[久峨喜美子] 【ギリシャ危機、暗い見通し】~次は英のEU離脱問題~
久峨喜美子(英国オックスフォード大学 政治国際関係学科博士課程在籍)
つたない仏語を駆使しながら、エクサンプロバンスからマルセイユ、そしてオランジュへと旅を続けている。人々はサマードレスやショートパンツで現地のラベンダーの香り漂うワインやオリーブを楽しむ。緑豊かな、そして柔らかな木漏れ日の中で、約100年前セザンヌがどのように暮らし、数多くの風景画を残したのかと思いを馳せる。こうした南仏を舞台とした夏のクラッシック音楽祭巡りもオランジュで催される歌劇カルメンで見納め。オランジュでの野外オペラは南仏の夏の風物詩の一つでもあり、エクサンからオランジュへと向かう車窓から広大な地中海を眺めながら心躍る。こうした歴史と文化の豊かな観光地を見ていると、しかしながらどうしても現在のギリシャ事情を憂いざるを得ない。国内総生産(GDP)の15%を占める観光業は、ギリシャ経済の生命線と言っても過言ではない。1.6ビリオンユーロ(日本円で約2,100億円)の負債を返済期限までに返済できなかったことで、国際通貨基金(IMF)からは三行半を突きつけられ、メディアはこぞってギリシャのユーロ圏離脱の可能性について書き立てている。人々は銀行に押し掛け、一日60ユーロまでと定められた現金引き落としのために銀行窓口に並ぶ。メディアの映像の中で、腰砕けになり泣いている年老いた顧客の姿が流れると本当に胸が痛くなるばかりだ。
ギリシャ危機に関して、今月7日にはユンケル欧州委員長、独メルケル首相、仏オランド大統領、そしてチプラス首相による4首脳会談が行われたが、経済危機打開に向けてまだ望みありとしたものの、それにはチプラス政権による早急な打開策が必須であると、Grexit(ギリシャ離脱)か否かの最終決定までに実質的5日間の猶予を与えた。13日早朝4首脳による17時間による協議を終え、ギリシャは3度目のベールアウトに合意し、その代わりに負債返済と銀行再建に向けて税金の引き上げや年金の削減、国有地の売却を行うことで合意を得たという。しかしThe New York Timesも指摘している通り、これではまるで急場をしのぐためにガレッジセールを開くのと同じだ。今後の見通しは暗い。
ギリシャ危機に関して、特にイギリスの経済学者等は冷ややかな視線を注ぐ。ギリシャが今後どれほど公共サービスを削減し国民に税金を課せようと、この負債を当面完済する事はできない、というのが彼らの見解である。その事実を直視することなく、実質的にEU経済政策の政策決定者であるドイツが完済を巡ってプレッシャーをかけ続けるのは、敢えてギリシャをうやむやに罰しているとしか言いようがない、と知識人等はインディペンデント紙 (The Independent)の中で語っている。一方でドイツは、EUのギリシャへの圧力はユーロ圏の景気回復にとって必要不可欠であると固辞する。
こうしたジョン・スチュアート・ミルの功利主義的な立場に立つアングロ・サクソン対カント的な思考を持つ仏独を軸としたヨーロッパ的な考え方の相違は、2001年の米国テロに端を発したイラク戦争を巡る対立を思い起こさせる。この哲学的な相違について、ネオコンの代表的論者であるロバート・ケーガンはOf Paradise and Power: America and Europe in the New World Order (2003)の中で仏独等を金星人、英米を火星から来た人々と呼び、簡潔にそのファンダメンタルな相違について記述している。
この数々の歴史的な意見の齟齬を鑑みれば、イギリスのEU離脱の可能性は何も驚くべき事ではない。もっとも英キャメロン首相が独メルケル首相等の顔色をうかがいながら今のところEU残留の姿勢を保持しているところを見ると、英国がこの危機によって差し迫ってEUを離脱することはなさそうである。現にキャメロン首相は2017年末までにEU残留か否かをかけたレファレンダム(国民投票)を行うと、最終的な採決を延期している。しかしながらこのギリシャ危機と同時に、今後イギリスがEUに対してどのような姿勢を採るのかという点は、ヨーロッパのパワーバランスに大きく影響していくことは間違いないであろう。
ところで歌劇カルメンは、思っていた以上に素晴らしいものだった。風が思いのほか強く、アリーナの石畳の椅子に隣客としがみつきながらその歌声の美しさに酔いしれる。現在世界で最も人気のテナリストの一人、ヨナス・カウフマンの公演をこんなに小さな街の野外劇場で楽しめるとは思ってもいなかった。オランジュはそれだけ歴史深い、文化と音楽溢れる場所だということであろう。
エクサンプロバンスやオランジュのみでなく、ヨーロッパにはこうした小さな街や村々が点在している。ギリシャの各島々もその一つであろう。こうした街は、ギリシャのそれと同じく観光で経済のほとんどが成り立っている。この先何十年、何百年といかなる不況をかいくぐり、この美しい文化の源が生き延びる事をただただ願って、この地を後にした。