ベトナム戦争から半世紀その55 崩壊した政権の首脳たち
執筆:古森義久(ジャーナリスト/麗澤大学特別教授)
「古森義久の内外透視」1072回
■本稿のポイント
・サイゴン陥落当日、筆者は日本人記者として大統領官邸に単独で立ち入り、歴史的瞬間を目撃した。
・北ベトナム軍将兵は規律正しく、破壊や略奪もほぼなく、静かに官邸を掌握していった。
・北側との交渉に最後まで望みをかけた南ベトナム最後の政権閣僚たちが、捕虜として室内に座る姿を目撃し、戦争の終わりを実感した。
1975年4月30日、サイゴン陥落の日。毎日新聞サイゴン支局長だった筆者は、北ベトナム軍が突入したばかりの大統領官邸に単身で足を踏み入れた。静寂の中を動き回る歴戦の将兵、かつて取材した閣僚たちが捕虜として座る姿――。革命の最終舞台を間近で目撃した筆者が記す、ベトナム戦争終結の瞬間。(Japan In-depth編集部)
官邸突入から1時間 なぜ日本人記者は自由に動き回れたのか
私は大統領官邸構内の広大な前庭を横切って、官邸の建物へと向かった。途中、何度か立ち止まり、写真を撮った。いずれも歴史的な光景だった。部外者の私がずかずかと入っていくのを止める人間はいなかった。北ベトナム軍の将兵は次第に人数が増えてきたが、みな私を視野にとらえても、ちらりと一瞥するだけで、声をかけてはこない。みな自分に与えられた任務を黙々とこなしているという感じだった。
考えてみれば北軍の第一陣がこの官邸に突入して、まだ1時間ほどしか過ぎていなかったのだ。南ベトナム政権崩壊の歴史的な舞台となったこの大統領官邸に、そんな激変の直愚に日本人記者が自由に入れるというのも、奇妙な事態ではあった。だがこの異様な状態も北ベトナム軍将兵に外国のメディアの人間には一切、手を出すなという指令が出ていた結果だと後に判明した。
北ベトナム軍将兵はなぜ略奪も破壊も行わなかったのか
私は建物の正面の大階段を駆け登り、内部に入った。ホールを突っ切って、さらに奥へと進む。革命の最終舞台であるはずの建物の内部は意外なほど静かだった。少人数の草色ヘルメットの将兵がライフルを肩にかけ、部屋から部屋へと敏捷に動き回っていた。だがほとんど音を立てない。ふかふかとした絨毯やぴかぴかに磨きえられた大理石の床の上を泥まみれのゴムサンダルが音も立てずにすばやく動いていくのだ。
私が視野にとらえた数十人の将兵は私がそれまでにみた革命側の戦士とくらべると、みなずっと歴戦のつわものにみえた。みな青年というよりも中年、壮年という世代の将兵たちなのだ。一つ一つの動作が流れのようにスムーズで、ゆとりを感じさせる。だが一旦、事あれば、ただちに戦闘態勢を構え、強烈な破壊力を発揮する、という感じだった。
私は官邸の2階から3階へ、さまざまな部屋やホールをみて回った。どこも破壊や混乱の跡はなかった。大広間には豪華なテーブルや椅子が並び、壁の絵画や装飾も従来のままというふうにみえた。
私たち日本人記者団がつい2ヵ月ほど前、チュー大統領と会見した3階の接見室も立派な椅子やデスクがかつてのように配置され、飾り物の虎の剥製が勇ましく牙をむきだしたままだった。白いグランドピアノも私たちがチュー大統領に会見したときと同じように大きなデスクの脇に置かれていた。同じ接見室内のやや離れた場所にあった玉突き台も以前のように位置していた。北ベトナム軍将兵とピアノや玉突き台というのもおよそそぐわない組み合わせだった。
「どこへ行くのですか」
私が接見室を出て 廊下をゆっくりと進むと、正面から歩いてきた草色ヘルメットの戦士にベトナム語で声をかけられた。いかにもベテランの将校らしい人物だった。どの将兵も建前は南ベトナム解放軍とされているから、階級章はつけていない。だがこの人物は一見して40代の重みを感じさせる上級将校だった。この場で責任を持つ指揮官の一員という感じでもあった。万が一にも南ベトナム側の人間と誤解されたら、困ってしまう。
「私は新聞記者です。日本人の記者です」
あわてて口ごもりながらも、ベトナム語で私は答えた。頼りない言葉だったが、相手には確実に通じたようだった。相手は私のカメラにちらりと視線を投げ、軽くうなずくと、足早に去っていった。
置物をポケットに入れた兵士 勝者たちの「人間らしさ」
やがて大統領官邸内で点検や監視をする北ベトナム側の将兵の数が増えてきた。だがだれもが静かに、しかし徹底して、各部屋の状況を調べていた。私は3階の小部屋の前を通るとき、部屋のなかに兵士が1人いるのに気づき、視線を向けた。兵士の側は単独で、私の存在にも気がつかないようだった。すると、その兵士は室内の机の上の小さな置物をさっと自分の軍福のポケットに入れた。敵の本拠での文鎮のような置物を記念にそっと自分の戦利品にしておくような動作にみえた。ただしきちんと軍の上司に届けるための一時的な保管かもしれない。だが私にはその動作は個人的な記念品の取得にみえた。
そしてその兵士の人間らしさに奇妙な好感を覚えたのだった。
私自身がその日の大統領官邸の歴史的な舞台で目撃した不当な行動や残虐な行為はまったくなく、この小さな置物の私物化らしい行動が唯一の疑惑の行為だった。
