースト リバー アーチ橋(ヘルゲート橋)」
橋脚間の長さ 1017 フィート(310m)1917 年完成、国の輸送サービスに捧げらるる
製造/施行・アメリカン・ブリッジ・カンパニー」とある(筆者撮影)

この橋に戦争の傷跡はなく、そして現場にはこの物語を語るものも何も無く、事件を知る人は今ではほとんどいない。


19世紀末の夢を実現した橋の開通を記念する銘板だけが、108年前からそのまま残る。そして、銘板にはこの橋を(モホーク族の職人とともに)建設したのがAmerican Bridge Company(USスチールの子会社)と記録されている。


今でも残る、アメリカの栄光の鉄の時代の幕開けの建築物。


ナチスの工作員はここに来るはずであった。


だが、ここでは何も起きてはいなかった。

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参考資料引用元)

a)
Terrorists Among Us (1942); Detecting the Enemy Wasn’t Easy Then, Either – The New York Times  Web版・本文106~108行目

b)The Inside Story of How a Nazi Plot to Sabotage the U.S. War Effort Was Foiled | Smithsonian  Web版・本文108行目
c)
The Inside Story of How a Nazi Plot to Sabotage the U.S. War Effort Was Foiled | Smithsonian  Web版・本文114行目

d)
The Inside Story of How a Nazi Plot to Sabotage the U.S. War Effort Was Foiled | Smithsonian  Web版・本文136行目

e)
Nazi U boat plot to blow up New York ran aground with ship of fools
Web版・本文10行目、85行目〜89行

f)
Man who aided Nazis initially acquitted: 1942 | Helmut Leine… | Flickr
Web版・注釈16行目
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「上中下」通しで参考にした資料)


History.com「ナチスがハンプトンズに侵入した時」
When the Nazis Invaded the Hamptons | HISTORY

Spiegel「炎の中のニューヨーク、という叶わなかったヒトラーの夢」
Operation Pastorius: Hitler’s Unfulfilled Dream of a New York in Flames – DER SPIEGEL


AFP News
ナチス・ドイツのお粗末破壊作戦、MI5が資料公開

FBI.gov History「ナチスの破壊者とジョージ・ダッシュ
Nazi Saboteurs and George Dasch — FBI

スミソニアン・マガジン「ナチスがアメリカを妨害する陰謀を企てた裏話」
https://www.smithsonianmag.com/history/inside-story-how-nazi-plot-sabotage-us-war-effort-
was-foiled-180959594/

第二次世界大戦のドイツの破壊工作者、アメリカへの潜入、イギリスのMI5、アメリカ司法長官ファイル、および裁判記録ファイル
https://www.paperlessarchives.com/world_war_ii_german_saboteurs_.html?srsltid=AfmBOop-upq_98d3W3IEpVh2zDRG-7UDPH-gqRRwWYJdnkR5us4J4tIe&utm_source=chatgpt.com

Uboat.net
https://uboat.net/boats/u202.htm
City of Birmingham (American Steam passenger ship) – Ships hit by German U-boats during WWII – uboat.net

ニューヨーク・タイムス「テロリストは自分たちの中にいる」2002/1/17記事
Terrorists Among Us (1942); Detecting the Enemy Wasn’t Easy Then, Either – The New York Times

サンデー・タイムス「愚か者のせいで頓挫したナチスUボートのニューヨーク爆破計画」
Nazi U boat plot to blow up New York ran aground with ship of fools


「アメリカ・大統領プロジェクト」大統領宣言2561
Proclamation 2561—Denying Certain Enemies Access to the Courts | The American Presidency Project

Daytonian「The 1929 ガバナー・クリントンホテル」
Daytonian in Manhattan: The 1929 Governor Clinton (Stewart) Hotel – 371-377 Seventh Avenue

ヘルゲート・ブリッジ
Hell Gate Bridge: A Great Survivor – Boroughs of the Dead

Horn & Hadart
https://hornandhardart.com/blogs/blog/horn-hardart-new-york-locations?srsltid=AfmBOoqArmWrW1O6nB2dY5kiyfMZLfncICIs9K9SnnrJybBpplPr39vz




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