日本の「民主連合」を考える 共産党は裏切る ベトナム戦争の教訓 その1
古森義久(ジャーナリスト・国際教養大学 客員教授)
「古森義久の内外透視」
共産党とはなんなのか。共産主義とはどんな政治思想なのか。日本の目の前の実例を近代の歴史というプリズムから眺めてみるのも一興だろう。
日本の政治では共産党がハイライトを集めるようになった。日本共産党は国会の選挙から地方選挙まで議席を増やし、存在感が強まってきた。とくに最近、注視されるのは共産党と他の野党との連携の動きである。2016年7月の参議院選挙では野党連合は成功したとはいえないが、日本共産党の側は他の政治勢力との共闘にますます意欲を燃やすようになった。
「統一戦線」「国民連合政権」「民主連合政府」――こんなスローガンが掲げられるようになった。
となると、私はどうしてもベトナム戦争を思い出してしまう。私自身が新聞記者としてその劇的な展開を取材したあの戦争でも同じようなスローガンが掲げられ、叫ばれていたからだ。その主役はベトナム共産党だった。
そのベトナム共産党の戦略といまの日本共産党の動向をくらべると、ぴたりと重なる部分が多い。これは歴史の偶然なのか、あるいは共産主義独自の共通項なのか。いまベトナム戦争を回顧しながら、その検証を試みることにも歴史の教訓がありそうだ。
世界を揺るがせたベトナム戦争は1975年4月30日、当時の北ベトナム軍が南ベトナム(ベトナム共和国)の大統領官邸にソ連製の戦車などで突入して占拠することで幕を閉じた。北ベトナム軍はハノイを拠点とするベトナム共産党の軍隊だった。その大部隊が南ベトナムの当時の首都サイゴン(現在のホーチミン市)を制圧し、南の政権を粉砕した。時の南ベトナム側はそれまでの野党の代表が最後の新政権を編成し、共産側との交渉、あるいは降伏を請うた。しかしまったく認められず、完全に抹殺されてしまったのだった。
私はその時、毎日新聞記者として現地にいて、戦争の終結を見届けた。南ベトナムには通算4年近く滞在して、戦火の燃え上がりや和平への交渉、そしてまた大戦闘、その背後での政治の駆け引きを目撃したが、その最大の教訓の一つは共産主義勢力との「連合」や「統一」がいかに苛酷な結末をもたらすかを実感したことだった。とくに共産主義勢力が勝利した後のかつての「連合」の仲間の切り捨ては冷酷をきわめた。
私が戦火の燃え続ける南ベトナムに赴任したのは1972年4月だった。その地では米軍と南ベトナム政府に対して北ベトナムに支援された南の「民族解放勢力」が戦いを挑んでいる、とされていた。ただしアメリカはニクソン大統領がすでに米軍撤退の方針を表明し、残るのは空軍部隊だけだった。地上戦闘部隊はもうみな引き揚げていたのだ。
当時の日本ではベトナム戦争の基本構図は一貫して「ベトナム人民vs米軍」とされていた。ベトナムの民衆が侵略してきた米軍とその手下の傀儡政権軍と戦っているという認識だった。ところが私が現地で暮らしてみると、目の前の実態はこの構図には合わないことをすぐに感じた。南ベトナムのふつうの住民は米軍を嫌いも恐れもしていないようなのだ。一般の人たちは腐敗した傀儡政権こそ非難するが、「コンサン」はもっと怖いのだという。コンサンとはベトナム語で「共産」、つまり共産主義勢力を指すのだった。日本の認識だけを頭に入れていた私は当初、この現地での実態を信じられなかった。
「南ベトナム民族解放勢力」とはなんだったのか。南ベトナムでは1969年に「南ベトナム民族解放戦線」という組織が旗揚げをした。南内部の民族独立を目指す各勢力がイデオロギーは脇において団結し、アメリカに支援された南ベトナム政府に武力闘争を挑むという主張だった。特定の政治思想にこだわらない広範な民族独立運動とされたのだ。
解放勢力は南ベトナム政府への武力攻撃を続け、同政府の基盤が揺らいできた。その劣勢をくつがえし、同政府を維持しようとしてアメリカが軍事介入した。正式の介入は1965年だった。南ベトナム政府自身が公式に米軍の支援を求めたのだ。解放勢力は1968年には南全土で大規模な攻勢に出た。米軍と果敢に戦った。テト攻勢である。その翌年、解放戦線は「南ベトナム臨時革命政府」の樹立を宣言する。南ベトナムの政府や米軍に対抗する民族独立のための臨時政府であり、特定の政治色はないという主張だった。
だが後に判明したのは「解放戦線」も「臨時革命政府」もすべて北ベトナムに本拠をおくベトナム共産党が最初から仕切っていたという事実だった。しかし当時のベトナム共産党は「南の解放戦線や臨時革命政府は北ベトナムとも共産党とも別個の存在だ」と宣言していた。「南ベトナムでの闘争には北ベトナムは直接に参加していない」とも言明していた。だがこの宣言はみな巨大な虚構だったことが明らかとなる。
(その2に続く。全三回。毎日11時配信予定)
この記事は雑誌「歴史通」2016年11月号に掲載された「共産党は裏切る ベトナム戦争の教訓」の転載です。
あわせて読みたい
この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト/麗澤大学特別教授
産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。