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IT/メディア  投稿日:2016/7/25

日本のジャーナリズムを問う “記者クラブ制度”の弊害


 久峨喜美子(英国オックスフォード大学 政治国際関係学科博士課程在籍)

メディア報道の在り方が昨今日本でも話題になっている。日本の報道の自由度が批判されることについて、しかしながら今更驚く事でもない気がするのは私だけだろうか。日本には記者クラブという制度があるが、その制度によって記者クラブに所属する記者のみが特権的な地位と情報へのアクセスを謳歌してきたのは事実である。しかし日本特有とも言われる記者クラブという制度がどのようなものであるのか詳細に説明しているものは少ない。

英国オックスフォード大学セント・アントニーズ・カレッジの言論の自由プログラムからの依頼で某キー局、大手新聞記者に取材させていただいたのは昨年暮れのことだ。記者クラブといっても各省、各地方自治体がそれぞれ記者クラブをもっているため、一般化するのは困難である。取材させていただいた方々は年齢性別も違うが、インタビューから記者クラブにはいくつかの共通した特徴があることがうかがえる。

まず、記者クラブに所属するには大手新聞社かキー局に所属していることが条件となる。言い換えれば雑誌記者やフリーランス、外国人記者は基本的に記者クラブに所属できない。つまり制度的に一部の記者を優遇した制度として存在してきたことになる。一般的に一つの記者クラブに所属するのは二年間程度で、一つの記者クラブに三年以上いることはほとんどない。これも取材源と安定した関係を築く一方で、一定の距離を保つためだと言う。

二つ目は所謂夜討ち朝駆けという取材方法。つまり記者クラブの取材記者は関係当局の取材源の家の前で、朝晩情報を求めて待機するというものだ。もちろんこうした取材方法は読者の方々もドラマなどのワンシーン等でご存知かと思う。元某キー局のジャーナリストで経済産業省の記者クラブに所属していた記者は、記者クラブ時代にはほとんど毎晩取材源の官舎を訪れていたという。

三つ目は記者クラブの制裁機能である。例えば東京警察庁の記者クラブに所属した経験のある某記者は、ある殺人犯の容貌を撮影したビデオを関係当局者の反対を押切りリークしたところ、一ヶ月の定例会議の出席を禁じられた。これは所謂出禁というルールで、関係当局の記者クラブに所属し、そこでの情報を主な情報源としている記者にとってはダメージとなる。というのも記者が所属するキー局や新聞社にとっては、他社が得ている情報を自社だけ報道しないという事態こそ一番避けたい事だからだ。

この関係当局者からの圧力と自社からのプレッシャーという二重苦は、談合という四つ目の暗黙のルールを作り出している。つまり自分だけ最新の情報から漏れるという最悪の状況を避けるため、夜情報元の家を訪問した後、記者同士でミーティングし、どのようなニュアンスで情報を掲載するのかを話し合う。言い換えれば腹の探り合いである。こうした暗黙の了解こそ、近年新聞各社の論点の相違が見えにくくなっている根源ではないか。

2009年以降こうした記者クラブ制度はある程度オープン化され、記者会見はフリーランス、外国人記者にも参加が許されるようになった。こうしたオープン化は政治家など主な情報源にどのような影響を与えているのだろうか。例えば2015年9月24日、国連総会でのスピーチで未曾有の難民問題解決に向けて、安倍首相は約8億1千万ドルの経済支援を実施する方針を表明した 。しかし演説直後、難民受け入れを巡る日本政府の対応に関する外国人記者からの質問に、難民問題を解決する前に女性と高齢者の労働力活用などを通して先に国内問題 を解決する必要がある、と日本国内では全く難民に対応する意思がない旨を明かしている。

こうした点を鑑みると、フリーランサーや外国人記者の日本の報道のあり方に対する批判は、今後記者クラブによる情報の要塞化と権力者の保護にチャレンジする上で重要な役割を果たすのではないか。例えばフリーランサーであり、国境なき記者団による世界の記者100名に選出された寺澤有は、司法記者クラブが判決文をクラブメンバーにしか配布しないという点について、ジャーナリスト間における言論の自由の不平等だとし、2005年訴訟を起こした。

ニューヨークタイムズ記者マーティン・ファクラーは2011年の福島第一原発の爆発後、現地記者クラブの記者が一斉に非難し、尚且つ政府と東京電力が緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステムの存在を公表しなかったことについて痛烈に批判している。しかしながらこうしたフリーランサーや外国人記者らによるジャーナリズム批判は、もちろん日本の主要メディアで報道されることはほとんどない。

日本のジャーナリズムについては、今年3月の田原総一郎氏や岸井成格氏等による報道の自由を巡る外国人記者クラブでの記者会見、4月の国連特別報告者デイビッド・ケイによる日本の言論の「不自由」に関する批判など相次いで疑念が噴出している。5月のJapan In-depthの記事では、たった1週間の国連報告者の滞在で、日本の報道の在り方を安易に批判することはできない旨の記事が掲載されていた。ごもっともである。しかしこうした日本のジャーナリズムに関する疑念は、記者クラブに所属する記者自身にも広がっているのもまた事実である。

現にインタビューに答えていただいた方々は、記者クラブ所属という経験を持ちながらもこの制度自体に疑問を抱いていた。憲法で保障されている言論の自由とは何なのか、NHKの経営委員が衆参両議院の承認を経て総理大臣によって任命されるということが言論の自由にどのように影響するのか、今日本のジャーナリズムを形成している構造自体の見直しが問われているのではないか。

 

 


この記事を書いた人
久峨喜美子同大学政治国際関係学科博士課程在籍

慶應義塾大学法学部政治学科卒業同大学法学研究科政治学専攻修了英国オックスフォード大学、コンパス(COMPAS)訪問研究員 (2011-12)現在、同大学政治国際関係学科博士課程在籍(DPhil in Politics, The Department of Politics and International Relations, University of Oxford)

久峨喜美子

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