[比嘉陽子]【変動相場制に翻弄される世界最貧国】~アフリカ“マラウイ”最新リポート 2~
比嘉陽子(クリーンテックビジネス事業開発員)
アフリカの国、マラウイが独立したのは、アフリカの年と呼ばれた1960年から4年遅れた1964年である。途上国では、市場経済以外の原理が今でも強力に機能している。例えば、自家消費用の作物を育てることであったり、労働の対価を金銭ではなく食糧で支払いを受けたり、または交通費を支払って都市まで出かけ銀行口座に入金してわずかな利子を得るよりも、すぐに育つ家畜を購入して財産を貯蓄したりする行動原理がそうだ。こういった市場経済のデータに現れないモノや価値の移動が前述のギャップを生む要因になっている。
しかし、これら複数の原理が機能する途上国を数字で正確に捉えることはできないにしても、また「貧困」というのは大変多岐のジャンルにまたがっており、比較できるようなものではないにしても、これらの国が貧しいことは間違いのない事実である。
マラウイの貧しさは、生活者のレベルで見れば自然災害に脆弱な農業生産性により一日三食満足に食べることが多くの人にとって難しく、初等教育で読み書きを覚えても就業先がなく安定的な現金収入が得られないために不足分の食料を購入することも難しい、また子供の高等教育への進学費用も払えないし、ドル高の変動為替のせいでインフレが進んでおり、自国内での製品生産能力が著しく低いことが手伝って近隣諸国から輸入する生活用品も石油もトランスポーテーションも何もかも高く、国民の生活を圧迫していることにある。
電気や水道のインフラが整備されている都市部では、ひどい時には数日間も続く停電や断水も国民の生活レベルを落とす要因の一つになっている。
国家レベルで見た場合には、輸出品の6割を占める葉タバコ(加工品ではなく、原料)は国際価格の変動に振り回され、一次産品の輸出に偏った経済構造と、国内に他の産業が発展していないことと内陸国であることによる物価高、減らせない輸入需要、並びに雇用口の圧倒的な少なさによる国民の現金収入源の欠如、深刻な外貨不足があげられる。
2012年に変動為替制への移行を実施したのは、同年、当時の大統領であるビング・ワ・ムタリカ氏が職務中に執務室で急逝したことを受け、副大統領から繰り上がった親米派の前ジョイス・バンダ大統領である。
ムタリカ大統領は、度重なるIMFの変動為替制度の採用勧告を頑なに拒否し、国際組織にNOを突きつける途上国の大統領としてユニークな存在であった。
輸出の増加と輸入需要の低下による外貨不足の解消を狙い、現地通貨であるクワチャを高い価値にて固定するのをやめ、変動為替制を採用して市場の調整能力に任せるべきだとのIMFのロジックに対して、植民地支配的な考えであると一蹴。
外資系企業の商取引により発生した外貨は国外に持ち出され、内陸国であり自国内での生産能力が乏しいマラウイにおいて輸入需要は減らすことができないため、結局国内に残るのはクワチャ価値の低下による輸入費負担増だけであり、これによって引き起こされる経済不況は貧困層の生活に直接的に打撃を与えると反論した。
バンダ氏のもと変動為替制を採用した結果、実際に急激なインフレに見舞われており、石油で30%、交通機関は40%、日用品で50%も価格が上昇し、国民の生活を圧迫している(※)。バンダ大統領は、このインフレを必要悪と認識しており乗り越えなければならない辛い期間だとした。
しかし一方で、ムタリカ大統領時代にすこぶる悪かった欧米各国との関係が改善され、IMFから$157 millionの融資を得ることになる。ムタリカ大統領が大使を国外追放して怒らせた旧宗主国のイギリスや世銀、ADB(アフリカ開発銀行)も次々と援助を再開。こうして、自国の経済力の低下と経済的自立への挑戦と引き換えに、多額の国際援助と援助依存を取り戻すことになった。
しかし、それがなんと束の間で終わってしまったのである。国家ぐるみの大規模な国家予算横領事件(キャッシュゲート・スキャンダル)の発覚により、国家予算の4割を占める国際援助は再度引き上げられたのだ。2014年5月の大統領選挙で当選を掴んだのは、ムタリカ前大統領の実弟、ピーター・ムタリカ氏である。
※MALAWI:Bumpy road to economic recovery http://www.irinnews.org/report/95482/malawi-bumpy-road-to-economic-recovery
(この記事は
【世界最貧国誕生のからくり】~アフリカ“マラウイ”最新リポート 1~
の続きです。
【貧困からの脱却目指す大統領】~アフリカ“マラウイ”最新リポート 3~
に続く。本シリーズ、全3回)