団塊の世代の物語(9)
【まとめ】
・三津野と英子は、日本経済構造の変化を題材に企業経営や資本主義について議論する。
・バブル崩壊やグローバル化が日本企業に与えた影響について語り合い、日本経済の未来について展望する。
・企業ガバナンスや株主資本主義の導入など、現代の企業経営にアクティビストや海外資本などが与える影響について語る。
英子が大きくうなずいたのを見て、三津野は抑えつけていた自分の衝動を許してやることにした。そうなのだ、77歳の三津野と74歳の英子にとっては、今しなければ永遠にできなくなってしまうことなのだ、それで全てが終わってしまう。なにもかもが静寂の宇宙に吸い込まれて消滅してしまう。だから、それをするのは二人の欲望であり、実際の行動に手をつけるのは三津野の義務だった。
白い、いかにも高級な生地のダブルベッド用のシーツと厚手の毛布を右腕をつかって跳ねのけると、英子の胸をむきだしにして、そこへ顔をうずめた。
英子は動かない。
一瞬、三津野は英子の両方の乳房を見た。
そこには二つの小さくてピンクの乳首と、大きくてひろがった乳房があった。
「違うんだね」
「なにが?」
「ごめん。大木先生に聞いていたことがあってね。でも、人違いだったみたいだ。」
「なにのこと?」
「いや、済まない。
実は大木先生にむかし聞いていてね。
小学校のときのクラスの身体検査であなたの胸を見たっていう話なんだ。そのとき大木先生はあなたの胸だけを必死に見ていて、あなたの胸の乳輪が大きくて黒かったのがとっても印象に残ったらしいんだな。
そう教えてくれた。
だから僕はあなたの胸の乳首について、岩本英子さんはそうなんだとずっと思ってきた。たぶん50年間くらいかな。」
「ありがとう。
でも、大木先生のいったのは本当よ。それ、小学校のときの私の姿。
どうして女の子の方から覗いたのかって、不思議ね。
クラスの身体検査じゃなくって、クラスで2割くらいいた中学受験組だけの特別の身体検査だったの。それで、となりと衝立くらいしかないような部屋で上半身裸になって待ってたの。
男子が先だった。なにをしてるのかって、女子はのぞきこんだっていうわけ。一人じゃなくって6、7人はいたから、妙に勇気がでたっていうのか、まあそんなことができたのね。それに未だ12歳だし、胸がちいさいままの子もいたし。」
「でも、今は大きくも黒くもない」
「そう。私、子どものときから嫌だった。
顔も体もとっても色白なのに、そこだけ黒いの。」
<そこだけ?>ということばを三津野は飲みこんだ。
「で、長友君に頼んでいいお医者さんを紹介してもらって、二人目の子が産まれたあとに整形してもらったの。大阪でたいくつだったし。」
「ふーん。大木先生は間違ってなかったんだ。いや、それどころか彼はいまでもそう信じているよ。」
「いいんじゃない。黒くて大きな乳輪の花の女王、っていう思いでっていうのも」
「ま、彼にはいわないけど。」
「言ってもいいわよ。でもね、私、整形したの少し後悔している。
あれ、あれが私だったのにどうして浅はかな考えで、って。
考えっていうより、結局は私以外の人々の考えで自分が動いたっていうことでしょう。そんなことで我が身にメスを突き立てたのかって、きれいになったピンク色の乳首を見るたびにおもうわけよ。」
「そうか。わかるような気もするし、しょせん分からない気もする。女性の大切な部分の話だからね。」
「そうなの。よく見たらわかるわよ、ほら」
英子は自分で乳首をもちあげて傷跡を指し示した。
「わからないなあ、もう」
「そう、やっぱりね。そう整形手術してくれた医者も言っていた。そのうちちっともわからなくなりますよ、って微笑みながら。
でも、それって自分が自分でなくなりますよ、っていう悪魔の微笑みだったのよね。」
「そりゃ、悪魔の微笑みなんて言われたんじゃそのお医者さん気の毒だけど。」
「そうね。決めたのは私だもの。」
「なにはともかく、そのピンク色の小さな乳首、とってもきれいだよ。
黒くて大きくても、きっと僕は同じことを言うけど。
そういえば、僕の祖母がおなじようだった。
僕の祖母は明治8年生まれで、祖母が73歳のときに僕は生まれているんだ。子どものころはいつも祖母が僕をお風呂に入れてくれていてね。銭湯にもいっしょに行っていた。耳の穴を洗われるのが嫌でね。手ぬぐいっていうのがあったろう、薄手の木綿の平織りの布切れ、それに石鹸をつけてそれを人差し指にきつく巻いて僕の耳の穴に突っ込むんだよ。祖母はとてもきれい好きだった。
腰が曲がっていたけど、豊かな胸でね。皺がよってはいても大きな乳房でね。幼かった僕は乳首を吸って『なにも出てこないよ』なんて言っていたな。
祖母はふりそでになっている二の腕をつまんで、『若かったときにゃこげなこつはなかった。張りきっとったばってんが』って、熊本弁でなんども言うんだ。
『18のころにゃ、川の近くで泥ば身体に塗って、それからバチャーンと川に飛び込むと。すると泥が溶けて、また上がってはおんなじことば繰り返して遊んどったとよ。』なんて言ってたな。
あなたと話してて、そんなことまで思い出しちゃった。
僕は5歳くらいかな。目のまえの腰の曲がったおばあちゃんになっている祖母に18の時があったんだって、なんだか不思議なような、夢のような気がしたな。亡くなってからずーっと後になってから、色白で大きな胸をした女性だったんだから、たぶん、とっても魅力的な、すてきな女性だったんだろうなと思ったりしたね。
90歳で亡くなったけど、遺体になったら腰がまっすぐになっていて、ああ本来はこうだったのかって少し驚いた。陰毛もすべて抜け落ちていて、膣口だけがぽーんとはっきり見えた。祖母は腰巻を身に着けていたけれど、そんなところを見るのは初めてのことだった。僕は高校生だったかな。
後になってから、クールベの『世界の起源』という絵を観たとき、ああ、ほんとうだ、確かに祖母は僕らの起源だよとおもったりした。」
「いいお話ね。
あなたのおばあちゃんの膣に執着した男性がなん人もいたのかしらね。」
