ベトナム戦争からの半世紀 その26 「挙国一致政府」の効用とは

古森義久(ジャーナリスト/麗澤大学特別教授)
「古森義久の内外透視」
【まとめ】
・1975年4月2日、南ベトナム議会の上院はチュー大統領退陣を求める決議を採択した。
・同日、サイゴンを訪問した米軍ウェイアンド将軍との協議後、チュー大統領はキエム首相を辞任させ、下院議長グエン・バ・カンを新首相に任命。
・チュー大統領はテレビ演説で「共産側とは決して妥協しない」と強気を示したが、国民の間では滅亡への不安と新たな指導者を求める声が高まっていた。
南ベトナム議会の上院は1975年4月2日、「指導部交代」を求める決議を採択した。
ダナン陥落の直後の出来事だった。決議には従来、チュー大統領支持の与党側とみなされた議員たちも加わっていた。
「国家危機の現状を鑑みて、現政権よりも国民の幅広い支持を得た新政権の成立を求める」
こんな内容だったが、実際は明らかにグエン・バン・チュー政権を非難し、その退陣を求める決議だった。この背景にはチュー退陣を前提とする「救国政権」の動きがあった。国民の間でかなりの人気を保つグエン・カオ・キ元副大統領、ズオン・バン・ミン将軍や仏教、カトリック教の指導者たちが集まって、国を救うための新たな政権を作ろうという構想だった。確かにチュー大統領への不満は高まっていたから、それなりに理解のできる反政府の動きだった。
しかし南ベトナムもベトナム共和国という名称の民主主義の主権国家である。行政、立法、司法という三権分立も国の基本となってきた。だから議会が現政権の退陣要求を決議したからといって、すぐに新政権が誕生するというわけにはいかない。だからチュー大統領はなお強気だった。
チュー大統領がなお政権を堅固に握り、北ベトナム軍との決戦に備えるという姿勢を表明した背後には、ちょうど上院の決議採択と同じ日の4月2日にアメリカ軍の最後の南ベトナム駐在軍司令官だったアレクサンダー・ウェイアンド将軍がサイゴンを訪れるという出来事があった。もちろん米軍の再介入を意味するような動きではなかったが、明らかに重大危機の迫った南ベトナムの軍事情勢を視察するための訪問とされていた。南ベトナム軍の態勢建て直しを協議することが目的だとも発表された。
ウェイアンド将軍はチュー大統領、キエム首相、ビエン南軍参謀総長らと会談した。ビエン参謀総長はこの会談後に全国向け、全軍向けにラジオ演説をして、「われわれに残された道は戦闘の継続しかない」と強調した。
ところがそのすぐ2日後の4月4日、チュー大統領は全国向けの演説で突然、チャン・チエン・キエム首相の辞任を発表した。チュー、キエム両氏は若き士官学校時代からの盟友だった。1969年からは大統領と首相としての緊密なコンビを組んできた。いわば一心同体の車の両輪のようだったその一方が突然、消えることになったのだ。その理由は明らかにチュー大統領が自分に対する国内の不満をキエム首相に押しつけるという政治的な計算だった。
チュー大統領はキエム首相の後任に下院議長のグエン・バ・カン氏を任命した。キエム内閣は総辞職となった。新任のカン首相はキエム首相と異なり、軍人ではなく、有能な官僚として、そして議会ではチュー大統領に忠誠な政治家として動いてきた。だがその政治歴には特筆されるような実績、功績はなかった。しかしチュー大統領はこのカン新首相の下での政権を「戦時の挙国一致内閣」と呼んだ。国家自体の危機に面したこの時点での「挙国一致」というスローガン自体には当面の抵抗はなかった。
チュー大統領は新内閣の任命を発表した全国向けのテレビ演説で1時間以上にもわたって熱弁をふるった。
「いまの異常事態は内戦ではなく外部の北ベトナムの共産勢力による南ベトナムへの軍事侵略である。南ベトナム国民はわが政府、わが軍を信頼し、共産側の攻撃に脅えてはならない」
「われわれは共産側とは決して妥協しない。停戦交渉、領土分割、連合政権など、いまうわさされている北ベトナム側との秘密の取引という話はまったく根拠はない。わが軍はなお自国の防衛の能力を有しており、徹底的に抗戦する」
以上のようにあくまで強気の言明だった。「挙国一致」という誓約にはふさわしい言葉だった。その背後には米軍のウェイアンド将軍の来訪がチュー大統領に新たな元気や希望を与えたという印象もあった。
しかし私の友人、知人という範囲でも、一般国民の間で自国が滅びるかもしれないという心配はなお深刻になっていることは明白だった。この心配はチュー大統領への不信と一体となっているというのが実態だった。同時にチュー大統領以外の指導者に新たなリーダーシップを求めるという傾向もまた一段と強くなる、という印象だった。
(つづく)
トップ写真:北ベトナムの爆撃任務を終えて帰国したベトナム共和国空軍司令官グエン・カオ・キ(1930年 – 2011年、左)が、南ベトナム軍指導者グエン・カーン(1927年 – 2013年、右)から祝福を受ける。 1965年2月15日
出典:Photo by Le-Minh/Pix/Michael Ochs Archives/Getty Images
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この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト/麗澤大学特別教授
産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。

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