[為末大学]【平等でない社会に必要なのは助け合い】~才能と環境は同じではない~
為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)
子どもの頃に競争を避け、順位をつけない教育を受けた場合、大人になってから助け合い行動を取らない傾向があるという話をこの間聞いた。とても面白いと思って理由を聞いてみた。理由は子どもの頃競争をせず順位もつけなかった場合、明らかな差を目にすることが少ないので人間の能力は平等であるという考えを抱きやすいのだという。もし人間の能力が平等であるならば、優秀であるかどうかは努力次第で決まることなので、優秀でない人は努力をしてこなかった人ということになる。だから困っている人を助けない傾向にあるのだという。
子どもの頃僕と同じだけ練習したのに全く足がはやくない子もいたし、適当にやっていてもめちゃくちゃ速い子もいた。同じように頭がいい子もいたし、身長が高い子も、力が強い子もいた。それは小学生の頃だったからどう考えても努力で決まっているわけではなくて、能力、しかも先天性のもので決まっていたように思う。それはお互い一生懸命努力してみて、しかも比べてみたからはじめて明らかになることだった。
みんなには個性がある。個性とは性格だけのことをいうのではなく、能力のこともいう。つまり能力がある人もいればない人もいる。よく言われるように必ず何かの才能があるというのは、価値観が固定されていない世界ではそうだと思うけれど、残念ながら現代の社会の価値観では特に目立った才能がない人もいると思う。というよりそういう人の方が大半ではないだろうか。
才能を持って生まれた人もいるし、そうではない人もいる。いい環境もそうでない環境もある。だからこそ社会保障などでそれらを是正しお互いが助け合う必要があるのではないだろうか。私はたぶん相当に足の才能と環境に恵まれてきた。だから次の世代にそれを還元しようと思うようになった。もし全部自分の力で手に入れたものだったら、特に借りもないので返す必要もないと考えていたと思う。