「そうか、さすがにそれは知らないな。でも、とっても性的魅力に富んだ女性だったろうなとは、今でも、自分が77歳になっていても、思う。
あの戦争が終わったときにちょうど70歳。
今のあなたと変わらない年齢だ。そうか、そうだったんだ。性的に惹きつけるものがあるところは、あなたはきっと祖母と同じなんだろうな。」
「お会いしてみたかった。」
「亡くなったのは90だったから、あなたが祖母に会う可能性は現実にあったんだよ!」
「そうね。でも、今、あなたに褒められるのなら、なんでも嬉しい。」
「乳首を吸っていい?」
「そんなこと、目の前の相手に聞かないものでしょ。それとも、いつもそうやって余計なことしゃべってきたの?」
「そうだね。そういえばいつもそうだった。相手の承認をとってからやってたな。」
「へえ、無粋ね。いま風なのかもしれないけど。」
「今じゃないよ、何十年も前のことさ。」
三津野は英子の乳首に軽く唇をあてると、
「そうか、戦争が終わったとき祖母は70歳か。
その戦争の話から、落語の続きをやろう。いい?」
「はい」
英子は毛布を戻しもしないで裸の胸をさらしたままで返事をした。
「70で敗戦を迎えた祖母は、日清戦争を知っている。娘のころ川に裸で飛び込んで遊んだのはそのころのことになる。
次の日露戦争の時には30で子どもがいた。その子を二人とも火事で亡くしてしまって浄土真宗の信者になったんだ。
第一次大戦のときには40。もう僕の父もその姉も生まれていた。
満州事変が56歳のとき。まだきっと美肌で色気に溢れた女性だったんだろうな。あなたと同じだ。」
「56か。私、なにしてたかな」
「とにかく、日本の歴史開闢いらいの敗戦だ。
僕の落語もいよいよ佳境らしきものに入る。
日本的経営の凄さと崩壊の巻ってわけだ」
英子が両手を毛布から出して、エールを送るように強く握り合わせて前後に振ってみせた。
「占領軍を進駐軍と呼び変えずにおれないほど日本人は動揺していた。
でも、すぐに思い知らされる。
農地解放と財閥解体、それに東京裁判だ。
落語は財閥解体で始まる。
三菱地所が陽和不動産と開東不動産という二つの会社に分割された。その陽和不動産の株が買い占めにあったんだ。藤綱久次郎っていう株の投機家が35%の株を手に入れてしまってね。買い占めの資金は銀座の商店主から出たと言われている。
三菱側はびっくりだ。もうオーナーだった岩崎家は追い払われていない。そこで三菱グループの会社の幹部たちが集まって相談したんだ。もちろん高値で買い戻した。そりゃそうだ、三菱の中核会社だからね。
でも、大事なのはその結果なんだ。」
「へーえ、株の持ち合いって、そういうふうに始まったのね。」
「そう。株主の力から会社を守るため、だった。株を買い占めて一時的に大株主になったって、そんな奴に会社を自由にされてたまるかっていう発想だね。」
「そのセリフ、いまでもそのまま通用しそう。」
「させるかどうかが問題だがね。
でも、そのとおり。会社は誰のためにあるのかっていう根本的な問題だ。」
「私も長いあいだ考えてた。会社、っていっても広島興産っていうちっぽけな会社だけど、でも、この会社って誰のためにあるんだろう、って。」
英子はさりげなく毛布を体にかけた。
「ま、上場しているかどうかで大きな差があるよね。」
「え、どうして?」
「上場していると誰でも株を買って株主になることができる。
その他の会社、非上場の会社っていうことになるけど、それは誰のためって、経営者のためというのが原則じゃないかな。経営者イコールオーナー、すなわち株主だから。
数のうえじゃ、非上場の会社の圧倒的な部分だ。」
「じゃ、株主のためっていうのは上場会社も同じなの?」
「リクツ?実態?どっちの話が聞きたい?
リクツから言うと、誰のためっていう問い自体に意味がない。いろんな関係者、ステークホルダーがいて、その誰のためっていうのはリクツなんかでは決まらない。
はっきりしているのは、株主の過半数の賛成がないと経営者はクビっていうことだ。」
「じゃ、株主のための会社?」
「いや、違う。株主には経営はできない。企業にとって一番大事なのは経営だ。
上場企業の経営者は賢いから、株主の過半数の支持をいつも確保している。」
「さっき、リクツ?実態?って二ついってたけど、じゃ実態のほうはどうなの」
「実態は、幹部従業員の協同組合だね。いい悪いじゃない、日本の上場会社はそうやって生きてきたし、今も生きている。
もちろん会社によるけど、大部分の巨大な上場会社はそうだ。
これからはわからない。」
英子が黙ったままほんの少しだけ頷いた。三津野はそれを感じた己の感覚に満足し、彼女のことにはそれ以上触れずに続けた。
「実は、戦後日本の上場会社は単に幹部従業員の協働組合であっただけではないんだ。
すべての従業員、戦前は職工といわれていた不安定な身分の工場労働者も含めて、会社に勤めている人間すべてに終身雇用が保証されるようになったのさ。経営学者であるジェームズ・アベグレンっていうアメリカ人は、日本式経営には「終身雇用・年功序列・企業別組合の三種の神器」があると総括してみせた。1958年のことだ。僕は11歳、あなたは9歳のときのことになるね。
大事なのは、そいつが幹部従業員だけではなく、すべての従業員から会社への強烈な忠誠心を獲得することができる仕組みだったということなんだよ。
「アベグレンという名まえなら知ってる。続けて」
英子は石像のように動かない。
「それが日本を敗戦の虚脱から復活させ、やがて高度成長に導いてゆく。それどころか、さらに石油ショックも克服し、1980年ころにはアメリカへの集中豪雨的輸出という状態にまで行きついてしまったってわけだ。
「で、そのころのアメリカ人にどう見えてたかっていうお話なのね。」
「そう。
アメリカの人々から見るとどういう風景か?調べてみれば調べてみるほど、日本の上場会社は株式会社ではない、フェアな存在ではないと思われてくる。得体の知れない不思議な生き物。どう考えたっておかしいではないか、株主が存在しない株式会社が上場しているだなんて!
