NTTドコモ、NBA独占配信で打った“王手”はスポーツエンタメ新経済圏の布石となるか

松永裕司(Forbes Official Columnist)
【まとめ】
・ドコモはNBAと日本国内で複数年契約を締結し、特定プラン加入者は追加料金なしで試合視聴が可能に。
・通信事業の枠を超え、配信サービスLemino、アリーナ事業、5G技術を組み合わせた「スポーツエンタメ経済圏」構築を目指す。
・楽天の前例にある巨額投資リスクもあるが、自社アセットを活かしてNBA体験を深化できるかが成否を左右する。
株式会社NTTドコモと全米バスケットボール協会(NBA)は2025年8月5日、日本国内における複数年のメディアライセンス契約締結を発表した。これは「ドコモでNBAの試合が観られるようになる」という事実以上に、日本の通信業界とスポーツ・エンターテインメント市場の未来を変える戦略的なパートナーシップとなりえる可能性を秘めている。
ドコモの特定料金プラン契約者は追加料金なしで世界最高峰のバスケットボール・コンテンツを楽しめるという破格のディール。通信の巨人はなぜ今、この巨額の投資に踏み切ったのか。携帯電話事業、通信事業としてすでに成熟し切った市場における顧客争奪戦に終始するのではなく、自らを「コンテンツホルダー」とし市場に新たな役割を築き「スポーツエンタメ・エコシステム」の覇権を握るための“王手”足りえるかもしれない。
ドコモはそもそも17年7月1日、新たにスポーツおよびエンタメ・ビジネスの構築を目指し「スポーツ&ライブビジネス推進室」を設置。私自身その初期メンバーであるとともにビジネス戦略担当部長でもあった。スポーツビジネスにおいて最も大きな枠組みはライツホルダーとなり、ビジネスの中心を確保すること。それが故にソフトバンク、楽天、DeNAはプロ野球球団を保有し、スタジアムを所持し、これを中心に配信を強化している。ドコモでもプロ野球球団を買収し、ベニューを所持、コンテンツ・プラットフォームを構築し、コンテンツ・プロバイダーを画策、ドローンレースに着目し、プロのダンスリーグDリーグのタイトルスポンサーを狙うなどなど様々な検討・検証と数々の実証実験を繰り返した。しかし結局は、多くの事業において意思決定の曖昧さや収益化の見通しの甘さから、確固たるの成果を出せないまま組織改編を余儀なくされた。
しかし、8年の時を経てドコモは自ら米リーグの配信権を獲得。それはこの7月、大相撲名古屋場所でこけら落としとなったIGアリーナのお披露目と時期同じくしての一手となった。本来こうした取り組みは19年ラグビー・ワールドカップ日本開催および20年に予定されていた東京五輪で具現化し、相乗効果を狙うべきだったろうが、通信業界の巨人の動きは遅々としていた。
■ 「通信事業」の再定義、プラットフォーマーへの動き
もちろんドコモは17年2月15日から「DAZN for docomo」という強力な武器を駆使してきた。ドコモユーザーが割引価格でDAZNの豊富なスポーツコンテンツを楽しめるこの提携は、ドコモにとってはスポーツファンを獲得するための重要なフックであり、DAZNにとっては国内最大の通信キャリア経由で加入者を獲得できるWin-Winの関係であった。しかし、それはあくまでDAZNという「他社の配信権」を借りる、いわば「人のふんどし」形戦略。同社は23年4月12日にそれまでの「dTV」という独自サービスをリニューアル、リブランドした映像配信サービス「Lemino」を開始した。ここで井上尚弥の世界戦、Jリーグのワールドチャレンジなどを発信したものの単発コンテンツが目立ち、スポーツファンを繋ぎ止めるレギュラーサービスの魅力を欠いていたのは事実だ。
ドコモは今回、初めて自らNBAという世界最高峰の「自前の武器」を入手。新料金プラン「ドコモ MAX」「ドコモ ポイ活 MAX」の契約者が「追加料金なし」で視聴できるというバンドル戦略は、コンテンツをサービスの根幹をなす「付加価値」そのものとして位置づける、ドコモの意志の表れだろう。
