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.国際  投稿日:2015/3/4

[俵かおり]【エチオピア巨大ダム建設にエジプトが待った】~ナイル川の水資源を巡り紛糾~


(写真:タナ湖近くのブルーナイルの滝:エチオピアの首都アディスから300キロ北東にある。Photo/©Kaori Tawara)

俵かおり(在エチオピアジャーナリスト)

執筆記事プロフィール

ギリシャの歴史家ヘロドトスの「エジプトはナイルの賜物」との言葉のように、多くの人にとりナイル川といえばエジプトを意味する。そしてナイル川の歴史は、エジプトが5000年にわたり独占し続けてきた歴史でもある。

けれどもナイル川を地図で見ると分かるように、エジプトはナイル川の下流に位置する国で、ナイル川の主源流の一つはエチオピア北部のタナ湖から流れるブルーナイルにある。このナイル川を巡り、これまでの“ナイル川はエジプトのもの”、という構造が近年のエチオピアの経済発展により変わりつつある。

ナイル川は源流をたどるとブルーナイルとホワイトナイルに行き着く。ブルーナイルはエチオピアが、ホワイトナイルはスーダンが源流である。ナイル川は実に11カ国を流れてエジプトに注ぐのだが、その水の85%以上が実はエチオピアから流れ来ている。けれどもこの事実は意外と知られていない(エジプト人の中学生のほとんどが、ナイル川がどこから来るかについて知らないとの調査結果もあるほど。恥ずかしながら、私もエチオピアに来るまで知らなかった)。そもそもエジプトが発展したのはナイル河畔の肥沃な土地があったからだが、この肥沃な土壌は、エチオピア高原に降るモンスーンによって起きた洪水がエジプトなどのナイル河畔下流の地域に運び込んだもの。つまり、エチオピアは肥沃な土壌をエジプトに提供し続けてきた、と言える。その結果エジプトは肥沃な土地を享受し、栄えてきた。

一方のエチオピアは肥沃な土壌を提供してきたのにもかかわらず、ナイルの恩恵をほとんど受けずにきた。エチオピアは“ルーシー(注1)”の骨に見られるように“人類の発祥の地”であり、王国が勃興した時代をのぞき、今に至るまで貧困と苦難の歴史であった。

けれども、エチオピアがようやく経済発展をし始めた近年、これまでのエジプトのナイル独占状態に変化が起きつつある。その象徴的なプロジェクトがエチオピアによるブルーナイルのグランド・ルネサンス・ダム(Grand Renaissance Dam)建設だ。

エチオピアは2年間にエチオピアの西端、スーダンとの国境に近いブルーナイルにこの巨大ダムの建設を開始。完成予定は2016年で、ダムは高さ170メートルで全長1800メートル、年間電力能力は15,000GWHになる予定。

一方、エジプトの1970年完成のアスワンハイダムは高さ111メートルで全長3600メートル、年間電力は11,000GWH。つまり、グランド・ルネサンス・ダムはアスワンハイダムよりも大きなダムになり、完成した暁にはアフリカで最大の水力発電ダムになる。エチオピアはこの電力を周辺国に売る計画だ。ダム建設は総工費48億ドルのプロジェクト。これは実にエチオピアの2012年のGDPの15%にあたる。

エチオピアは現在進む鉄道や道路などの建設には他国や国際機関からの援助に頼っているが、このダム建設に関しては国債を発行するとともに、国民に広く寄付の協力を呼びかけ、資金調達をしている。エチオピア人男性は娘が通う幼稚園でも寄付の呼びかけがあったと言う。「政府は、自分たちの力だけで建設できることを世界中に示したいんだ」。

この国家の威信をかけた巨大ダム計画に対して、エジプト国内では政治家や農民たちからエチオピアが水の流れを止めるのではないかという懸念などが広がり、建設反対の声が次々と上がっている。その中にはエジプトはエチオピアの発展を望まない、という強い声まである。エジプト政府は表立って反対を表明していないものの、ダムの規模を小さくすることを要請。これに対しエチオピア政府は拒否しており、両国の関係はぎくしゃくしたものになっている。北東アフリカでは今、「ナイル・ポリティックス」と呼ばれ、大きな問題になっている。

エジプトは、エジプトと英国、エジプトとスーダンとの間で1929年と1959年に結ばれた「エジプトはナイルの75%の水を使う権利がある(残りの権利はスーダン)」という条約にのっとり、上流のプロジェクトに反対する権利があると主張している。この条約の枠組みに参加させてもらえなかったエチオピアは、このアレンジメントはフェアではないと主張、ダムが下流の国々の水の利用に影響することはないと言い、エジプト内での反対の声を事実上無視してこのダムプロジェクトを着々と進めている。

植民地化されることがなかったエチオピアはこれまで、ナイル川の利用をめぐる河畔国間の交渉や条約に参加させてもらえず、ナイルの利用に対する権限がなかった。長い間、覇者であったエジプトはこれまで国際金融機関に対して、ナイル川上のいかなるプロジェクトにも資金を貸さないように圧力をかけてきた。しかし長い間、弱小国だったエチオピアは自力でダムを作り上げるまでに成長した。

今はまだ世界の中でも最貧国の一つではあるが、政府主導の計画経済のもと、10桁代の経済発展を近年成し遂げているエチオピア。エジプトにとり、これまではナイル川の水を供給する単なる「自然の貯水地」だったエチオピアが、ナイル水を堂々と利用する国となったのだ。

「ナイル川は神が我々皆に与えた資源だ」とエチオピアのデサレン首相は最近、エジプトのメディアとのインタビューで述べた。「この資源により、エチオピアも発展し、エジプトの人々も十分な分け前を得てナイルの水により発展することができると思う」。この言葉に近年のエチオピアの自信が表れている。

(注1)ルーシー

エチオピア北東部で発見されたおよそ300万年前の化石人骨(アウストラロピテクス)で、ルーシーと名付けられた。

 

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