米イラン「合意」の正体 核を棚上げした“誤解覚書(MOMU)”の危うさ
執筆:宮家邦彦(立命館大学 客員教授・外交政策研究所代表)
宮家邦彦の外交・安保カレンダー 2026#24
2026年6月15-21日
■本稿のポイント
・ 米・イラン等のMOU(了解覚書)は核開発など核心を含まない妥協の産物であり、筆者はこれを「誤解覚書(MOMU)」と厳しく見ている。
・60日という交渉期限への悲観視: ウラン濃縮や凍結資産解除など山積みの難題を、過去に2年要した合意(JCPOA)以上のペースで、わずか60日間で解決するのは不可能に近いと指摘。
・周辺勢力による破棄・戦闘再開のリスク: イスラエルのネタニヤフ政権やイラン国内の強硬派、レバノンのヒズボッラなどが合意を潰しにかかり、現場の突発事件で戦闘が再開する懸念がある。
トランプ米大統領らが「イランと合意」と発表したMOU(了解覚書)ですが、核開発や資産凍結解除、ホルムズ海峡の主権といった核心的課題は棚上げされたままであり、筆者はこれを「誤解覚書(MOMU)」になり得ると厳しく懐疑の目を向けます。イスラエルの反発や山積する難題を残したまま「60日間の追加交渉」へと先送りされた中東情勢の不透明な先行きと、欧米の今週の主要イベントについて、キヤノングローバル戦略研究所理事・特別顧問の宮家邦彦氏が鋭く分析し、展望します。(Japan In-depth編集部)
米・イラン「合意発表」に大いなる懐疑
日本のサッカーファンが固唾を飲んで見守ったFIFAワールドカップ初戦で日本が対オランダ「引き分け」に持ち込んだ頃、パキスタン首相と米大統領が「イランと合意に達した」旨発表したというニュースが速報で飛び込んできた。トランプ氏は、「イランとの取引は今や完了」と投稿したそうだが、天邪鬼の筆者は大いに懐疑的である。
署名は19日、現時点でテキストそのものも未公開ということだが、恐らく今週のJapanTimesに投稿するコラムの題は「今回のMOU(了解覚書)はMOMU(誤解覚書Memorandum of Misunderstanding)になり得る」となるかもしれない。筆者がかくも悲観的に考える理由は、大きく分けて3つある。
第一に、 今回のMOU自体は、核開発の問題を含んでおらず、ましてや正式な合意では全くないこと。
第二に、このMOUは以下の通り内容に乏しく、あくまで双方が現時点で「勝利宣言」できるように作った妥協の産物に違いないと思うからだ。例えば、
1.ホルムズ海峡について
米国は曲がりなりにも海峡を開きエネルギー価格を下落させることを最優先したのに対し、イランはホルムズ海峡に対する自国の主権を事実上確保し長期的に対米抑止力を確保しようとしているように見える
2.核兵器について
米側は「イランが核兵器を作らないと約束した」と主張するのだろうが、イラン側は核問題に関する議論を当初の取引(MOU)の対象とせず、その決着を60日後まで後回しすることに成功したという点で、核開発の権利をギリギリ確保したように思える
3.資産凍結解除について
米側はイラン側が求めていた凍結イラン資産解除を最後まで認めず、イラン側もこのMOU合意での凍結資産解除は事実上諦めたのかもしれない。
要するに、詳細はともかく、「ホルムズ海峡は開く一方、核問題は事実上棚上げした」という意味で「妥協の産物」ということだ。現時点でこれを言うのは早いかもしれないが、「イラン側の粘り勝ち」に終わりそうな様相ではないか。
イスラエル反発と戦闘再開の火種
更に、この「合意完了」を俄かに信じられない第三の理由は、イスラエルのネタニヤフ政権とイラン国内の強硬派が、それぞれ「黙っていない」可能性があるからだ。当然彼らが今回の合意を「潰しに来る」「巻き返しを図る」可能性はあるだろう。例えば、ヒズボッラやイスラエル軍が現場の「突発事件により」事実上レバノンでの戦闘が再開もしくは続行される恐れは常にある。
この関連でトランプ氏はネタニア氏を罵倒したと報じられたが、その程度でイスラエルが戦闘を止めるとは思えない。イスラエルにとってレバノンのヒズボッラ問題は自国に対するexistentialな脅威であり、恐らく安易な妥協は不可能だろうと考えるからだ。
以上の3点が、今回のMOUを筆者がメモランダムオブミスアンダスタンディングと呼ぶ理由である。
欧米外交専門家が注目する今週の国際動向
続いては、いつもなら吉岡明子主任研究員によるロシア関連コーナーなのだが、今週も同研究員多忙のため、お休みさせて頂く。次に、いつもの通り、欧米から見た今週の世界の動きを見ていこう。欧米の外交専門家たちの今週の関心イベントは次の通りだ。
6月15日 月曜日 習近平氏の誕生日
G7首脳会議(フランス、3日間)
6月16日 火曜日 欧州議会、 米製品に対する関税の解除を審議
ケニヤ、「我らの海洋」国際会議を主宰(4日間)
6月17日 水曜日 天皇皇后両陛下オランダ公式訪問
6月18日 木曜日 EU首脳、ウクライナ問題を議論
オバマ大統領センター開所式(シカゴ)
6月19日 金曜日 EU首脳会議
