[為末大学]【観客で終わるか、当事者になるか】~バッターボックスを待つ人々~
為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)
僕はバッターボックスにたつ前のネクストバッターズサークルに座っている選手を見るのが好きだ。前のバッターがピッチャーと対峙するのを見ながら一体何を考えているのかを空想するのが好きだ。順番を待っている人の心理に興味がある。
人生において、社会においてネクストバッターズサークルはほぼない。いつチャンスがくるかもわからないし、そもそもチャンスと気づかずに見逃すことも多いだろう。それでも誰の人生にでも一度や二度はバッターボックスにたつチャンスが回ってくる。問題はいつ来るのかがだれにもわからないことだ。
世の中には、バッターボックスに立つことを想像しながら生きている人生と、そうではない人生がある。もし自分に番が回ってきたら。もし今のバッターが自分だったら。そう考えながら生きている人生と、ひたすらに傍観者、ないしはヤジを飛ばす観客になっている人生がある。
バッターボックスに立つことを想像している人かどうかを見分けるにはたった一つ質問したらいい。”君ならどうする?”
普通はこうすべき、や、こうすることが正しいという返事が返ってくる人はバッターボックスに立つことを想像していない。今日見た野球の感想を言う観客であればそれでいいけれど、バッターボックスに立つ当事者としては正しい答えなんて役に立たない。バッターボックスに立つことを想像している人は、僕ならこうします、という答えを持っている。
小保方さんの会見を見て、自分だったらこう切り抜ける。マクドナルドの謝罪会見の担当者に自分がなっていたらこういう謝罪をする。紅白の司会にもし自分がなっていたらこう言おう。世の中のいろんな事象を見ながらもし自分の番がきたらこうしようと想像する。観客の人生は当事者としての想像がない。
ほとんどの想像している状況は自分の人生で起きないだろう。それでも具体的な対応を想像しておくことで、幾分か自分の思考のトレーニングにもなると思う。自分の人生の可能性を諦めた人はこのバッターボックスに立った時の想像訓練をやらなくなってしまう。だから本当にチャンスがこないし、来ても考えてもいなかったから見逃したり空振りしたり怖気付いて次の人に渡してしまう。
レース当日は今まで想像してきたものを出すだけだ、というのはよく我々の世界では言われている。順番が回ってきてから考える人は勝負に間に合わない。
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