とこうなるわけだ。
ま、日本が悪いところをなんとか探り出したってとこかな。」
石像がこっくりと頷いた。
「で、1985年のプラザ合意だ。日本に円の切り上げを強制したのさ。
強制と言ったけど、独立国である日本に対してアメリカはなぜそんなことが可能だったのか、っていう疑問が浮かばないか?」
「竹下大蔵大臣が日本のゴルフ場からそのままの格好でこっそりと出国して、プラザホテルに駆けつけたって読んだことがある。」
「戯画だね。カリカチュアだ。でも、そのとおりだった。
日本という国家が、第二次世界大戦の敗戦のあと、一貫して国の安全保障を全面的にアメリカに委ねてきた。それがゆえの必然の帰結だ。僕も日本人の一人だから他人のことはとやかく言えない。
今になって思うのさ。プラザ合意以降の経緯は第二の敗戦と呼ぶに値する、ってね。」
突然、英子が両腕をベッドの毛布から出して大きく拍手した。
「始まり、始まり」
英子の声が二人だけの部屋に響いた。「翌年が日米半導体協定だ。
牧本次生さんという方にお話をうかがったことがあるんだ。
日立の専務をやってからソニーの専務になったという、日本としてはまことに珍しい履歴の方だよ。」
『日本半導体復権への道』っていう本を読んでね。」
<ああ、これも大木弁護士のおすすめだったけな>
そう思い出すと、なぜかまたも心が騒ぐ。しかし、素知らぬふりをして、
「2年まえに産経新聞の寺田理恵記者が書いていた記事で牧本さんのことを知って興味を持って、買って、すぐ読み始めた。
夢中になって読んでて、笑っちゃうん話なんだけど、出張があったからこりゃ時間がとれてちょうどいいやと持って行ったつもり。
ところが荷物に入ってない。で、しかたがないから大阪で同じ本をもう一冊急いで買って、読み継いだんだよ。一気に読み終わってしまった。だから、牧本さんにお会いした時に、『実は私の「日本半導体の復権への道」は上下2巻本なんです』、って申し上げたのさ。
『ミコロビシオキ』の半導体人生と仰ってる。」
「ミコロビ?シオキ?」
「うん、『半導体の市況は予測不能』だそうで、牧本さんの半導体人生を振り返ると四つの山と三つの谷の時代があったということらしいんだ。」
「それで三転び四起き、っていうわけ。面白い方ね。私もお会いしてみたい。」
「おもしろいよ。
たとえば、週刊誌に『日立製作所 従業員八万三千人のトップに牧本氏有力』って書かれたら、ある先輩に、牧本君の社長の芽があるかと思っていた。でも、これだけの出る杭になったので難しくなった気がする、と言われたそうだ。
それって、僕もいくつも思い当たる。マスコミはそれなりの予測をする。でも、それ自体が将来を決定する否定的な要素になってしまうことって、特にトップの人事ではよくあることなんだな。
僕自身も、滝野川のトップ候補なんて書かれてしまったときには、ヒヤヒヤしたよ。」
「でも、三津野さんはその通りになった。自己実現?」
「いや、他にもたくさん優れた方がいたけど、たまたまじゃないかな。前の社長が決めたんだけど、長い間部下として仕えた方だったから、たまたま他の方より信頼が厚かったということかな。」
「エコ贔屓?」
「ま、近いかな。ただし、いい意味でね」
「あなたなら、エコ贔屓だなんて誰も言わない。」
「ありがとう。
とにかく、牧山さんは日立の方だからね。重電の強い日立で半導体を率いていた、その業績悪化の責任を取らされたってことらしい。
でも、牧山さんの話をするのは、そんなことが言いたいんじゃない。
トラウマ、って表現されている、アメリカによる日本攻撃の具体的事実の指摘がとっても印象に残ったんだ。
日米半導体協定が締結されたのが1986年の9月。要するに日本市場の20%をアメリカに保証し、日本の半導体製造のコストまでアメリカ政府に開示して最低販売価格のお墨付きを事前に戴きます、っていう、まるで自由主義経済じゃない内容なんだな。
でもね、牧本さんがトラウマと表現しているのはそのことじゃない。そんなことで弱音を吐く方じゃない。
問題は、半導体協定が締結されて未だ半年しか経っていないとき、1987年3月にアメリカが通商法301条による制裁をやるって発表したことなんだ。」
「えっ?未だ半年なのに?」
「そう。でも、アメリカの凄いところはそこじゃない。
なんと、その制裁の対象が半導体そのものじゃなくって、パソコン、カラーテレビ、電動工具の三製品だったところさ。それらに100%の報復関税を賦課する、っていう内容なんだ。」
「日本の首相は誰だったの?ちゃんと文句を言わなかったの?」
「言ったさ。中曽根さんは翌月に渡米してレーガン大統領に会っている。トップ会談だ。
でも、アメリカの答は『約束じゃダメ、結果が出てからだ』という、つれないものだった。
この二つ、301条と首脳会談の決裂が日本にアメリカの怒りの大きさを思い知らせたんだな。『日本はすっかり萎縮してしまったのだ。これは一種のトラウマとなって長く尾を引いたように思われる。』と牧本さんはその本のなかで書いている。渦中にいた人物の証言だからね、僕は重いなと思ってる。『長く尾を引いた』っていう表現は腹にこたえる。」
英子はおびえたように三津野の胸のうえに置いていた腕を引っこめた。
「そうなの。アメリカなのね。それであなたは『第二の敗戦』ていうのね。」
「そうだよ。牧本さんらの払わなければならなかった代償は、自分たちの力ではどうにもならない世界のパワーゲームだったってことさ。」
「そう。どうして日本はそんな国のままでいたのかしらね。」