6月20日 土曜日 国連世界難民デー
6月21日 日曜日 父の日
コロンビアで大統領選決選投票
残された難題と「60日間」という無理難題
最後はガザ・中東情勢だが、先週まで筆者は「イラン側が早期に譲歩に応じるとは思えない。このまま停戦交渉が進展する可能性は低い」と言い続けてきた。今もこの悲観的見通しに変わりはない。報道によれば、今後60日間でウラン濃縮問題を含む残った問題を交渉するというが、中東で「60日間」というとほぼ「無期限」に近く響くのだが・・・。
この60日間で、ウラン濃縮の権利がイランにあるか否か、あるとすればどの程度まで濃縮を認めるのか、 440kgで60%の濃縮度と言われる、いわゆるイエローケーキ的な濃縮ウランを一体どこで、誰が、どのように処理するのか。また、イラン側は本当に核兵器開発を放棄すると明確に約束するか否か、更にIAEAの査察はどうなるのか、等々、微に細に交渉すべき問題が山積みとなっている。
このような状況で、果たして60日間で残り全ての問題に合意できるだろうか。2015年のJCPOAは、 160ページの大部、かつ2年近くの交渉を経てようやく出来上がった代物である。されば、たった60日であの合意以上のものができるとはとても思えない。
ホルムズ海峡の問題だってそうだ。トランプ氏は「通行料なき」海峡開放と言っているらしいが、確かこれまでイラン側は「通行料」ではなく「サービス料」としていたはず。これも含め、イラン側は本当に金を取らないのか、未来永劫「通行料ないしサービス料」を取らないと約束するのかどうか、これも、不確定要素である。
それ以外にも、いつの段階で何をしたらイランの資産凍結は解除されるのか、具体的にはイランにいつ、いくら支払われるのか、レバノンでの停戦は可能で持続できるのか、などなど、あまりに多くの問題が棚上げになったままのMOUなのだから・・・・。今週はこのくらいにしておこう。いつものとおり、この続きは今週のキヤノングローバル戦略研究所のウェブサイトに掲載する。
【よくある質問(FAQ)】
Q1:記事内にある「MOU」とは何ですか?また、筆者が言う「MOMU」とはどういう意味ですか?
A: MOUは「Memorandum of Understanding」の略で、日本語では「了解覚書(りょうかいおぼえがき)」と訳されます。正式な条約や協定を結ぶ前段階で、当事者間の基本的な合意事項を記録する文書です。これに対し、筆者は今回の合意が内容に乏しく互いの思惑がズレていることから、「Misunderstanding(誤解)」の頭文字を交えて「MOMU(誤解覚書)」という造語で皮肉を込めて表現しています。
Q2:イラン核問題の文脈で登場する「JCPOA」とはどのような仕組みですか?
A: JCPOA(Joint Comprehensive Plan of Action:包括的共同行動計画)は、2015年にイランと主要6カ国(米・英・仏・独・中・ロ)の間で結ばれたイラン核合意の正式名称です。イランが核開発を大幅に制限し、IAEA(国際原子力機関)の厳格な査察を受け入れる見返りに、欧米側が経済制裁を解除する枠組みを定めたものです。本文では、このJCPOAの交渉に2年近くを要した事実を挙げ、今回の「60日間」という交渉期限の短さを批判する比較対象として言及されています。
Q3:国際物流において「ホルムズ海峡」がこれほど重視されるのはなぜですか?
A: ホルムズ海峡は、ペルシャ湾とオマーン湾を結ぶ位置にあり、サウジアラビアやイラク、クウェートなどの主要産油国から世界中へ原油を運ぶタンカーが必ず通過する海域だからです。世界の石油輸送の極めて大きな割合を占める「チョークポイント(海上交通の要衝)」であるため、ここが封鎖または不安定化すると、世界のエネルギー価格が急騰するリスクがあります。
Q4:記事中にある「イエローケーキ」とは何を指しますか?
A: イエローケーキ(ウラン精鉱)とは、ウラン鉱石を採掘した後に初期の化学処理を施して不純物を取り除いた、黄色の粉末状の物質です。これ自体がすぐに核兵器や原発の燃料になるわけではなく、ここからさらに「ウラン濃縮」という工程を進めることで、初めて燃料や兵器としての利用が可能になります。
Q5:イスラエルがレバノンの「ヒズボッラ」を「existentialな(生存に関わる)脅威」とみなすのはなぜですか?
A: ヒズボッラは、イランから強力な資金・軍事援助を受けているレバノンのイスラム教シーア派武装組織(政治政党でもある)です。イスラエルの北側の国境と接しており、強力なロケット弾やミサイルを多数保有してイスラエルを敵視しているため、イスラエルにとっては国家の存立を直接脅かす防衛上の最重要リスクと位置づけられています。
(本稿のポイント、リード、FAQの文責:Japan In-depth編集部)
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トップ写真)ホルムズ海峡




























