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.国際,ビジネス  投稿日:2015/10/12

インドネシア高速鉄道、受注敗北ショック~日・中・ASEANのこれから その1~


千野境子(ジャーナリスト)

執筆記事プロフィール

インドネシア高速鉄道の受注をめぐる日中争奪戦。インドネシアは伝統的に親日的でODA(政府開発援助)最大の受取国でもあっただけに、敗れた日本のショックは大きかった。なぜ中国は勝ち、日本は負けたのか。そして日本にとっての教訓は? あらためて「事件」を振り返りながら、日本と中国、インドネシアそしてASEAN(東南アジア諸国連合)関係の今後を展望する。

■ジャカルターバンドンは中速鉄道向き

先行する日本。そこへ駆け込み参入する中国。インドネシア高速鉄道受注合戦は俄かに熱気を帯び、関係者一同が固唾を呑む中、9月4日、ジョコ・ウィドド大統領が出した決断は日中両案不採用、中速度鉄道への計画見直しだった。

関係者によればその瞬間、日本側には快哉を叫んだ人もいたという。「勝ちますよ」と表向きは平静だったものの、密かに負けを覚悟していた。勝てなかったけれど、負けなくて良かったという安堵である。

私は日中板挟みの中、ジョコ大統領もなかなか賢明な決断をしたと思った。いかにも対立・衝突を好まないASEANウェイらしい。しかし中国はこのまま引き下がらないだろうなとも思った。値引き交渉か、はたまた〝援助圧力〟か、昨今の中国の対外援助のパターンを見れば容易に想像がつく。後はインドネシア次第・・・。

あまりに呆気なく想像が的中してしまったのには少し驚いた。中国の行動パターンはホントに分かりやすい。9月29日、インドネシアは中国の新提案採用を発表した。親日国のこの〝心変わり〟に、よけいガックリ、失望した日本人も少なくあるまい。事実、インドネシアの対外信頼性が揺らぐと報じた欧米紙もあった。

私がジョコ大統領の決定を「賢明な判断」と思ったのは、そもそも建設予定の首都ジャカルタと同国第3の都市バンドン間140㌔に当面、高速鉄道は要らないと思うからだ。日本提案は時速300㌔、中国提案は時速350㌔だから、日中とも30分もあれば到着する計算だ。そんなに急いでどこへ行くの?

インドネシアは経済の減速が懸念され始めている。たった140㌔、30分のために巨費を投じる余裕があるのだろうか。贅沢なオモチャと言ったら言い過ぎかもしれないけれど。

それにインドネシアの交通インフラに巨費を投じるなら、もっと必要な対象が他に沢山ある。例えばジャカルタ首都圏の交通網の充実は致命的交通混雑解消のため最優先課題だ。渋滞は今に始まったことでなく、私がシンガポール特派員としてしばしば訪れていた1990年代末も同様だったが、最近は場所により、さらにひどくなっているという。

当時から市民が熱望していたインドネシア初のMRT(地下鉄)工事はいまようやく進んでいる。幸いこちらは日本が手掛けており、日の丸のロゴがあちこちに貼られ、日本をアピールしている。

工事のため反って渋滞が悪化した道路もあるらしいが、完成の暁にはジャカルタ首都圏の便利な足として人々に日々、利用されるのは間違いないし、日本のインフラの「安全・安心システム」が浸透すれば、市民の日本への信頼感もさらに増すことだろう。

また進出している外国企業にだって有難いはずだ。かねてより交通渋滞や港湾施設などインフラ不備のために失われるGDP(国内総生産)は相当大きいと指摘されてきた。もしかしたら走行距離140㌔の高速鉄道で得られるGDPより大きいかもしれない。

もう一つ、私が中速鉄道という選択に軍配を上げたいと思ったのは、バンドンがジャワ島西部、標高715㍍に位置する緑豊かな歴史ある高原の町だからである。19世紀初めに宗主国オランダが開拓し、夏でも涼しいこの町に、母国に帰らず余生を送ったオランダ人も多い。またそのオランダとの独立戦争でインドネシア側は町に敢えて火を放ち、退却しながら次の戦いに備えた。「バンドン火の海事件」としてインドネシア人なら誰もが知る歴史的事件だ。美しい町を一時的に失っても祖国解放に賭けたのである。

初代大統領スカルノはインドネシア人として初めて著名なバンドン工科大学に学び、独立運動と恋の青春時代を送った。そのスカルノが1955年、ネルー印首相ら新興国のリーダーを集めて開いたアジア・アフリカ会議は通称バンドン会議として世界に知られ、今年の60周年記念首脳会議(ジャカルタ)には安倍晋三首相も出席した。

現在、バンドンへの鉄道ルートは幾つかあるが、どれも老朽化したり高低差で速度制限があったりと再工事が必要なのは確かなようだ。私が期待するのはリニューアルされた快適な鉄道で緑美しい自然の風景を楽しむ高原列車の旅だ。30分ではもったいないから、1時間~1時間半くらいが良い。

つまり、こんな風にいろいろ考えると中速鉄道こそ地に足が着いた賢明な判断と思ったのである。だが覆水盆に返らず。大統領の翻意で反古になってしまい、拍手の手も引っ込めた。

【インドネシア高速鉄道、受注敗北ショック】~日・中・ASEANのこれから その2~
に続く。本シリーズ全3回)


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