キャメロン首相の大いなる誤算 英国はEUから離脱するか その5
林信吾(作家・ジャーナリスト)
「林信吾の西方見聞録」
前回、英国においてEU離脱派と呼ばれる人たちは、EUに留まることのデメリットは主張できても、離脱することによっていかなるメリットが得られるのか、明確に説明できていない、と述べた。同時に、事実誤認や問題のすり替えが目に付く、ということも指摘しておこう。
まず、離脱派の議論の中でもっともポピュラーなのが、
「英国民が納めた税金のおよそ2割が、南欧の浪費国家のために使われている」
というものだが、これは数字の捏造か、善意に解釈しても、EU予算の17%ほどを英国が負担している、というデータを誤読したものであろう。
英国から相当額の資金がヨーロッパ大陸諸国に流れていることは事実だが、それは直接投資であったり、後でEUから割戻金があったりするといった類のもので、英国の税収の2割がEU諸国に流れている、という議論は成立しがたい。
まったくの事実問題として、英国議会は歳入の98%までを自分たちの裁量によって各種の予算に割り振っている。予算のおよそ4分の1を借金の返済(国債償還費)に充てざるを得ない、どこかの国と比較しても、自由度がずっと高いのだ。
もうひとつポピュラーなのが、
「EUに留まっているせいで、移民が流れ込み、自分たちの職が奪われる」
という議論だ。そもそも英国はEUの一員でありながら、一度どこかの加盟国で入国審査を通過すれば、その後の移動の自由は保障されるという、シェンゲン協定に加盟しておらず、もともと不法移民の入国は難しい。
一方では、英連邦諸国からの大量の移民を受け容れてきた歴史もあり、移民の問題は、英国とEUとの関係性の中だけで語られるものでは、決してない。
これらはいずれも、事実を正確に知らずに議論を展開している典型例だが、問題をすり替えた議論とは、具体的にどういうことか。日本でも報道されたが、サッカー元イングランド代表選手のソル・キャンベル氏が、EU離脱派に賛意を表明し、その根拠として、諸外国からやってくる選手によって、イギリス人の若手が「追いやられている」とコメントした(朝日新聞デジタルなどによる)。
この人は、もし英国がEUから離脱すれば、日本のプロ野球の「外国人枠」のようなものを設定し、イングランド国籍の選手の出場機会を増やせるとでも考えているのだろうか。サッカー市場にはサッカー市場の原理があるだけのことで、これをEUの問題と結びつけて論じるのは、いかにも無理がある。
それではどうして、キャメロン首相は,国民投票など決断したのか。
もともとEUとは、ヨーロッパが再び戦禍にさらされることのないよう、国家主権に一定の制限を加えることで、領土や資源をめぐる紛争を根絶しよう、という理念によって起ち上げられたものだ。
その詳しい経緯は、拙著『国が溶けて行く ヨーロッパ統合の真実』(電子版配信中)を是非ともご参照いただきたいが、大戦争に一度も負けたことがない英国には、大陸の官僚機構(EU委員会)が、意志決定機関として、700年の伝統を持つ英国議会の上位に立つなど我慢ならない、と考える政治家が、やはり多いのである。
加えて、英国保守党の内部事情があった。2010年の総選挙で、1997年以来の長期政権であった労働党を破ったものの、どの政党も過半数を取れない「ハング・パーラメント」の状況であった。
そこで、自由民主党(以下、自民党)との連立政権を組んだわけだが、英国の自民党というのは、旧自由党と、労働党を割って出た旧右派の社会民主党が大同団結して旗揚げしたもので、政策的には親EU色が強い。
しかし、2015年の総選挙(英国下院議員の任期は5年)では、例によって事前の世論調査の結果に反し、保守党が単独過半数を得た。
ここでキャメロン首相は、党内の反EU派を黙らせる「妙案」を思いついた。EUから離脱すべきか否かを国民投票にかける、という公約を打ち出したのである。
彼自身は、必ずしも親EU派ではないけれども、離脱すれば英国経済が大きな打撃を受けるということは、よく理解している。国民投票で、ちゃんと民意を問うた、という大義名分さえあれば、反EU派からの突き上げも少しは大人しくなる、という目論見だったのであろう。
ギリシャ危機、そして中東からの移民問題と、それに関わるテロリズムの脅威が、EU離脱派をここまで活気づかせるとは、想定外であったに違いない。
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。