ベトナム戦争からの半世紀 その44 空港が燃える
古森義久(ジャーナリスト/麗澤大学特別教授)
「古森義久の内外透視」
【まとめ】
・1975年4月28日、北ベトナム側が鹵獲したA37攻撃機数機がタンソンニュット空港を空爆し、サイゴン市内に混乱が広がった。
・革命側が航空機による編隊空爆を行ったのは、ベトナム戦争を通じて前例がなかった。
・ズオン・バン・ミン大統領が停戦を呼びかけたその日に、タンソンニュット基地への奇襲空爆が行われた。
サイゴンの大統領官邸でズオン・バン・ミン大統領の就任式の取材を終え、私が支局へ戻ろうとすると、あたり一面に大轟音が鳴り響いた。4月28日の午後7時ごろだった。大統領官邸も毎日新聞支局もサイゴン市内の中心部にあった。だから官邸から支局まで、歩いて10数分の距離である。そんな距離を歩いているうちに、大地を揺るがすような大爆音がとどろいたのだ。私は思わず、身をすくめていた。
周囲を進む人間も車もいっせいに止まっていた。車の運転手のなかには車両を停止して、街路に飛び出して、坐りこむ人たちもいた。爆音はさらに響いてきた。それまでに体験したロケット砲弾よりも、地を揺るがすような衝撃が激しい。当初は至近距離のサイゴン市街への直接の攻撃かと思った。だが少し冷静になって周囲を観察すると、爆撃音は市の中心部からはやや離れたタンソンニュット空港の方向から響いてくることがわかった。
まもなくその空港方向で黒い煙があがり、飛行機の黒い影が低空で舞うのがちらりとみえた。すると正体不明の軍用機がこんどはサイゴン市街の上空をもかすめるように飛んでいくのが目に入った。市街では一般市民のパニックがさらに広がった。市街のあちこちでは南ベトナム側の兵士や警官が空に向けるような形で発砲までも始めた。正体不明の軍用機は敵だとみなしたのだろうか。しかし長いベトナム戦争でも革命側が軍用機を飛ばして、南側に空爆をかけてきた実例はまずなかった。
私はとにかく支局に戻ることにした。まもなく国営ラジオが南ベトナム政府の全面外出禁止命令を報じた。まだ夕方に入ったばかりの時点での外出禁止令は異例だった。だが街路を右往左往していた市民や車の数はみるみる減っていった。タンソンニュット空港方向の黒い煙は勢いを増していた。
支局ではとにかくこの現状の情報を集めた。最大の情報源はかねてから協力してくれている南ベトナム軍のガ少佐だった。彼は首都防衛の部隊に加わっていた。彼の情報で実態がほぼ判明した。
「午後6時ごろ南ベトナム空軍に所属していたアメリカ製のA37攻撃機数機がタンソンニュット基地を低空で襲い、爆弾を投下した。その結果、南側の空軍機が10機ほど大破し、弾薬庫にも火がついて爆発の連続となった。A37機は本来、南側の攻撃機だったが、北ベトナム側が近隣のファンラン基地で捕獲して、そこから飛ばしたようだ」
当初の情報は以上のようだった。長いベトナム戦争でも革命側が航空機で南ベトナム軍や米軍を攻撃した実例はなかった。すでに記したように4月8日には南ベトナム空軍のグエン・タン・チュン中尉が北ベトナム側の意を受けて、サイゴンの大統領官邸に単機の攻撃をかけた。被害は少なかった。だが数機の編隊での空爆というのはまったく前例がなかったのだ。
やがて各方面からの、さらに詳しい情報が集まった。やはりこのA37機編隊は中部海岸でも首都圏に近いファンラン基地から飛び立っていた。同基地では北軍が南側の空軍の基地を多数の軍用機ごと占拠していた。北側はのちにこの攻撃隊は前述のグエン・タン・チュン中尉に率いられた南側のパイロット数人による反乱だと発表した。しかもチェン中尉は以前から北側の秘密工作員だった、というのだ。
いずれにせよ、サイゴンはこの空爆によって、恐慌の底に叩き込まれた。空港地域では夜になっても燃料や弾薬の保存施設が炎上し、爆発の音が続いた。サイゴン市街でも直接の被害こそなかったが、南軍側の将兵がパニックに襲われたように乱射する銃撃の音が深夜まで絶えなかった。
この日は前述のようにズオン・バン・ミン新大統領が正式に就任して、北ベトナム側に「一刻も早い停戦を」と呼びかけていたのだ。敵方だった相手を「わが同胞」と呼んでの和平への懇願だった。だがその同胞からの返事はタンソンニュット基地への奇襲攻撃だったのだ。第三勢力の大統領の登場も、民族和解のスローガンも、パリ和平協定の順守の近いも、すべてが爆撃の轟音と黒煙によって、あっさりとかき消された形となったのだ。(つづく)
トップ写真:Fall of Saigon
出典:Jacques Pavlovsky/Getty Images




