「それはアメリカとの戦争をしたことについて、日本人が自分の問題として反省しなかったからだろうと、僕は思っている。いまでも、反省していない、と。誰が日本をアメリカ相手の戦争に引っぱって行ったのか。誰が止めることができて、誰がそれをさせなかったのか。あの戦争は必然だったのか、そうではなかったのか。」
「ふーん、わかった。」
「それにしても牧本さんっていう方は『日はまた昇る半導体』っていう題の歌まで作ってらして、とっても面白い方だよね。
それを知ったとき、僕は本川達雄さんを思いだしたよ。」
「ああ、あの『ゾウの時間・ネズミの時間 』を書かれた方ね。それなら私も読んでる。」
「この歌を作って、それを自分で歌っているんだから、まあなんとも愉快な方だよね。」
「だから、その後の構造協議、つまり商習慣や流通構造などの国のあり方や文化にまで範囲を広げる交渉の強制が続いたけれど、こうしたことも歴史的な視野でながめないと必然性がわからない。構造協議っていうのはStructural Impediments Initiativeの和訳なんだぜ。正確に訳せば「構造障壁イニシアティブ(主導権)」とでもいうべき申し入れ、いや、指示、命令なんだよ。
構造協議のあとにはさらに範囲を広げての交渉が続いた。交渉と呼んでいるけど、アメリカの日本に対する要求、指示、命令の範囲の拡大というのが正しいんじゃないかな。
構造協議ってのは「日米包括経済協議」と名を変え、1994年からはじまる、「年次改革要望書」「日米経済調和対話」へと続いてゆく。際限のない敗戦国処理だな。財閥解体で始まって、ここまで来たってことだよ。」
「で、止まったの?」
「いや、それはない。でも、日本はその前提、与件のなかで生きていく道を探すしかないし、それが国を思う人間のやるべきことだと、僕は思っている。愚痴を言う暇があったら、少しでも石を積むのさ。きっとまた長い腕が伸びてきて叩き壊してしまう。でも、そこでまたせっせと積み始める。日本はそうやって生きていくのさ。
待てば海路の日和あり、っていうじゃないか。
鹿鳴館は華やかだったろうが、ダンスを楽しんだ日本人は一人もいないと思う。でも、ダンスをやる以上、興じて見せなくっちゃいけない。」
「それって、愉しくない。ダンスをしているのに?」
「いや、あなたの言うことに一抹の真理がある気がする。
人は生きている以上、その一瞬々々を愉しむのでなければ、人生が存在しなくなってしまう。」
三津野はベッドから立ち上がってバスタオルを身にまとうと、
「これ、コーヒーを淹れる装置みたいだね。飲む?」
「飲む。淹れて。でもバスタオルは外して。ここからあなたを見ていたいから」
「いや、熱いお湯がでてくるから、そいつはご勘弁ください。」
コーヒーのタブレットを挿入しながら、三津野は話を続けた。
「その間、1985年のプラザ合意、1986年の半導体協定の後、日本でなにが起きたか?
円高不況対策としての金利の引き下げだ。そして、当然のように株と不動産のバブルが大発生した。
えらそうにそんなこと言っているけど、後になってから振り返って言うことだからね。誰もが善かれと思ってしたことであっても、とんでもないことになることがある。
バブルは崩壊した。株が1990年と不動産が1991年ころかな。あなたが良く知っている世界のことだよね。
なんともう32年前のことになる。」
デミタスのカップを二つ、両手にひとつづつ抱えて持ちながらベッドに戻った。
「デミタス用のコーヒ―豆を使用いたしました。」
「ありがとう。」
英子は毛布で胸を隠しながらベッドの上で起き上がった。三津野は自分のカップを支えながらその横に潜り込む。左のお尻が英子の右の腰に触れた。その感触を三津野は愉しみながら、自分の小さな白いカップに唇をつけた。
「戦後の日本型資本主義は敗北した。勝者は、前回と同じ、もちろんアメリカだ。
バブル崩壊は戦後の日本の安定した社会構造の崩壊でもあった。
でも、バブル崩壊の後、人々はミニバブルとかうそぶいていて、また良い時代が戻ってくると夢見ていた。おめでたい話だ。
でも、それも今から振り返って言えることだ。」
「そう。峰夫がそう繰り返していた。だから私は言ってやったの。『違う。今回は違う、っていうのはいい加減にしないと大やけどをすることになる。
底値でいいから、売れるものはなにもかも売り払ってしまいなさい』って、そう峰夫に言ってやった。
峰夫はばかじゃないから、そうしたわ。
それで助かった。買い手がミニバブルなんてたわごとを言っている間に私たちは逃げたの。」
私たち、という言葉を英子が使ったのが気になった。だが、気取られないように、
「すごいね。英子さん、あなたは凄腕だ。
そんなこと、ほとんど誰もできなかった。
あの時は政府からして、物事を正面から視ることはしなかった。不良資産20兆とか30兆とか言って誤魔化している間に、実は100兆だって、外資系の金融機関に言われてしまった。
1997年にそのとおりになった。
あの山一証券の社長のセリフ、「社員は悪くないんです」という叫びを覚えている?」
「立派な方だと感じ入ったわ、あの方。いまどうしていらっしゃるのかしら。最後まで従業員の再就職の心配をしていらしたって聞いているけど。」
英子がカップを三津野に手渡しながら、また毛布のなかに潜り込んだ。
「要するに都市銀行が激減してメガバンクになったこと、それに大蔵省が解体されて金融庁が誕生したことに全てが象徴されていると思っている。
