[岩田太郎]【教師に全責任押しつける米・教育制度】〜 注目のアトランタ教員裁判〜
岩田太郎(在米ジャーナリスト)
「岩田太郎のアメリカどんつき通信」
米ジョージア州アトランタ市で、12人の小学校教師や校長・教頭の裁判がクライマックスを迎え、注目されている。
「この教師も、あの教師も、みな有罪なのです!」
州検察官が、大げさな劇場型の訴えで陪審員に語る。
「わが市の数千人の貧困に閉じ込められた児童たちが質の高い教育を受け、貧困から脱する機会を、この被告たちは奪ったのであります!」
州の不正・腐敗防止法に違反した疑いで、求刑は最高で35年の禁固刑だ。検察に人格攻撃を受けるこの教育者たちは一体、何をしたのか。発端は2009年から2011年にかけ、黒人が多い同市で市教育委員長や教師たちが、組織的に州標準テストの点数を不正に水増ししたことだ。
先進国中、低所得層の黒人やヒスパニック系の子供の低成績で、相対的に全体の学力達成度が低い米国では、2002年に「落ちこぼれ防止法」が成立、年間数百億ドルの連邦予算が学力格差縮小のために投入されている。各州で標準学力テストを実施、基準に達しない公立校は予算削減や閉鎖などの罰を受ける。
2009年には、「トップを目指して競え」計画が立ち上がった。テストの成績を向上させた先生に高給で報い、「ダメ先生」や「ダメ校長」を解雇、優秀でない学校を閉鎖し、チャータースクール (半民営化された公立校)を増やす内容だ。大阪市の橋下徹市長などが推進する教育改革のルーツである。
現在裁判中のアトランタの教師たちは、低成績による「ダメ教師切り」や「ダメ学校切り」を恐れ、こっそり生徒の誤答を消して正解に印をつけたり、児童に答えを教え、道を踏み外した。
不正は見逃せないし、教育者としても失格だ。しかし、貧困層の子供の学力は学校のみで引き上げることができるものではなく、親の収入や教育レベル、家族構成、親がどれだけ子と関われる時間があるか、などの要因が決定的なウェイトを占める。社会の構造的問題の結果責任を、すべて学校や教師のせいにするのは、狂気の沙汰だ。
収監で罰せられなければならないのは教師ではなく、構造的な問題の根源に意図的に立ち向かわない政治家や官僚や裁判官だ。現行の米政治・経済システムは、構造的に貧困を作り出し固定化する。だが、多くの政治家や官僚や判事はそうした収奪的体制の受益者なので、真の改革は自らの取り分を減らす。だから教師をスケープゴートに選び、自分たちの代わりに彼らを罰するのだ。
米国は1960年代から天文学的な国家予算を学力向上に費やしてきたが、一向に効果が見えないのは、そうした理由による。しかし、問題のある制度や手法を無理矢理「正しい」として硬直的に護持すると、間違ったターゲットを攻撃することになり、手詰まりや閉塞、そして事態のさらなる悪化をもたらす。
アトランタ市の場合、「犯人」の校長や教師たちは、白人社会で苦労して成功した、黒人児童の希望の星だ。だが、低い地位にある同胞を教育で向上させる道を選んだ彼らは裁量を奪われ、貧困黒人の子供救済を謳うテスト制度自体に追い詰められ、当の子供たちも救われない。
教育とは何か。長期的に社会の持続性や構成員の福祉の向上をもたらす知恵や知識を教えることだ。「イノベーション」で短期的な利益を、勝者総取り的に一部の者にもたらしても、社会自体が持続しなければ、元も子もない。国の宝である教育者を「ダメ教師」として人格攻撃し、教育を短期的成果主義のビジネスモデルに委ねた結果は、学業的な成功が圧倒的に高所得者の子弟に偏る惨状だ。
日本でも米国型教育改革の導入が叫ばれるが、しっかりした検証が必要だ。いつも何かに追われ、焦りをもたらし、じっくりした長期的思考や検証をさせない「教育」は、教育ではない。