[為末大]アスリートが背負うもの〜喝采が子供の砂遊びを“つくりたい”を“つくらなければ”に変える
為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)
◆アスリートが背負うもの◆
その子は砂遊びをするのが大好きだった。毎日砂場に行っては夕方になるまで夢中で何かを作っていた。あまりに毎日夢中になるものだから、気がつくと周りの子供よりも上手に作れるようになっていった。
ある日、その子の砂遊びを見た大人が言った。
「この子には才能がある」
段々とまわりに人が集まるようになってきた。
「これはすごい」
「これはとても価値がある」
気がつくと砂場の周りには人がたくさんいて、子供の手の動き一つ一つに喝采が送られた。
いつの間にか、子供の砂遊びは、“楽しいからやっている”から“意味があるからやっている”に変わっていく。がんばれがんばれもっとがんばれ。やがて“つくりたい”が“つくらなければ”に変わっていき、少しずつ子供の眉間に皺がよるようになっていった。
ふと、ある時、子供は思いついてしまう。「もし失敗したらどうなっちゃうんだろう」。その日から何をしていても、失敗してしまったときの事が頭から離れない。砂を持つ手が震えるようになる。失敗しないように間違えないように。その事ばかり頭に浮かぶ。
みんなをがっかりさせたくない。そんな想いだけで砂場遊びを続けていく。もう周りも見えず砂だけを見てどのくらい経ったのだろう。急に背中を叩かれたら知らない人が前に立っていた。
「なんで砂場遊びをやってるの?」
気がつくと涙が出ていた。
横で別の子供が夢中で砂遊びをしている。僕もただ楽しいからやっていたのに、いつの間に変わっていったんだろう。ふと見回すとみんなが笑顔でこちらを見ているのに気づく。子供は腕をまくって砂を掴んだ。大丈夫と小さくつぶやく。
「やりたいようにやればいいんだ」
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