三津野は二つのカップを大理石の丸いテーブルにもどすべくまた立ち上がった。バスタオルを巻きつけたが、こんどは英子はなにも言わなかった。
「しかしね」
と英子の横に自分の体を滑りこませながら、話を再開し、さて英子に触れたものかと迷った。が、
<今しかない、この瞬間を逃したら、次はないかもしれない>
という思いが火の点いたように三津野の身体じゅうに広がる。身体を横にして上を向いている英子の左の胸に右の手のひらを置き、その暖かさを感じながら言葉を続けた。ほっとした。
「僕は、バブル崩壊後日本は未だに安定した構造にたどり着いていないと思っているよ。戦後40年かけて高度成長を達成した。その後にはその果実を味わっている日本の甘美な姿があった。それが、あっという間にめちゃめちゃに壊れた。
今僕らが目にしているのはその後の日本の姿だ。
僕は歴史学者の小熊英二という方の考えにとても共感しているんだ。」
<あ、これも大木先生の受け売りだ>
三津野にまたあの感情が湧きあがる。しかし、こんどは抑えつけることができた。
「日本は、森鴎外の小説のタイトルを借りていうなら、再び『普請中』になったっていうことだと思っているんだ。」
「ああ、あのドイツ時代の女性、鷗外を追いかけて日本まで来た女性が、ダンサーとして相方の男性を連れて訪日したっていう話ね。
私、あれ、嘘だと思ってる。ま、小説だから嘘でいいんだけど、きっと鷗外氏、そのころあの虚構の物語を書かなきゃいけない理由があったんだろう、って。
たぶん、奥さんの関係か、役所の関係かでそういうお話を世間に向かって打ち出す必要があったのでしょうね。鷗外さんもなんだかとても大変だったのね。」
「おもしろいね。そうかもしれない。
だって、そもそも鷗外が『舞姫』を書いたのも、そうした一種よこしまな考えがあってのことだろうからね。舞踊団の団長のセクハラを我慢して『恥じなき人』となる一歩手前の踊り子を救ったっていう話を創りあげて、その女性との純愛をドイツから来た女性と森林太郎の正伝にしてしまう。文章の力を信じていた鷗外らしい。
でも本当は『カニ屋』と人々が呼んでいた一種の娼館で知り合った女性。
悪くいっているのではない。娼館で知り合っても真実の恋はあり得る。それが人間というもの。」
三津野は自分のことを思いだしていた。鷗外のことなど批判できない。銀座でいくつの恋を拾ったことか。銀座のクラブは娼館ではない。しかし、男女関係を前提にしなければ成立しない人間関係が商売の根幹にあるところだ。
「普請中か。そうだね。
明治43年、1910年の日本は鷗外の目に建設途上だと見えた。
今の日本は?
再建途上だね。
その新しい設計図が、安倍晋三元首相の提唱したスチュワードシップであり、コーポレートガバナンスてことだ。それぞれ2014年と2015年。今、世にはジョブ型雇用、人的投資という言葉もはやっている。
それでうまく行くのかな。
大木先生は、『機関投資家とアクティビストの幸福な同棲』って説いている。」
<また大木弁護士のことになる>
頭のなかで舌打ちをした。
「株主を中心としたマルチステークホルダー論が決め手だって、大木先生はいつも言っている。
日本の巨大企業の株は海外の投資家がもっている。でも、そうした機関投資家は投資先の監視コストをかけたくない。いわゆるパッシブな投資だからね。あなたも良く知ってることだよね。
そこでアクティビストの登場となる。豊富な資金で投資先企業の分析をし、株主提案をためらわない。それどころか、スチュワードシップに自ら縛られることを誓約してしまっている機関投資家は、良質なアクティビストの提案には賛成するほかない。スチュワードシップとは受益者、すなわち年金受給者の利益のために行動する義務を意味しているんだから、もう自分たちの手は自ら縛っているのさ。というか、そもそもその手は年金受給者のために存在していたのに、国内の機関投資家は親会社なんかの利害を優先することが多かった。間違っている。
ちなみにいっておくとね、アクティビスト対会社という発想からして単なる誤解なんだよ。」
「えっ?どうして?」
「そうじゃないか、アクティビストは機関投資家に働きかけるしかない、それ自体は限界のある存在さ。でも、機関投資家が賛成してくれれば別世界が開ける。機関投資家は会社を動かす力を持っているからね。株主の過半数の賛成を確保されれば、どんなに有力な社長でもアウトさ。
この間、キャノンの御手洗さんが危うくアウトになりかかった。」
「私、アクティビストにもっと期待しているの。
たとえば最近のフジテック。
アクティビストの議決権に恐れをなして取締役候補から降りたはずの前の社長に、社外取締役までいっしょになって会長っていう訳の分からない肩書を与えた。で、それに賛成した社外取締役の入れ替えをするんだってアクティビストが言い出して、臨時株主総会になって、新しい取締役たちが選ばれてガバナンスが変わったでしょ。
あれ、少数株主に過ぎないアクティビストになにができるかを広く世の中に示したと思うの。
もちろん、あなたが言うとおり、機関投資家が後押しして初めて過半数になったということはわかっているつもり。でも、アクティビストが言い出さなかったら、なにも起きなかったんじゃないの。」
英子は身体を半身に起こして三津野に向かって話している。
二人の身体が少し離れてしまっているので、三津野には英子の二つの大きな乳房と小さな乳輪がいやでも目に入る。少ししわがよっていて、でも大きな形をたもっている。
三津野は、
