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.国際  投稿日:2016/3/23

中東で存在感増すロシアとイラン


嶌信彦(ジャーナリスト)

「嶌信彦の鳥・虫・歴史の目」

 【プーチンの荒技】

 中東が混乱し、アメリカが中東から手を引き始める中で、ジワジワと存在感を増してきているのはロシアとイランだ。

  ロシアはシリアが内乱状態となり、アサド大統領率いる政府軍と反政府軍(自由シリア軍)、ISIS(イスラム国)の三つ巴の戦闘が一進一退を続ける中、内戦5年目の2015年になって、突如シリア政府軍を支援し始めた。シリアでは、反政府軍にアメリカや欧州諸国が支援、サウジアラビアなどアラブ各国も反政府軍へ肩入れし武器、資金提供を行なうとともにアラブ連盟はシリアの参加を拒否し経済制裁を発動するに至っている。まさに三つ巴の戦いが続き、政府軍の支配地域は国土の4分の1位まで小さくなった。

  そこへ2015年秋からロシアが今度はシリア政府軍を支援する形で空爆を開始。プーチン大統領が米・欧・露の外相会議などで暫定政権樹立などを根回しし、関係国と停戦合意にこぎつける荒技をみせた。ロシアが欧米の間隙を縫って国際政治の舞台で久しぶりに外交的成果をあげた。ただロシアの意図は「対テロ戦争」を掲げISISのシリア征服の意図を挫折するために戦ったのか、中東でロシアの存在感を増しておきたくて介入したのか、本当の狙いはまだわかっていない。

  5年以上も内戦の続いているシリアで、一時的にせよロシアが乗り出してきて停戦合意に持ち込んだ外交には世界もびっくりした。むろん政府軍と反政府軍が停戦合意してもISISとの関係まで修復できるのかどうか。プーチンの手腕のみせどころは、その時に本当に問われよう。

 

【イランが活発に欧州外交】

  さらに世界を驚かせているのは、イランの動きだ。1979年のイラン革命以後、中東でも国際社会でも孤立していたイランが2015年月に欧米など6ヵ国との間で核開発の凍結を約束して長年続いてきた経済制裁を解除された途端、一挙に派手な動きをみせ始めたのである。イランの核開発疑惑が発覚したのは2002年。改革派の手によって濃縮ウラン活動は一時停止されるが、アフマディネジャド政権が登場(06年)すると再び濃縮活動を開始した。このため国連の安保理はウラン濃縮活動の全面禁止と核関連物資の移転禁止を決定。しかしイランはその後も濃縮ウランの製造を始めたため、安保理は4度目の追加制裁決議を決めた。さらに2012年、アメリカはイランから原油を輸入する国の金融機関、EUはイランとの原油、天然ガスの金融取引を禁止するとした。

  この経済制裁でイラン経済はガタガタとなり、2013年暮れにイラン・ロウハニ政権、欧米と中国、ロシアを加えた六ヵ国協議でイランのウラン濃縮活動の制限と欧米の経済制裁の一部緩和で合意した。その後も協議は続き、遂に2015年7月にイランは核開発の大幅な制約を受け入れる代わりに安保理決議や欧米各国の独自の経済制裁を解除する歴史的合意が成立した。これが今年1月から実施となったウィーン合意である。

 

 【原油収入と国民の後押しで次々と巨大商談】

  イランは経済制裁を解かれると、まず経済外交で動き出した。ロウハニ大統領が欧州を訪れオランド仏大統領らと会談、次々と経済案件を成約した。フランスとは大手エアバスの118機を購入するほか、自動車大手プジョー・シトロエングループ(PSA)とイランの自動車会社ホドロとの業務提携を発表、2017年以降に生産を開始する計画だ。

  またイタリアでも鉄鋼大手ダニエリとイラン企業との合弁会社設立で約2兆1800億円の取引を成立させたほか、伊エンジニアリング会社が製油所の改修を支援することになった。さらにフランスがテヘラン国際空港の新ターミナル建設で協力することになった。

  このほかにもイランと欧州各国の商談が次々と成立。一種のイラン旋風を巻き起こしている。イランには原油収入のほか、凍結が解除されつつある海外資産の一部を使うこともでき、資産総額は1000億ドルに上るといわれる。イランは人口8000万人の大市場でありカネをうなるほど持ち、国民も制裁解除を待ち望んでいたから、欧州にとってもノドから手が出るほどのマーケットなのだ。

  ただイランは、いまサウジアラビアとの関係が極端に悪く断交中である。またイスラエルもイランがよみがえり、再び核開発に動き出すと警戒を強め、関係悪化から国際的事件にまで広がると、イランの夢は一挙にしぼんでしまう。またイランの宗派はシーア派でアラブ諸国のスンニ派とは一線を画している。イランが今後成長するには”外交”が要となろう。

*トップ画像;Tehran, Capital of Iran/Wikimedia Commons

 


この記事を書いた人
嶌信彦ジャーナリスト

嶌信彦ジャーナリスト

慶応大学経済学部卒業後、毎日新聞社入社。大蔵省、通産省、外務省、日銀、財界、経団連倶楽部、ワシントン特派員などを経て、1987年からフリーとなり、TBSテレビ「ブロードキャスター」「NEWS23」「朝ズバッ!」等のコメンテーター、BS-TBS「グローバル・ナビフロント」のキャスターを約15年務める。

現在は、TBSラジオ「嶌信彦 人生百景『志の人たち』」にレギュラー出演。

2015年9月30日に新著ノンフィクション「日本兵捕虜はウズベキスタンにオペラハウスを建てた」(角川書店)を発売。本書は3刷後、改訂版として2019年9月に伝説となった日本兵捕虜ーソ連四大劇場を建てた男たち」(角川新書)として発売。日本人捕虜たちが中央アジア・ウズベキスタンに旧ソ連の4大オペラハウスの一つとなる「ナボイ劇場」を完成させ、よく知られている悲惨なシベリア抑留とは異なる波乱万丈の建設秘話を描いている。その他著書に「日本人の覚悟~成熟経済を超える」(実業之日本社)、「ニュースキャスターたちの24時間」(講談社α文庫)等多数。

嶌信彦

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