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.社会  投稿日:2015/3/28

【一日一回「有り難う」と呟いてみて】~新・社会人へのメッセージ~


 久峨喜美子(英国オックスフォード大学政治国際関係学科博士課程在籍)

 

 
お題をいただいて、ふと思った。皆さんのように立派に会社勤めをさせていただいたことのない私に、一体なにが言えるのだろう。以前の大学で非常勤研究員をさせていただき、現在籍のオックスフォード大学では研究の傍ら細々と翻訳をさせていただいているだけである。そんな私が読者の皆さんに送ることのできるようなメッセージなどあるのだろうか。

ただここ数年いろんなことがあり、私なりに人生について考えさせられることがあった。今回はそのことについて書かせていただくことにする。

女性が研究者の世界で生きていくのは、やはり想像していたよりも辛いことの方が多い。研究手法によっては調査のため海外へ赴き、ひたすら資料や研究対象と向き合う。いろんなところへ行けて羨ましい!という声もあるが、研究費をコンスタントにとることも、安定した関係を誰かと築くことも難しい。もう少し若い頃はそれでも頑張れると思っていたことも、歳を重ねるごとにだんだん難しくなっているのも事実である。

非常勤研究員として働かせていただいたのは、最初の留学を終えてすぐのことだった。会社と大学は違うとは言うものの、やはり社会で一般的に言われているようなハラスメントは、今振り返ってみても多々あったように思う。著名な教授にゴマをする上司、人の仕事を自分の手柄にしてしまう同僚、人の結婚を黙って斡旋しようとする事務員。大学の研究所だけでもこれだけのキャラクターが揃うのだから、これから皆さんが長い旅を始める世界には、もっともっと様々な人々がいると思う。

こんな状況に耐えかね、日本にいる意味さえ見いだせなくなってしまった私が日本の大学での研究生活を辞めようと決意したその年、母が心臓発作で倒れた。たまたまイギリスでその知らせを受けた私が帰国したのは母が退院したからだったが、母の代わりに茶碗を洗いながらこの先のことを漠然と考え、目の前が真っ暗になるばかりだった。

人間生きていればいろんなことがあると人様は言うけれど、人生が動かない時期は本当にそんな助言さえ耳に入らない。ただそんな真っ暗な生活の中で一つだけ、し続けたことがある。それは心の中で一日一回、「ありがとう」とつぶやくことだ。「ありがとう」は、人に感謝を伝える時に使うことだと子供の頃教わった。でも本当は、「有り難う」そう、困難があるときに言う言葉なのだそうだ。そしてもう一つ、まだ叶っていない願いが叶ったことを感謝すること。「またオックスフォードで研究ができて幸せです」そう毎日心の中で唱えること。

これはある方からいただいた本の受け売りでしかないのだが、私は馬鹿の一つ覚えのようにそれを繰り返した。そして今、自分が戻りたかった場所で小さな仕事もいただき、いい意味で刺激を与えてくれる友人にも恵まれ、毎日を生きている。私の部屋の前には鳥が巣を作り始め、花々が芽吹くのがうかがえる。こんなに美しい光景があるのかと、毎朝目覚めるたびに思う。

人生は自分で切り開き、形作るもの。これからもそう信じて生きていけると思う。皆さんもこれからいろんな経験をされることと思う。ただ何があっても信念だけは捨てないでもらいたい。一つ山を乗り越えた先には、きっと自分が見たかった光景が広がっているから。

 

 


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