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.社会  投稿日:2014/11/27

[関口威人]【行き詰まる名古屋・河村市政】~旧料亭全焼事件に見る「一点突破」の限界~


関口威人(記者)「関口威人のグローカリズム」

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名古屋市中心部にある貴重な木造建築が、炎に包まれた。明治期から建てられていたという旧料亭「鳥久(とりきゅう)」。その保存をめぐって建物の所有者らと河村たかし市長が対立している最中の22日未明、激しい火災で建物は全焼。出火の原因はまだ特定されていないが、河村市政の課題と限界を悲しい形で露呈する事件ともなった。

火事から2晩が明けても、現場周辺には焦げたにおいが立ち込めていた。真っ黒にすすけた木造の骨組みを遠巻きに見つめたり、写真を撮りに来たりする人が絶えず、衝撃の深さを物語る。

火事2

<全焼した旧料亭「鳥久」>

建物は市内を流れる「堀川」沿いに、江戸時代末期から明治期時代に建てられた地下1階、地上2階建ての木造。戦前は「得月楼(とくげつろう)」という名の料亭で、作家の坪内逍遥らも訪れ、名古屋の古きよき「料亭文化」を伝えていたとされる。災害や戦災から免れ、戦後も料理店として親しまれていたが、客足が低迷したとして経営者は今年3月までに店を閉じ、マンションへの建て替えを決めていた。

これに「待った」をかけたのが河村市長だ。歴史的建造物を好む市長は、衆院議員時代に母校の県立高校の校舎建て替えに対し、座り込みで抗議したことまである。「鳥久」についても数年前からその行く末に関心を示し、保存の可能性を検討するよう担当課に指示していた。

市は歴史的建造物を保存、活用するための助成制度への登録などを打診したが、鳥久側は「役所にはかかわってほしくない」などとして対応を拒否。今年9月には、建物の解体工事で足場をつくるための道路や河川の占有許可を市に申請。これに対して、河村市長は行政手続法に基づく「標準処理期間」を超えても判断を下さず、手続きを保留した。この時点で異例の対応として地元紙も大きく報道したが、鳥久側は「こちらも生活がかかっている」などと頑なに譲らず、今月20日には手作業で壁をはがすなどの解体に着手した。火の手が上がったのはそのわずか2日後のことだった。

出火当時、建物は無人で、警察は放火と失火の両面から捜査。鳥久側は「30年近く過ごした建物がこんな形になるとは思わなかった」、河村市長も「名古屋にとってかけがえのない財産を失った」と、ともに肩を落とす最悪の結末となった。

市歴史まちづくり推進室によると、建物のあった地域は都市計画上の商業地域と防火地域。街並み保全としては何の規制もなく、鳥久の目の前では風俗店のネオンが輝くほど、かつての趣きはすでに失われていた。

河村市長は鳥久の保存を機に「名古屋の一大名所をつくろうとしていた」と主張するが、現実との大きな隔たりがあったことは明らかだ。建物保存以前に、街全体の治安や環境の改善が必要なはずだが、「そうした動きや指示は今のところない」と担当課は漏らす。

2007年の就任以来、「庶民革命」を掲げて数々の政策の見直しを進めてきた河村市長。だが、「採算の見通しが甘い」などとして建設を一時凍結させた陽子線がん治療施設は業者から損害金を求められ、「里山の環境を破壊する」として中断させた市道は4年以上も放置したまま。いずれも「一点突破」を狙ったものの、「線」や「面」に結びつかない事例だと言える。

25日の定例記者会見では「どえらいショック。放火だったら絶対に許せん」「市の職員は何をやっとったんだ」とお決まりの公務員批判もぶちまけた河村市長だが、「もっと前から何かできなかったかと、僕自身にも怒りがある」と一応の反省も見せた。敵を増やし、人心も離反する一方の「河村流」の行き詰まりを、これからどう突破していくつもりなのだろう。

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