日本の社会を象徴する「令和の米騒動」

福澤善文(コンサルタント/元早稲田大学講師)
【まとめ】
・米不足騒動の背景には、農水省の減反政策や転作補助金による生産調整の失敗がある。
・JAグループは農水省の天下り先でもあり、政策と組織の癒着が深刻な問題になっている。
・政治家や官僚が構造的な受益者となっているため、誰も率先して是正に動かず、今回の騒動はその体質を象徴している。
米不足騒動がなかなか収まらない。政府はやっと重い腰をあげて政府備蓄米を放出し、騒動を収めようとしている。しかしながら価格が高止まりしており、安価な米を安定供給できるかどうか、いまだ不透明だ。備蓄米放出にあたり、政府が3月に第一回入札を実施したが、全国農業協同組合連合会(JA)が全体の93%を落札した。「そもそも国民(消費者)が困っているのに、入札―しかも買い戻し条件付き入札―を実施するのか?消費者へ早急に届くようにすべきではないのか?」との声が聞かれる。と同時にJAの米価高値操作の意図が見え隠れする。
マスコミの中には、今回の米不足を買い占め業者のせいにして、犯人捜しをする向きもあった。思い起こせば、1973年10月に勃発した第四次中東戦争をきっかけに原油価格が急騰し世界経済を混乱に陥れた、いわゆる第一次石油危機時に、日本では多くの消費者がトイレットペーパーや洗剤などの原油価格とは関係の薄い物資の買いだめに走ったことがある。近年ではコロナの際、マスクが日本だけでなく中国からも買い占められたのは記憶に新しい。しかしながら今回の米不足騒動は、どうも買い占め業者のせいではなさそうだ。今回は農林水産省(農水省)の政策ミスというのが大方の見方だ。残念なことに日本の官僚は、よほどのことが無い限り先人の政策ミスを認めない。
日本の農家の生産性は低く、特に米生産農家のそれは低い。農水省の農業経営統計によれば、2023年の米農家1経営体あたりの時給は前年の「10円」から上がったとはいえ、わずか「97円」だ。米価は食糧管理制度で政府が管理してきたが、かつて、政府の農家からの買い入れ価格より、市場への売価が安くなるという余剰米問題が起きた。そこで政府は1970年に米の生産量を調整するために、作付面積を制限する米の減反政策を実施した。つまり、政府は、農家に補助金を与える代わりに米生産から飼料用米、麦、大豆への転作を促したのだ。そうすることで米の生産量を減らす一方、米の価格を安定させようとした。減反政策補助金も備蓄米の買取金も税金だ。米農家の儲けは薄く、しかも、高値のついた米を買わされるのは国民なのだ。
この減反政策は2018年に廃止になり、米農家は政府からの指導を受けることなく、自由に米を生産できると思われていた。しかしながら、政府による転作補助金により、実際には生産調整がなされ、米の生産量は減少の一途を辿ってきたのだ。そして、今回の米不足が起こり、ここに政府の減反政策ミスの結果が露呈した。
更に、この構図にはJAグループが関わってくる。兼業農家はその収入、農地の宅地転用で入る収入をJAに預入、それを同じくJAグループのメンバーの農林中金が運用し、その運用益がJAに還元される。もし減反が継続され、農家が農業から離れていけば、預金額は減ったはずだ。JAグループは農林水産省からの天下りポストのひとつだ。預金額が減り、JAの業務が縮小されれば、農水省の役人の天下り先が減る事態になる。その為、転作補助金支給により農業従事者に稲作から他の作物への転換を促し、農業職に留めさせるという手段に出た。JAグループの中で、農林中金も農水省の官僚にとっては、美味しい天下り先だ。農林中金は、外国債券の運用で巨額の損失を計上し、その結果、2025年3月期は2兆円近い赤字が見込まれている。農林中金の監督省庁は、金融庁ではなく、農水省だ。
最近ベストセラーになったノンフィクション、「対馬の海に沈む」(窪田新之助著、集英社)は、JAがらみの事件を追及した本だ。長崎県対馬の小さな漁村のJA営業担当職員は購買、金融事業などあらゆる事業で全国でもトップレベルの成績を上げていたが、実は、それは不正によるもので、その不正により、その地域の顧客、その家族、そしてJAの職員、更に幹部の多くが長年利益を享受してきたため、なかなか告発には至らなかった、という内容だ。
悪いということはわかっていても、自分も受益者ループにいる為に、知らん顔を決めこむというのは、日本ではよくある。最近、日本の石破首相が自民党の1年生議員に商品券を配布したことが取沙汰されて、窮地に追い込まれた。これは何も石破首相に限ったことではない。歴代首相の中でも同じことをやった人がいると言われている。現に、前衆議院議員で石破首相と同年に当選した人物も当時の首相から商品券をもらったと述懐している。しかしながら、首相経験者や議員の大多数はだんまりを通している。政治家も長老にはなかなか異を唱えられない。あれだけ異論を唱えていたのに、首相になった途端にだんまりの石破首相を見れば一目瞭然だろう。一方、官僚の世界、特にキャリア官僚は、先人が決定し実行した案件を否定できない。否定でもしたら、良い天下り先にありつけないからだ。
おかしいと思っても、自らがその構図に組み込まれており、誰も率先して社会の誤りを正すことが出来ないのが今の日本だ。今回の米不足騒動は、まさに今の日本を象徴している。
トップ写真)米を買う女性の手
出典)Photo by Hakase_/Getty images
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この記事を書いた人
福澤善文コンサルタント/元早稲田大学講師
1976 年 慶應義塾大学卒、MBA取得(米国コロンビア大学院)。日本興業銀行ではニューヨーク支店、プロジェクトエンジニアリング部、中南米駐在員事務所などを経て、米州開発銀行に出向。その後、日本興業銀行外国為替部参事や三井物産戦略研究所海外情報室長、ロッテホールディングス戦略開発部長、ロッテ免税店JAPAN取締役などを歴任。現在はコンサルタント/アナリストとして活躍中。
過去に東京都立短期大学講師、米国ボストン大学客員教授、早稲田大学政治経済学部講師なども務める。著書は『重要性を増すパナマ運河』、『エンロン問題とアメリカ経済』をはじめ英文著書『Japanese Peculiarity depicted in‘Lost in Translation’』、『Looking Ahead』など多数。
