.社会 投稿日:2015/9/21
[為末大学]【正義一辺倒の人が孤立するわけ】〜“交渉”とはどの程度“妥協”するかということ~
為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)
5人でランチをする際に、例えば私は中華が食べたいが他の4人もそれぞれ和食やイタリアンなどが食べたい。お互いが一切譲らなければそもそもランチを食べることができないので、お互いが何をどの程度妥協するかという話をして着地させていく。交渉は基本は何を誰がどの程度妥協するかということ。ところが一切妥協しない人が交渉のテーブルに着いた時、実はそもそも取りつくしまがなくて話が始まらない。交渉はある種の共同作業のようなものだけれど、交渉だと言いながら主張をしているだけの人がいる。
怒りと脅しは奥の手で、たまに出すから効いてくる。いつも妥協する姿勢を見せず理想ばかりを突きつけてくる人とはだんだんみんな仕事をするのが嫌になって避けるようになる。正義一辺倒の人が孤立するのは、正しくないことを言っているからではなく話ができないから。
いい議論は“私は納得さえすれば自分の主張を変えるつもりでいますが、今はこの主張が正しいと思うのでお互いにあらゆる観点を交わしてみてから決めましょう”というもの。変わるつもりのない相手とは話しても無駄だとどこかで気づく。
自分が変わるつもりがないんだから相手だって変わらない。相手を尊敬するつもりがないんだから自分が尊敬されることもない。本当は自分さえ変えればいくらでもやり方があるのに原因を外部に求め、苛立ちの人生が過ぎていく。