[細川隆一郎]【〝平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して〞生きられるか】~自主憲法制定に思いをいたそう~
細川隆一郎 (政治評論家)
細川隆一郎の「THE 提言」
(一)
前号では現憲法制定の由来について述べた。つまり、現憲法は衆議院と貴族院で審議され成立したものであるということになっているが、貴族院は選挙で選ばれたものではない。だからおかしい。憲法前文には選挙により選ばれた議員によって審議制定された旨述べられているが、これは誤りであることは前号をお読み下さればよくわかることである。
なぜこのような嘘が前文に書かれたかといえば、日本の民主化は日本人の手によって進めるという日本人の意志を、主要占領国に納得してもらわなければならない理由があったからだ。その理由とは、民主化が遅れるならば、天皇陛下を戦争犯罪人として逮捕するといった強硬論があったからだ。確かオーストラリア、旧ソ連などは強硬論だった。マッカーサーとしては、天皇陛下を戦争犯罪人として逮捕すれば占領政策がうまく進まないと考えていた。だから、何とかして天皇を存続せしめる必要があると考えた。そのためには、極東委員会を構成する国々、特に旧ソ連・オーストラリアなど、天皇戦犯論の強硬な国を抑える必要があり、それには日本国民の総意によって現憲法をつくり、日本が再び戦争を引き起こす意志はないのだということを示したかったのだ。
だから、日本国民は全員、憲法に従って日本の民主化を進めるのだということを、天皇戦犯論を唱える強硬派を納得させるために、日本国民の選んだ衆参両院で可決成立したごとく見せかけたのである。
以上のごとく、現憲法成立の過程、また、前文及び各条項には、多くの嘘や矛盾点などがあり、思想、信条、党派の別を超えて直さなければならない間違った点が多々ある。
本号ではその点について述べてみることにする。
(二)
まず、前文でおかしな点をあげよう。
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」。
これは前文にある全くおかしな文章である。何となれば、日本人は〝平和を愛する諸国民〞というが、一体そういう諸国民は占領憲法を押し付けられた時、どこにあっただろうか。日本以外はすべて平和を愛する国民だったのだろうか。これはとんでもない現実離れした文章である。例えばスターリンの旧ソ連が存在していた。旧ソ連共産党の綱領並びに憲法を読むと、次のような重大なことが書かれていた。〝資本主義社会の労働者は資本家に絞られて、甘い汁は全部資本家が吸っている。だから労働者は全く気の毒な状態に置かれている。その気の毒な労働者を解放し、幸せにするために資本家並びにそれを擁護する軍隊を叩きつける戦争をしなければならない。しかも旧ソ連共産党軍のやる戦争は、労働者解放のための聖戦であり、正しい戦争であり、やらねばならぬ戦争である〞。
旧ソ連共産党は、戦争肯定論であった。現憲法が押し付けられた時には旧ソ連共産党の脅威はアメリカのみならず、欧州各国にもおびただしいものであった。いわゆる東西冷戦の真っ直中で憲法が押し付けられたのだ。
旧ソ連は、「平和を愛する諸国民」だろうか。戦争肯定論の国家を、平和を愛する国家とは絶対に言えない。憲法前文によると、危険な旧ソ連を信頼して生きていけということは全くおかしいではないか。旧ソ連には、〝公正〞もなければ、北方領土を取りっ放しであるから〝信義〞もないではないか。一体この憲法の前文を皆さんはどう考えるか。
米ソ対立、東西冷戦の時に〝平和を愛する諸国民を信頼して生きていけ〞とは漫画にもならんばかげた話だ。向う三軒両隣にいる〝物騒なやから〞のいうことを信頼して生きていけるものだろうか。そういう意味から、この憲法前文は全くおかしい。アメリカの〝日本抹殺論〞がみえみえである。憲法の前文はその憲法の精神を書いたものである。とすれば、前にも書いたようにアメリカは日本が滅びることを願ってこの憲法を押し付けたとしかいえない。
今や旧ソ連は崩壊したが、代わりに出てきたのが北朝鮮である。北朝鮮労働党の綱領並びに憲法を読むと「南にいる外国軍隊を撤退せしめて南北を統一する」と書いてある。昭和25年6月25日に勃発した朝鮮動乱は、前記の憲法などによって引き起こされたものである。朝鮮動乱は米軍の応援によって、北朝鮮軍を38度線まで追い返して今日に至っている。なお、38度線は軍事境界線と言って、南北両国の国境ではない。従って北朝鮮軍がいつ南進するか分からない。それどころか北朝鮮のミサイルは多数あり、アメリカに向けて発射する準備を着々と進めている。これに対し米軍は今、新たに迎撃ミサイルの開発に取り掛かっている。北朝鮮では、韓国及び日本を一体的なものとして見ており、先般同国が発射したミサイルは、日本上空を通り越して太平洋に落下した。つまり、北朝鮮ミサイルは完全に日本を射程内においているのだ。これに対する日本の防衛体制はゼロに等しい。ミサイルを途中で撃ち落とす能力、あるいは北朝鮮のミサイル発射台を事前に打ち壊す能力も日本にはない。北朝鮮から見れば、日本は蛇に睨まれた蛙に等しい有様だ。
皆さん、北朝鮮は、「平和を愛する国民」だろうか。憲法前文によるとこんな危険な国を信頼して生きていけるものだろうか。
たとえば、北陸では先に、女子中学生が北朝鮮の工作員によって拉致されたではないか。こんな事件は枚挙に暇がない。日本人妻の日本帰国を認めたというが、その数は少なく、話にならない。人道上から見ても、とんでもない国が北朝鮮ではないか。そういう国を信頼して生きていけるものか。生きていけないではないか。現に多くの日本人が北朝鮮の工作員によって拉致され、生死がわからないではないか。とんでもない国だ。そんな国を信用できるか。しかし、憲法では信頼して生きていくことになっている。
(三)
読者の皆さん、こんな憲法を五十余年も後生大事に持ち続けている日本人とは、また日本の政治家とは、一体何を考えているのだろうか。だから私は、政治家はその気になってこの憲法を破棄して新しいものにするか、改正しなければならないと考えているのだ。
特に自民党は昭和三十年、保守合同の際、「自主憲法の制定」を綱領の先頭においたのだ。しかるに同党は、一番国家にとって大切なこのことを放り出しているということはどうしたことか。
私達国民一人一人も、〝自主憲法の制定〞に思いをいたそうではないか。
(©細川珠生 無断複製、転載を禁じます。 (「産業新潮」1999年3月号所収) 細川珠生公式ウェブサイトより。細川隆一郎氏の他の著作は、同サイトでお読みください)