これにより、ドコモは競合からの乗り換えを狙う潜在顧客、そして解約を考える既存顧客に対し、「DAZNの国内スポーツ」と「NBAというグローバル最高峰コンテンツ」の両方を提示できる、市場で最も魅力的なパッケージを持つ存在へと変貌する。年間数百億円と推定される放映権料は、見方を変えれば、9,000万人以上の顧客基盤を盤石にするための、壮大かつ効果的なリテンションマーケティング費用。顧客のライフスタイルに深く根ざした体験価値を提供する「プラットフォーマー」へと、そのビジネスモデルへの転換を狙ったのだろう。
これまでドコモとDAZNは、互いの強みを活かす補完的なパートナーであった。しかし今後は「戦略的棲み分けシナリオ」へと舵を切ったと考えられる。DAZN+docomoが当面継続されるのであれば、ドコモは「国内主要スポーツはDAZN」「世界最高峰のバスケや独自コンテンツは自社のLemino」という形で、ユーザーに提供するポートフォリオの戦略的棲み分けが可能性だ。この場合、ドコモはDAZNとの提携を維持しつつ、自社プラットフォームの独自価値を高めるという、二正面作戦の展開できる。
■ ドコモが描く「スポーツエンタメ経済圏」の全貌
さらにドコモの野心は、単なる配信事業の覇権に留まらない。同社・前田義晃代表取締役社長がコメントで「映像配信サービス『Lemino』、そして…最先端のアリーナ事業」に言及したように、今回の契約は、ドコモが推進する巨大なエンターテインメント戦略の重要なピースとなる。
1. 映像配信サービス「Lemino」の強化
NBAコンテンツは、ドコモの映像配信サービス「Lemino」の強力なエンジンとなるはずだ。DAZNに依存せずとも、自社プラットフォームにユーザーを直接呼び込むことができ、NBAをフックにLeminoの利用を開始したユーザーが、同社の他エンタメコンテンツにも触れることで、プラットフォーム全体の価値が向上する。
2. アリーナ事業との垂直統合
これはドコモが打ち出した絶対的な強みだ。コンテンツを「配信する」だけでなく、ファンが集う「リアルな場」も提供。自社運営のアリーナでNBAのイベントを開催し、オンライン(配信)とオフライン(アリーナ)を連携させたO2O戦略が自在に展開可能になる。IGアリーナでのNBA Japan Games開催が実現すれば、その相乗効果は大きい。
3. 最先端テクノロジーとの融合
5Gをはじめとする通信技術を活用し、AR(拡張現実)観戦など、新たな視聴体験を創造する。NBAがドコモを単なる配信会社ではなく「テクノロジー企業」と評価した背景には、こうした未来への期待があったはずだ。
これら3つの要素が有機的に結びつくことで、通信契約を基盤とし、映像配信、リアルイベント、最先端技術が一体となった、強力な「ドコモ新経済圏」が完成する。今回のNBAとの契約は、これを完成させるための、まさに“王手”と言える。
ドコモとNBAの契約は、日本のスポーツビジネス史における画期的な出来事となりえると同時に、DAZNを盟主としてきたスポーツメディア業界の秩序を塗り替える可能性さえ秘めている。それは、通信事業者が自ら魅力的なコンテンツを保有する「コンテンツホルダー」として市場の主導権を握る新時代の幕開けを意味する可能性はある。
■ NBA独占配信権の前例とその落とし穴
ただし、強力なNBAコンテンツとは言え、落とし穴がないわけではない。日本において2019年10月より25年7月までNBA配信権を独占して来たのは楽天だ。楽天はそのグローバル戦略としてスペイン・サッカーの雄FCバルセロナと17年から22年まで年70億円を超える金額でユニフォームの胸スポンサーを、同17年からは年約23億円でNBAゴールデンステーツ・ウォリアーズのユニスポンサーを務めた(後者は継続中)。これが縁でNBAは楽天・三木谷浩史会長に急接近。会長の鶴の一声で、日本における独占配信権を5年254億円というROI度外視で獲得したと言われている。ちなみにJリーグとDAZNの契約は10年約2100億円、Bリーグとソフトバンクの契約は4年約120億円と報道されている。