「そのとおり、フジテックのガバナンスは変わった。
こうした波紋をいくつも生みながら、日本のコーポレートガバナンスが実質化していくいくつもの事件の一つだ。これからも次々に起きてくる。もう戻らない。」
英子が三津野に身体を寄せ、両腕を背中にまわした。その指先に力がこもる。
「それを私はあなたとやっていくつもりなの。」
「わかっている。」
「私は大木先生の最近おっしゃっている丹呉3原則っていうのの信者よ。
日本経済の復活には、一つ、政治頼みではうまくいかない。二つ、コーポレートガバナンスしかない。三つ、必要なら海外の力も借りる。」
三津野の左の耳元で英子の声が大きく響いた。
「そうさ。
そして、遂に、というか、やっと、セブン・アンド・アイ・ホールディングに買収提案がされた。カナダのアリマンタシォン・クシュタールっていう名の会社だ。
来たね。
去年の8月31日に企業買収指針が経産省から出されている。
それで敵対的買収はなくなった。同意なき買収と呼ぶことになった。
きっとセブンは買われる。
問題は、次はどこかだな。どこになっても不思議はない。日本の会社は実現されていない企業価値の宝庫だからね。
ウチ、滝野川不動産なんて格好のターゲットかもしれない。含みが多く、経営は幹部従業員協同組合の見本みたいなところだからね。縁故で入社したのもたくさんいる。会社への忠誠心の塊だ。会社は決して裏切らないと信じている。」
背中に置かれた英子の指さきに力が入って、爪が皮膚に食い込む感覚があった。
「トップだったあなたがそう言うのね」
英子はその場で伸びあがるようにして三津野の唇を自分の唇でおおった。英子の唇から唾液があふれ出して三津野の口に流れこむ。
唇を吸い返して英子の唾液を飲みこむと顔を離し、
「そうだよ。内実をよーく知っているからね、そう思わざるを得ない。今の社長もその前の社長も僕が選んだ。その前の社長、いまは関係会社の会長にしたけれど、いいと思って社長に就けたんだ。だけど違った。」
「え?」
英子の指さきの力がゆるむと、こんどは身体ごと左腕を下へさげる。三津野はおもわず腰を引いた。
「だめ。動いちゃだめ。」
英子が叱責する。三津野は身体を元にもどしてゆったりと英子にゆだねきると話を続けた。三津野のペニスに英子の左の指5本がからんでいる。
「はいはい、どうぞお好きに。
でも、止めろっていわれるまで落語は演じ続けるよ。」
英子が小さな声で笑いながら「そうして」と声帯をつかわないで呼気だけで答えた。耳にはうるさくない。そして左手の5本の指に軽く力が入った。
「ここからは、日本的経営の凄さと崩壊の巻だよ。」
英子が左手の指5本で話をうながした。
「実は、戦後日本の上場会社は単に幹部従業員の協働組合であっただけではないんだ。
すべての従業員、戦前は職工といわれていた不安定な身分の工場労働者も含めて、終身雇用が保証されるようになったんだよ。
さっき言った、あなたも知っているアベグレンのいう日本的経営の「終身雇用・年功序列・企業別組合の三種の神器」さ。つまり、日本的経営ってのは幹部従業員だけじゃなく、すべての従業員から会社への強烈な忠誠心を獲得することができる素晴らしい仕組みだったということなんだな。」
「ふーん」
英子が右の頬を三津野の左の頬に寄せたまま小さな息をもらし、ほんの少し頭をもたげると舌をだして三津野の乳首とそのまわりの胸をなめ始めた。
「くすぐった」
三津野が英子の上半身を持ち上げて止める。そして、そのまま英子の唇からはみ出たままの舌を自分の口で吸う。
「いやだ、くすぐったい」
こんどは英子の番だった。
「さ、もうすこしやらせて」
「はい、もういたずらしません」
英子は三津野の胸のまんなかにこんどは左頬をかさねると、大きく息を吐いた。
「それが日本を敗戦の虚脱から復活させ、やがて高度成長に導いていったっていうわけだ。朝鮮戦争のおかげが大きいね。朝鮮特需という言葉があったくらいだ。朝鮮半島の人々にとっては大変な災難だった。しかし、日本にとっては経済復興の大きなとっかかりであり支えだった。
高度成長の始まった昭和35年は僕が13歳、英子さん、あなたが11歳だよね。
安保闘争のあった年でもある。」
「なにもわからなかったけど、『安保反対』ってデモしている学生たちをテレビで観てた。岸首相って悪い人だったのかと思ってた。女子学生、樺道子さんが亡くなっちゃって。」
「それは違うよ。」
三津野はベッドのなかから半身を起こした。
「岸信介は日本の戦後史の分岐点をみごとに乗り切った人だよ。
それに、亡くなった樺さんは彼女の22年の天命の人生を生き切ったということだと思う。僕はそう思う。」
「そうなの?」
「そうだ。今になって、そう思う。
岸さんについては、『悪人面の妙に精悍な』なんて石原さんが書いている。そして石原さんは、『岸氏の話がどうにも誰よりも理が通っていて』とも言っている。テレビで党首会談があったのを観たんだね。」
「石原さんて、石原慎太郎のこと?」
「そうさ。大木先生の文学の先生でもあるそうだ。」
「そうなの。『太陽の季節』を書いて芥川賞をもらった人よね。でも作家やめて都知事になったひと」
「衆議院議員も25年間やっていた。
だいいち作家をやめただなんて、そんなこと言うと大木先生に怒られるぞ。」
「どうして」
「彼によれば、石原慎太郎は日本のゲーテなんだそうだ。」
「へえ、ゲーテなの。じゃ、『太陽の季節』は『若きウェルテルの悩み』っていうことになるのね。」
「ああ、そうかもね。
