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.国際  投稿日:2016/5/14

ドゥテルテ次期フィリピン大統領との付き合い方


千野境子(ジャーナリスト)

ポピュリズム=大衆迎合主義という妖怪が世界を席巻している。

フィリピン大統領選挙における南部ダバオのロドリゴ・ドゥテルテ市長の勝利、アメリカ大統領選挙共和党予備選でのドナルド・トランプ候補の一人勝ち…振り返れば、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領がクリミア併合により90%という驚異的な世論支持率を得たのも、大衆迎合主義プラス愛国主義ゆえだった。潮流はまだまだつづきそうだ。ご用心、ご用心である。

さすがに「フィリピンのトランプ」と言われるだけあって、ドゥテルテ氏は本家とよく似ている。レッドカードものの暴言の数々、そしてそれに熱狂する支持者という構図も同じだ。トランプ陣営に見え隠れする人種差別意識が見られないのは救いだが、セクハラ発言は顰蹙を買った。

内弁慶で内政しか頭にないところも共通する。損か得かがすべてで、トランプ氏の場合には同盟意識のカケラもない。外交が「妥協の芸術」と言われるのは、外交には良くも悪くも相手がいるからだが、生憎どちらも外交経験がゼロなのだ。

さらにドゥテルテ氏も「敵失」のおかげで勝利した。アキノ3世大統領が後継に指名したマヌエル・ロハス前内務・自治相は2位、女性候補のグレース・ポー上院議員が3位、一本化に失敗した時に今回の結果は見えていた。

しかし民主党候補との本選を残すトランプ氏と違って、ドゥテルテ氏は6月末に堂々国家元首に就任する。「国中の頭のいい奴らがみんな俺の部下になる」と大喜びらしい。浮かれている場合ではあるまい。

今、ドゥテルテ氏の登場とアキノ氏の退場を内心、もっとも喜んでいるのは中国のはずだ。アキノ政権下で米比同盟は再強化され、南シナ海の内海化を目論む中国にとって、アキノ氏は目障りで厄介この上なかった。

対してドゥテルテ氏。本音は中国からの援助獲得にあるとしても、中国との対話や共同開発案などを掲げ、中国も期待感を示している。しかしドゥテルテ氏は早晩、現実を思い知らされるだろう。中国にとって対話とは時間稼ぎの別名であり、共同開発も東シナ海での日本との前例がそうであったように、ポーズであると。

他の東南アジア各国は、実はそんなこと百も承知だ。ただ中国が怖いので正面切っては口にしない国が多い。「人工島に旗を立てる」などとドゥテルテ氏が少々凄んでも、老獪な中国は痛くも痒くもないだろう。

ドゥテルテ氏は、かつて米軍撤退のスキを突かれ、フィリピンが実効支配中の南沙諸島の環礁を中国に奪われた事実を思い起こし、アキノ路線を継ぎ、海洋安全保障を向上させることが求められる。それが国民のためであり、ひいてはアジア太平洋の安定のためにもなる。

ドゥテルテ氏の当選で、私は1998年5月の元俳優、ジョセフ・エストラーダ大統領(現マニラ市長)を誕生させた選挙を思い出した。投票日、エストラーダ氏の母親にインタビューする機会があった。実はエリート一家なのだが、「出来ない子ほど可愛い」の類で、母親は息子を案じ、国民に信頼される大統領になって欲しいと語ったものだ。結果は抜群の知名度と人気で当選。しかし政策遂行能力を欠き、不正蓄財疑惑から任期半ばで退陣に追い込まれ、母の願いを裏切ったのだった。

市民たちの「ドゥテルテなら何でも実現してくれそう」という、過剰で安易な期待の声を聞けば聞くほど、エストラーダの二の舞にならなければ良いがと思う。

皮肉なことに状況も似ているのだ。前任のラモス大統領もアキノ3世政権のように仕事師で手堅く、マルコス独裁崩壊後の負の時代にようやく別れを告げ、経済再建が軌道に乗るかに見え始めた矢先のことだった。それをエストラーダはすごろくに例えるなら、振り出しに戻るとまでは言えないが後退させてしまった。

単なる偶然の一致か、あるいは政治が政(まつりごと)ならぬ祭りごとのフィリピン人にとっては、生真面目な仕事師タイプはちょっと窮屈で苦手、反動で人気投票的なポピュリズムが幅を利かせるのか。これは一考に値するもう一つのテーマである。

ダバオ市長として、同市の治安を劇的に改善したというのがドゥテルテ氏のウリだ。その頃、共産ゲリラ、新人民軍(NPA)の取材でダバオ市を訪れたことがある。NPAも怖いが、ヴィジランテと称する自警団の方がもっと怖いと声を潜める市民もいた。

ダバオの流儀が国政にそのまま通用するなどと錯覚をしてはいけない。強烈な個性や魅力は時としてカリスマによる民主主義の暴走へと繋がる。

この間、フィリピン経済は平均6%を超す経済成長を記録するなど、順調に推移してきた。「アジアの病人」の汚名も返上しつつある。すでに高齢化社会が始まっている東南アジアで、人口ボーナスが当分期待出来る同国の潜在成長力は極めて高く、若いフィリピンはこれからの国だ。

奇手は要らない。このような国民のポテンシャルを総動員出来る、まっとうな政治をドゥテルテ次期大統領には望みたい。日本もそのようなフィリピンと手を携えたい。


この記事を書いた人
千野境子ジャーナリスト

横浜市出身。早稲田大学卒業。産経新聞でマニラ特派員、ニューヨーク、シンガポール各支局長の他、外信部長と論説委員長を務めた。一連の東南アジア報道でボーン上田記念国際記者賞受賞。著書に『インドネシア9・30クーデターの謎を解く』(草思社)『独裁はなぜなくならないか』(国土社)など多数。

千野境子

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