左か右か ケンブリッジにて考える
久峨喜美子(英国オックスフォード大学 政治国際関係学科博士課程在籍)
【まとめ】
・政治哲学者スラボイ・ジジェック「右か左か」の議論、無意味と説く。
・米・仏大統領選の背後に「既存システムに対するアンチテーゼ」
・改憲論を支える理念が安倍首相にあるか?
ケンブリッジ郊外のマナーハウスに滞在し、朝、羊の鳴き声で目覚める。この土地にゆかりのある、日本憲法設立に携わった方のウィスキーに完全にノックアウトされ、イギリスには珍しいくらいの日差しも痛い。子羊の追いかけっこを窓から眺めつつ、羊が何匹も目の前で踊っているようだ。
その後一週間に渡って頭痛を残してくれたウィスキー はさておき、ケンブリッジからオックスフォードに向かう車窓をうっとり眺めながら「右か左か」について思いを馳せる。昨年のBrexit、トランプ政権誕生、そして今年6月に行われる予定のイギリス総選挙。5月のフランス大統領選も、マリーヌ・ルペンによる「極右」政権が誕生するのでは、と世間を震撼させた。
昨年からの政治情勢を巡る「右か左か」という議論について、少なからずこの単純な議論の構造に疑問を抱いているのは私だけではないはずだ。先日オックスフォード大学セント・ジョンズカレッジで講演を行った、今話題の政治哲学者スラボイ・ジジェック(Slavoj Žižek)も、右か左かについての昨今の議論に疑問を呈している。
例えばトランプ米大統領は、彼の卑劣な人種差別的発言を鑑みれば極右政権だと言いたくもなる。しかしジジェックの言うようにトランプの経済政策を辿ってみれば、 確かに財界との癒着が濃厚視されていたヒラリーの政策よりも、もしかすると「マシ」なのかもしれない 。同様にルペンとエマニュエル・マクロンによるフランス大統領選についても、ジジェックはリベラルと謳われるマクロンの方が、実は将来的には危険なのではないかと指摘する。
ジジェックの米大統領戦、仏大統領選における指摘には次の共通点がある。それは既存システムに対するアンチテーゼだ。ルペンが父親であるジャン・マリー・ルペンよりも「より緩やかでフェミニンな」移民規制を主張しようと、彼女が人種差別を助長する脅威であることには変わりない。
しかし同様に、リベラルとされるマクロンが政権をとってもそうした脅威自体なくならない、とジジェックは主張する。それは米大統領戦の時と同様、既存の資本主義システムを変えることなく、破綻しかけているヨーロッパ、あるいはフランス政治へのポジティブなビジョンもないままマクロンが勝利してしまっているからだ。つまり、こうした既存のシステムからあぶれた社会のマージンにいる人々がルペンの肥やしになっているにも関わらず、問題の本質を変えようとしないところに本当の脅威が存在するのだ。
ジジェックの視点から鑑みれば、昨今の「右か左か」と言う議論が滑稽にも思えてくる。と言うのも問題はおそらく、今や右か左かもわからないまま問題を放置し、その両極の違いさえわからなくなってきているからだ。どちらに投票したらいいかわからないけど、ルペンは多文化社会の脅威だからマクロンに投票しよう。こうした投票行動が、問題の本質を変えずに問題を大きくしていくだけだと言うことに、おそらく多くの人々が気づいていないと言う彼の指摘は確かなのかもしれない。
こうした左右軸に、日本 はどのように当てはまるだろう?先日安倍首相が2020年の憲法施行を目指す意思を表明した。戦後平和主義を保ってきた日本。第9条を含めた改憲は、日本だけでなく近隣諸国にも衝撃と緊張を与えるのは目に見えている。日本維新の会の票を得るためだけの無償教育の導入も、昨今の森友学園問題で暴露された異様な教育方針を鑑みれば、恐ろしいことのようにも思える。改憲論を支える明確な理念や原理は、果たして本当に安倍首相の中にあるのだろうか。
ちょうど70年前、GHQの憲法草案に命がけで抵抗した立役者たちは、現政権が憲法第9条を変えたいと言う意思表示を、どう見ているのだろう。自衛隊が合憲か違憲かという二分論に陥り、どこをどのように変えていくことが日本や国際社会にとってベストなのか、と言う明確な議論がないままに進んでいるこの改憲劇を、そらからどのように眺めているのだろう。
私の大好きなラガヴーリンとは比較にならないくらいパンチの効いた当時のウィスキーが、一層身にしみる。
TOP画像:スラボイ・ジジェック氏 photo by Andy Miah
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この記事を書いた人
久峨喜美子同大学政治国際関係学科博士課程在籍
慶應義塾大学法学部政治学科卒業同大学法学研究科政治学専攻修了英国オックスフォード大学、コンパス(COMPAS)訪問研究員 (2011-12)現在、同大学政治国際関係学科博士課程在籍(DPhil in Politics, The Department of Politics and International Relations, University of Oxford)