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.国際  投稿日:2016/12/7

切られた「連合」の仲間達 共産党は裏切る ベトナム戦争の教訓 その2


古森義久(ジャーナリスト・国際教養大学 客員教授)

「古森義久の内外透視」

ベトナム戦争の全体の歴史をここで眺めよう。第一次ベトナム戦争は1946年に始まった。第二次大戦後に植民地支配を続けようとしたフランスに対して、すでに独立を宣言していたベトナム民族独立勢力が戦いを挑んだのだ。

この闘争の真の主役はベトナム共産党だった。ソ連共産党の国際組織コミンテルンの主導で創設された政党だった。インドシナ共産党、ベトナム共産党、ベトナム労働党などと名前を変えてきたが、実態は一貫してマルクス・レーニン主義を基盤とする共産主義政党である。

だがベトナム共産党はフランスを敵とした戦争では「連合」や「統一」を押し立てて、他の非共産勢力と共闘した。フランス11軍との戦争が必至となると、表面では解党し、「ベトナム独立同盟会(ベトミン)」という連合戦線に合流した。

「しかし共産主義者たちは堅固な組織を温存し、大越党や国民党という民族主義勢力とも連帯しました。そしてともにフランス軍と戦い、戦局が有利になると、内部での非共産勢力の指導者を暗殺とか欺瞞と、あらゆる手段で抹殺し、組織全体を乗っ取っていったのです」

私はこんな説明を当時のサイゴンでチャン・バン・チュエンという古い政治家から聞いた。彼自身も国民党の幹部としてベトミンに加わったが、共産勢力に追われて、南ベトナムに移ったという経歴だった。

この第一次ベトナム戦争は1954年、ベトミンの勝利に終わり、ベトナム北部にベトナム民主共和国という国家ができた。南部にはベトナム共和国と、分断国家ができたわけだ。その北のベトナム民主共和国はすでにベトナム共産党(当時の呼称は労働党)の完全な一党独裁支配だった。

その北ベトナムが南ベトナムを武力で制圧し、統一を目指したのが第二次ベトナム戦争とされる。厳密には米軍の公式介入の1965年から1975年までで、この戦いがふつうにベトナム戦争と呼ばれるのだ。

私が赴任した時期、ベトナム戦争はまた激しくなった。北ベトナムは1972年春季大攻勢と呼ばれた猛攻撃を南領内の北部や中部で展開していた。だが北ベトナムは表面では軍事攻撃をかける主役はあくまで南の民族解放勢力だとする建前を崩さなかった。

この激しい大攻勢で南ベトナムの各地で戦火が燃え上がったが、国家の枠組みはまだまだ健在だった。だがアメリカは国内での反戦気運がさらに高まり、解放勢力側との和平交渉に応じて、すべての米軍が1973年3月に南ベトナムを撤退した。そしてそれからの2年近くベトナム人同士の戦争とも平和ともつかないせめぎあいが続いた。

パリ和平協定により南ベトナム領内には共和国政府と臨時革命政府と第三勢力という三つの政治勢力の並存が認められた。その複雑な政治状況のなかで1975年春には北ベトナムがまた南ベトナムへの一大軍事攻勢を始めた。そしてわずか55日間で南ベトナム政権を完全に軍事粉砕したのだ。

1975年4月30日のサイゴン陥落による戦争終結だった。北ベトナムが国家の総力を投入して南ベトナムを崩壊させたのだ。その間、米軍は一切、無関与だった。アメリカからの南ベトナム軍への武器弾薬の供給もすっかり減っていた。他方、北ベトナム軍は中国とソ連の両方から共産主義の連帯の下に巨大な軍事援助を受け続けた。

だがそれでも北ベトナムの共産主義政権は自国の直接の軍事介入を否定し、「南ベトナム人民の解放勢力が腐敗政権を滅ぼす」という宣言を崩さなかった。対外的には南ベトナム臨時革命政府の名を前面に出していた。

そのプロセスで敗色の濃い南ベトナム政府は必死で交渉による停戦を求めた。北側も当初は南ベトナム政権のグエン・バン・チュー大統領が辞任すれば、交渉に応じることを示唆していた。南側ではチューが辞任し、副大統領だったチャン・バン・フォンが大統領になった。だが北側はこれを「チューなきチュー政権」と呼び、はねつけた。そこで南側ではそれまで第三勢力とされたズオン・バン・ミン将軍が大統領になった。ミンはチュー政権には反対し、解放勢力側に理解があるとされた政治指導者だった。

ところが北ベトナム側は南革命政府の名の下にこのミン政権からの条件降伏への交渉の懇願に対して「ミン政権には共産主義に反対する人物がいる」と主張して、拒否したのだった。この瞬間こそがベトナム戦争の真実の時だったともいえた。いわゆる解放勢力がついに「共産主義」というキーワードを明言したからだった。

その3に続く。その1はこちら。全3回。明日11:00掲載予定。)

この記事は雑誌「歴史通」2016年11月号に掲載された「共産党は裏切る ベトナム戦争の教訓」の転載です。

 


この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト/麗澤大学特別教授

産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。

古森義久

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