ゲーテはワイマール侯国という小さな国の宰相をしていたこともあるけど、そんなの250年も昔の話で、いまとなっちゃ大作家以外のなにものでもないだろ。石原さんも100年後にはそうなる、っていうのが大木先生の説なんだ。」
「知らなかった。あの人が石原慎太郎についえそんなこと考えていたなんて」
<こんどは石原慎太郎がらみでまた大木先生の話か>
三津野はそうおもわずにいられない自分に嫌気がさして、再びベッドの中に滑りこんだ。
「さ、落語の続きはじめるよ」
ベッドから頭を出すと、英子の髪の毛にほんの少しだけのこるともなくのこった地肌の匂いをの甘い化粧品の香りといっしょに大きく吸ってから、話を再開した。
「安保のころは高度成長が始まってもう5年くらい経っていたころだね。なんせ、1957年から1973年までの16年間、日本は年率10パーセントの成長を続けたんだからね。」
「そう、1973年は石油ショックの年。よく覚えてる。母がトイレットペーパーを大きな段ボールの箱ごと買ってたから。」
「そんなことがあったね。僕の母も同じだった。庶民はそうやって生活を守ろうとするんだよね。どうしたらいいのか、誰も教えてくれないもの。
でも、日本は凄かったね。石油ショックも克服して、1980年ころにはアメリカへの集中豪雨的輸出という状態を現出してしまったんだから。
繊維、テレビ、そして自動車」
英子が頭をベッドから出すと、仰向けになって三津野の横にならんだ。
「それが、さっきの『アメリカから見るとどうか?』っていう話になるのね。
日本の上場会社は株式会社ではない、フェアな存在ではないっていうお話。
得体の知れない不思議な生き物。株主が存在しない株式会社が上場しているだなんて、どう考えたっておかしくしか見えないって、峰夫がいつも言ってた。」
また峰夫か、とおもった瞬間、
英子が、「でも、きょうのあなたの話でよーくわかった。あの人が言っているときには、なにがなんだか分かんなかった。
あなたの話、よーくわかる。私でもわかる。ありがとう。」
思わず英子を左腕で力いっぱい抱き寄せた。
「痛い!」
「ごめん、ごめん。あんまり嬉しくってね。」
三津野は左腕の力を抜いて、左手ぜんたいを英子の胸に乗せた。乗せてから、英子の胸の乳輪について大木に聞いていたことを改めて思いだした。
<ああ、ここがそこなのか>
「だめよ、指、動かさないで。そのまま包み込んでいて」
「わかった。
では、このままで続きだ。
「ちょっと待って。あなた、薬飲んで」
「薬って?」
「今日は未だ飲んでないでしょう、バイアグラ。
私持ってきているの。長友君がくれたのよ。」
「おやおや、至れり尽くせりだ」
「そう、あの人は私にとってそういう人」
「僕に飲ませるためだって、長友氏に言ってる?」
「それは言ってない。でも、私があなたを追いかけていること知っているから、言わなくても何もかもわかってくれてると思う。」
「そうかい」
「今は空腹だからとっても効くのよ。」
英子の目がキラリと光った。
「へえ、そうなのかい。」
いつ以来かな、と思いながら答えた。バイアグラが空腹のときによく効くとは、三津野は聞いたことがなかった。
「毎朝NMNの錠剤は二粒飲んでるんだけどね。」
「あれは中長期的視点。バイアグラは超短期ね。」
「まるで株式投資の話みたいだね。」
「そうね。でも、私はNMNを飲めないの。」
「まさか」
「そう。私、3年前に肺癌で手術したから。だから、念のためにNMNは避けているのよ。長友君に相談したら、そのほうがいい、って言われて。」
「そうらしいね。僕みたいな素人にはなにもわからないけど。でも週刊誌レベルよりは上を行ってるつもりなんだけどね。でも、あなたが肺癌で手術したとはね。」
「ほら、ここ見てみて」
英子が左腕を伸ばして脇の下を右手の指で指した。
「よくわかんないなあ。内視鏡でやったっていうことだね。」
「そう。東京医大の池田教授。すぐにわからなくなりますよって言ってたけど、本当だった。
私の場合は大変だったの。
肺動脈のすぐ近くなので、MRIの画像を撮ってもよくわからなかったの。自分でも、これじゃ仕方がないなっていう気がしなくて、セカンドオピニオンをお願いして、最初は『なにもありませんよ、切られ損という言葉もありますしね。』なんて言われちゃって。」
「それって、危ないんじゃないの。放置したの?」
77歳と74歳の対話だ。病気の話になると熱がこもる。
「ううん、次の年の人間ドックでやっぱりということになって、こんどはセカンドオピニオンの先生も、「こりゃ早く切った方がいい」とおっしゃって、直行。」
でも、ふつう、そんなこと喋ってまわらないでしょうよ。あなただからアケスケに喋っているけど。」
「ま、そういえばそうだね。」
「でも聴いてくれてありがとう。あなたにはなにもかも話したい。」
英子の手術の話をききながら、三津野はつい最近の尿路結石を思いだしていた。
三重野の場合も人間ドックで見つかったのだった。7ミリになっていると言われた。
腎臓に石ができているとは6年も前から言われていたのだ。今は痛みがない。それが腎臓から降りてきたら大変、と主治医の渡辺美和子先生が心配そうに言ってくれた。
「そのときはどうしたらいいか、ご指示くださいね。」
彼女とはもう二十年の付き合いなのだ。なにひとつ心配はしなかった。
<英子にしてもこの俺にしても、金があっての話だよな>
執刀は順天堂大学の湊谷先生といった。初め衝撃波で砕くことになったのが、うまく行かなかった。