楽天のNBA担当者も赤字でOKとされたわけではない。あの手、この手でプロモーションを試みようとしたものの、何しろ巨額の投資である。関係者によればROIの達成は 非常に難航したとされる。日本における独占配信権契約更新交渉期限が迫ると、NBAは楽天を繋ぎ止めるために奔走。しかし、その巨額の投資が負担となったのだろう、楽天は契約更新を実質的に見送った。
楽天は巨額投資が負担となったのか、日本でのコンテンツ・テコ入れには予算を割けないままだったように映る。ファンタジーゲームや、AIを活用した勝敗予想などアメリカでは日常的になったコンテンツ開発にまでは手が回らなかった。また、日本におけるNBA公式サイトの権利問題も足枷だ。現在、米『Sporting News』の日本語版サイトがこの権利を有しており、「NBA公式サイト」をクリックすると、同メディアにリンクするカラクリとなっている。つまり、公式サイトを独自にプロモーション利用できないという課題も残る。関係者の談話によると実際、かつてのようにNBA公式戦が日本で開催されるかは、不透明なままだという。
さらに、日本出身選手が多くのチームで活躍するMLBと異なり、NBA選手は八村塁と河村勇輝のわずか2人が所属。万が一、2選手がロースターから外れるような事態となれば「一般的な」日本のファンにとってNBA中継の魅力は半減せざるを得ないだろう。
こうしたさまざまな前例がある中で、ドコモはどこまで腹を括っているか。この壮大な投資が成功するかどうかは、ドコモがNBAという至高のコンテンツを、自社の持つ多様なアセットとどれだけ有機的に結びつけ、日本のファンが「想像を超える最高峰のNBA体験」を実感できるかにかかっている。
日本の携帯通信事業は飽和し、料金引き下げ圧力が続く中、各社は激しい顧客獲得・維持競争を繰り広げ久しい。2017年、ドコモはその強力な顧客基盤を背景とし5G元年を見据え、2020年の向こう「beyond宣言」を打ち出した。
https://www.docomo.ne.jp/info/news_release/2017/04/27_00.html
しかし、それから8年を経て具現化できた戦略は少ない。dポイント商圏の確立とd払いなどを含めたFintech分野における成功事例が挙げられるが、競合他社と比較し斬新な取り組みは見られないとして良い。「iモード」の成功以来、新機軸の成功体験が少ない、創造性に欠けるドコモが、NBA独占配信権とIGアリーナという特大コンテンツをどう料理し、スポーツエンタメの新経済圏をいかに構築するのか、大きな期待を持って見守りたい。
トップ写真:ヒューストン・ロケッツ対ロサンゼルス・レイカーズ(2025年4月11日、ロサンゼルス、カリフォルニア州)出典:Katelyn Mulcahy/Getty Images
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この記事を書いた人
松永裕司Forbes Official Columnist
NTTドコモ ビジネス戦略担当部長/ 電通スポーツ 企画開発部長/ 「あらたにす」担当/東京マラソン事務局初代広報ディレクター/「MSN毎日インタラクティブ」プロデューサー/ CNN Chief Directorなどを歴任。
出版社、テレビ、新聞、デジタルメディア、広告代理店、通信会社での勤務経験から幅広いソリューションに精通。1990年代をニューヨークで、2000年代初頭までアトランタで過ごし帰国。

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