[渡辺敦子]【西欧は中国の友人か】~習近平主席、英国訪問の反響 続編~
渡辺敦子 (研究者)
「渡辺敦子のGeopolitical」
前回、英国が中国の「西欧いちばんの友人」になりたがっている、という記事を書いた。もう少し「西欧(the West)」と「友人(Friend)」について書いてみようと思う。英国で出会った大抵の若い中国人の友人は、英語名を持っている。英語名、というのはつまり、ジェニー、マイケル、スーザンなどである。「若い」と書いたのは、それは40代以下の傾向であるように思えるからだ。英国人の友人との会話では、英語名を持つのは大抵国籍にかかわらず中国系である、という結論に落ち着いた。日本人と韓国人は、「英語風の本名」だったり「英語風に呼びやすくした愛称」を用いたりすることはあるが、かけ離れた英語名を使うことは少ない。
3年前、大学の寮で会ったベティ(28)の本名は、メイリンという。残念ながら漢字は知らない。華奢で物静かな彼女は涼やかな響きの「メイリン」であっても、どうにも「ベティちゃん」のイメージからは程遠く、理由を尋ねると、「英語の授業で、欧米人の先生は私たちの中国名が発音しにくいので、適当に英語名を割り当てる。それを英語名として使っている子が多い」と教えてくれた。ところによっては人権問題になりそうな話にも思えるが、彼らはその英語名を、むしろ喜んで受け入れているようだ。
中国の英語熱は昨今、大変なものだというが、あるいはそのせいもあるのだろう。また台湾人の友人によれば、中国語の発音は知らない人には困難だから、という現実的な問題によるという。これが中国語特有の問題であるのかについては、私の言語能力では判断の根拠がない。
私を含め多くの日本人の反応はおそらく、名前といえばアイデンティティの根幹だ、という情緒的なものであろう。だが本稿の興味は、そこではない。むしろ「なぜ、中国人が多くの場合、そうであるのか」である。
明治日本の急速な西欧化に比べ、体制を維持したまま行われた中国のそれは、遅々としたものであった、とされる。丸山真男は戦中、ヘーゲルの「中国の停滞性」論に依拠し、「再生産」される中国の特性は、社会の内部に対立を持たず、対立は常に外部のものとして発展してきた儒教の伝統によるものであると論じている。
「西欧(the West)」は中国にとり、紛れもなく外部であるはずだ。しかし前回の習近平主席のエピソードと、上記の英語名へのこだわりのなさから伺えることは、西洋は、中国にとっては必ずしも対立者ではないらしい、ということである。むしろガーディアン紙の “China’s best friend” という言葉が示す通り、主体はあくまで中国であり、どうも「西欧(the West)」は、その深い懐に取り込まれてしまっている感がある。
なぜそれが可能であるのか。一定のヒントはおそらく、中心—辺縁の構造で説明される華夷思想にあろう。スェーデンの国際政治学者Erik Ringmarは、中国のこの政治構造と徳川日本の領域性/中心ー辺縁の折衷的政治構造を比較し、日本がより早く西欧の仲間入りを遂げたのは、日本の構造が西欧のそれにより近かったからであると結論している。
また丸山を意訳すれば、外部の対立も、内部に取り込まれたと同時に対立ではなくなるであろう。外部の内部への取り込みは、境界が事実上存在しない中心—辺縁構造では、条件さえ整えば困難な話ではない。なぜならそれは領域の拡大であって、越境ではないからだ。実際、日本の「西側」入りは、「脱亜入欧」の言葉が示す通り、意識的な越境行為であった。
では日本はなぜ「敵」と認識され得るのか。それはまた稿を変えて行いたい。
(この記事は、【誰が英国を中国の「西欧で一番の友人」にしたいのか】~習近平主席、英国訪問の反響~ の続きです)