「あなたの脂肪が10ミリ厚すぎますね。」と言われた。台から降りながら、そうですかと答えるしかない。
次がファイバースコープを尿道口から入れてレーザ―で石を砕く手術になった。
全身麻酔だった。手術台に乗って麻酔が効き始めるまでの数分間、「これがこの世の見納めか」と思ったが、「なに、もう二度とみることはないのなら、見ても納める場所なんてないわけだ。」と自分でおかしくなった。
目が覚めたときには、すべて終わっていた。
そのときのことを英子に話した。
「そうだったのね。
大変だったわね。
でも、私たちだからわかる、実感することができる。
時間がないこと、今しかないこと、焦っていること。」
「そうだね。
『墓場に近き、老いらくの恋は 怖るるなにものもなし』ってわけ。」
「川田順ね。68歳。でも相手は27歳年下だった。」
「そう。川田順は84歳まで生きた。鈴鹿俊子と再婚して16年間。結局のところ、84年間生きたといってもその16年間が彼の人生の全てだったのだろうと思う。有能な実業人で歌人でもあった男が、最後に歌の世界を生き、死ぬことになろうとは。
でも、あなた、川田順のことまでよく知っているね。」
「住友財閥の常務理事だった方でしょ。
私、その歌、大好き。
前置きがあるのよね。
『若き日の恋は、はにかみて面をあからめ
壮士時の四十路の恋は世の中にかれこれ心配れども』
って。
あなたの壮士時代、四十路の恋はどんなだったのかしら。」
「世の中にあれこれ心くばらなくっちゃならないような恋かあ。
そうだよね、そりゃそうだ。」
三重野は45歳のころのことを思いだしていた。
子会社のトップになっていた。30人ほどの小さな会社だったが、社長は社長だ。自分の部屋があって、上司は身近にいない。
<その代わりに石上弘子がいたのだった。>
取引先のオーナー社長だった。夫を亡くしたばかりの50歳足らずの女性だった。それまで専業主婦だった。それが15人ほどの会社を相続して、わからないことばかりで、ウロウロするばかりだった。
見ていられなくて、アドバイスをした。
それが、言葉だけでなくなってしまうのに時間はかからなかった。
5年続いて、あからさまにいっしょになりたい様子を見せるようになったので別れを告げた。
せめてときどき会って、と言われて断った。ちょうど三津野が本社へ戻るときと重なったから、それ以上のことにはならずに済んだ。妻はなにも知らない。できないわけではなかったが、なぜか弘子のマンションにも泊まることはしなかった。もし今の時代なら?と思うこともある。もう30年前のことだ。
今の時代なら、ああはしなかったろうな。そう思っている。
「私は私の最後の恋はあなただと念じてきたの。」
三津野は、なにもかも英子にリードされている自分を感じ、それを心地よいものに思った。考えて見れば、何万人もの組織を動かすことで人生の大半を過ごしてきて、幸運にも今の場所に立っている。しかし、その立場の要求する使命も責任も無事に果たし終えた。いまは滝野川不動産の特別顧問と呼ばれている。そのうちに名誉という肩書が付く。おしもおされもしない、不動産業界の大立物ということになっている。
そうやって55年間を生きてきて未だ生きている。生きている自分が自分が英子とこうなっている、と思い直すと、我ながらとてもおかしな気がした。所詮、人生は滑稽なものでしかないという自分の割り切りとピッタリなようだなという気がして、大きな息をついた。
「二人がかりで日本の再建をするのよ。」
英子が言った。
「えっ?再建?」
「そう。それが私とあなたの使命。団塊の世代の後世への責任。
忙しく勉強して、モリモリ働いて、いまや引退して優雅な余生を送ろうとしている世代。
でも、それではいけないの。」
「ふーん、そうか、あなたはそんなことを考えているのか。」
三津野は思い切って口にした。
「で、それは峰夫氏への思いからなの?」
「違う!峰夫はなんの関係もない。峰夫は私があなたに近づくための人、踏み石」
「おやおや、恐ろしいね。踏み石、ステッピングストーンか。
僕もそうなるのかな」
「あなたは違う。あなたは私と一体になるの。」
「踏みつ踏まれつ、かい?」
「違う、違う。くっついているだけ。いずれ一つの石になる。砂が巌になって苔むすまで、っていう国歌を持った国の人間だもの。
そして、二人で一大事業に挑むのよ。」
三津野は目のまえの英子から30センチほど間をおいてから、改めて眺め直した。
<ここへ来るための77年間だったのか>
しみじみとした感慨があった。
トップ写真:イメージ 出典:Jcomp/GettyImages
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この記事を書いた人
牛島信弁護士
1949年:宮崎県生まれ東京大学法学部卒業後、検事(東京地方検察庁他)を経て 弁護士(都内渉外法律事務所にて外資関係を中心とするビジネス・ロー業務に従事) 1985年~:牛島法律事務所開設 2002年9月:牛島総合法律事務所に名称変更、現在、同事務所代表弁護士、弁護士・外国弁護士56名(内2名が外国弁護士)
〈専門分野〉企業合併・買収、親子上場の解消、少数株主(非上場会社を含む)一般企業法務、会社・代表訴訟、ガバナンス(企業統治)、コンプライアンス、保険、知的財産関係等。
牛島総合法律事務所 URL: https://www.ushijima-law.gr.jp/
「少数株主」 https://www.gentosha.co.jp/book/b12134.html