[安倍宏行]【私は戸籍が32年間ありません】~無戸籍の人が1万人いる国、日本~
安倍宏行(Japan In-depth編集長/ジャーナリスト)
「編集長の眼」
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会場が静まり返った。目の前に座っている女性(あきさん:仮名)が、絞り出すような、小さな声で語ったその内容に受けた衝撃は筆舌に尽くしがたいものだった。女性支援NPO団体 ISSHO(注1)が主催した「無戸籍問題とは何か?」と題されたこのイベント、会場は満席、テレビカメラも入り熱気に包まれた。
無戸籍者とは、“何らかの理由”で親が戸籍を作らなかった人をいう。2012年、フジテレビのドラマ「息もできない夏」の主人公、武井咲さんが無戸籍の女性を演じ、話題になったことを覚えている人もいるだろうか。
法務省の調べによると、日本には533人(うち成人84人 2015年1月現在)の無戸籍者がいるという。しかし、これは氷山の一角だとの指摘もある。民間団体は少なくとも1万人の無戸籍者がいるのでは、と推定している。
無戸籍者が生まれる原因は以下の4つだ。
1「民法772条」ケース (注2)
法の嫡出推定の規定により、前夫を子の父とすることを避けるがために出生届を出さないケース。
2ネグレクトケース
親の住居が定まらず、貧困他の事情もあり、出産しても出生届を出すことまで意識が至らないか、意図的に登録を避けるケースだ。ほとんど自宅出産で援助者もなく、養育環境も整っていないことから日常的に虐待が行われていることもあるという。
3戸籍制度に反対しているケース
4「記憶喪失」や「認知症」ケース
あきさんの場合はケース1にあたる。あきさんが続けた。
「母はもう本当に婚姻関係とは思えないような奴隷のような、まさにそういったような暴力と精神的なもの、金銭的なもの、色んな苦しみの中で長い間耐え続けてきました。そういう風な環境に耐えられなくなって逃げ出してきたのですが、離婚することが出来ないまま私を妊娠しました。父は別な人。それで無戸籍に陥ってしまいました。」
あきさんのような無戸籍の人が戸籍に記載されるためには、以下の3つの方法がある。
1.戸籍上の夫から、その子が自分の子でないことを求める調停を求める(嫡出否認調停)
2.親子関係がないことの確認を求める調停を求める(親子関係不存在確認調停)
3.実父に認知を求める(認知調停)
どれもハードルが高いことには間違いない。まして、何らかの事情で逃げてきた女性が、元の夫にコンタクトを取らねばならない理由などあろうか。
こうした問題を解決するために、例えば、「何年以内に前夫からコンタクトがない場合は嫡出否認とみなす」などと、いわゆる“みなし規定”を作ることや、772条1項の、夫側の推定規定を改正することなどが考えられる。しかし、まだ民法を改正するには至っていないのが現状だ。
自身も離婚した後、生まれた子供が予期せずして無戸籍児になった経験を持つ、元衆議院議員の井戸まさえ氏は「民法722条による無戸籍児家族の会」で、“離婚後300日問題無料相談ホットライン”を運営している。あきさんもここに電話し、井戸さんと出会ったことで、実父に認知を求める、いわゆる認知調停の準備を進めているところだ。
その井戸さんが民法の矛盾点を指摘する。いわゆる「出来ちゃった婚」の問題だ。民法は、婚姻成立の日から、200日を経過した後に産まれれば、現夫の子となる、と定めているが、「出来ちゃった婚」は、妊娠に気づいてから結婚するわけだから婚姻中の懐胎とは推定されない。つまり200日ルールの適用外なのだ。したがって、本来、現夫は認知手続きをしなければいけないわけだが、実際はそうしたことにはなっていない。ダブルスタンダートではないか。
あきさんは続ける。「こうして生まれてきたことが申し訳ないということで両親には、かわいそうな思いをさせている親不孝者です。それ以外はほんとに今まで育ててくれたことに感謝しています。」
「無戸籍の人の家族への差別、というか冷たい目というか、年配の人の中には、離婚出来てない間に子を授かることに抵抗感感じることもあると思うのですが、無戸籍ということを人権問題としてとらえていただけたら。温かい目で見ていただけたらと思います。」
32年間このような思いを抱き続け、社会に認知されぬまま年を重ねていく人がこの国に沢山いることを私たちは知らねばならない。
セミナーでモデレーターを務めた大阪国際大学准教授谷口真由美氏はこう締めくくった。「(この国は)人権侵害を放置し続けている。これは国家による差別である。(無戸籍の問題に)我々も加担しているのではないか。」
(注1)
NPO法人ISSHO 代表井原美紀
東日本大震災後に、女性の支援を目的に設立された団体。暴力や貧困など、様々なリスクにさらされている女の子の支援を中心に活動している。
(注2)
「民法772条」とは、まず,(1)妻が婚姻中に懐胎した子は夫の子と推定し(嫡出推定),次に,(2)婚姻成立の日から200日を経過した後又は離婚後300日以内に出生した子については,婚姻中に懐胎したものと推定すると定めている。
また、「離婚後300日問題」と呼ばれる問題がある。具体的には、母が,元夫との離婚後300日以内に子を出産した場合,その子は民法上元夫の子と推定されるため,子の血縁上の父と元夫とが異なるときであっても,原則,元夫を父とする出生の届出しか受理されず,戸籍上も元夫の子として扱われることになるという問題のことである。あるいは,このような戸籍上の扱いを避けるために,母が子の出生の届出をしないことによって,子が戸籍に記載されず無戸籍になってしまう、という問題である。
(法務省HPより)