捕虜となった閣僚たち 南ベトナム最後の政権はどう終わったのか
大統領官邸の2階の一角にオレンジ色のわりに熱いカーテンを降ろした部屋があった。私が近づくと、風がときおりカーテンを揺さぶり、そのたびに室内がみえた。私はさらに接近し、内部をのぞきこんだ。四方の壁に沿っておかれた椅子に20人ほどの男たちが座っていた。誰もが黙りこくって、静かに座っている。なかに知り合いのグエン・バン・ハオ氏の顔があった。彼はハーバード大学やジュネーブ大学で学んだ経済学者で、グエン・バン・チュー政権でも副首相まで務めていた。だが新任のズオン・バン・ミン政権にも経済担当の閣僚として加わっていた。私も何度か取材のために面談をしたことがあった。
そう、ハオ氏の存在によりこの室内の人物たちの地位が明確となった。南ベトナムの最後の政権、つまりミン政権の閣僚たちだったのだ。さらに眺めると、そのミン政権で副首相となったホー・バン・ミン下院議員の顔もあった。しかしハオ氏の新政権入りは意外だった。チュー政権で副首相になった彼は39歳の若さで、当時は「青年副首相」などと呼ばれたエリートだった。だからチュー政権の他の要人ととともに国外に脱出していても、おかしくなかった。だが明らかに国内残留という道を選び、新政権の閣僚にまでなったわけだ。こうした意外な行動をとった要人たちは他にもかなり多かった。
室内の人たちはあくまで静かだった。ほとんどが身じろぎもせず、言葉も発せず、床をつめていた。あるいは虚ろな視線を空間に向けていた。おたがいに話す光景もみられなかった。思えば不運な人たちだった。
彼らのほとんどはチュー政権の腐敗や独裁を非難してきた。南政府にとっての戦局が降りになると、民族和解のスローガンを掲げ、革命側との停戦交渉を求めた。革命側の要求に応じ、最初はチュー政権を排し、パリ和平協定の順守を誓い、南側の政治犯を解放し、最後はアメリカ政府機関の全面撤退までも果たした。
だが革命側は最初から停戦に応じる意図はなく、それまで交渉の条件としては示唆もしなかった「共産主義に同調する」という新条件を出してきた。同時に南側の政府と軍隊の完全解体を求めたわけだ。いまこの室内にいるのは、南ベトナム側で北の革命勢力と最後の最後まで虚しい交渉を一方的に続けた指導者たちだった。完全な降伏のために最後の2日間だけ、政権を動かし、ベトナム共和国という政体をなんとか救おうとした悲劇の政治家たちだったともいえた。
ただしこのときの室内には最後の政権のトップだったズオン・バン・ミン大統領とブー・バン・マウ首相はなかった。あとで知ったのだが、この時点ではミン、マウ両氏は北ベトナム軍に連行され、放送局に行き、北側が用意した完全な無条件降伏の声明を読まされていたのだった。
しかし私は南ベトナム政府の最後の政権の閣僚たちの捕虜となった姿を目撃して、ああ、この戦争は本当に終わったのだと実感したのだった。(つづく)
【よくある質問(FAQ)】
Q1:グエン・バン・ハオとはどのような人物か?
A:南ベトナムの経済学者・政治家です。ハーバード大学やジュネーブ大学で経済学を修めた知識人で、チュー政権下で経済政策を主導しました。
Q2:ズオン・バン・ミンとはどのような人物か?
A:「ビッグ・ミン」の通称で知られる南ベトナムの元軍人・政治家です。1963年にゴ・ディン・ジエム政権打倒クーデターを主導し、その後ジエムは殺害されました。チュー政権とは距離を置き、1975年の最終局面では和平・降伏志向を強めました。
Q3:グエン・バン・チューとはどのような人物か?
A:南ベトナムの軍人出身の政治家で、1967年から1975年まで大統領を務めました。反共産主義の強硬派として知られ、アメリカの強力な支持を受けましたが、独裁的な統治と政権内の腐敗で国内外から批判を受け続けました。
Q4:ブー・バン・マウとはどのような人物か?
A:南ベトナムの法学者・外交官出身の政治家で、外相などを務めました。長年にわたりアメリカの内政干渉に批判的な立場をとり、民族自決や南北対話を訴えました。
Q5:サイゴン陥落後、南ベトナムの政治家たちはどうなったか?
A:多くが「再教育キャンプ」と呼ばれる施設に送られ、数年から十数年にわたる拘禁生活を強いられました。釈放後も厳しい監視下に置かれ、国外に脱出する者も多くいました。処遇は階級や立場、協力度によって差がありました。
(本稿のポイント、リード、中見出し、FAQの文責:Japan In-depth編集部)
■ シリーズ・アーカイブの紹介
本連載は、歴史の目撃者である古森義久氏による貴重なアーカイブです。過去の記事も併せて読むことで、サイゴン陥落に至るまでの緊迫した推移を知ることが出来ます。
▶[連載「ベトナム戦争からの半世紀」バックナンバーはこちら]
写真)Jubilant Communist Soldiers Wave Flag
出典)Bettmann / 寄稿者 / GettyImages




























