束縛脱した三船美佳が娘を縛る皮肉(上)高橋の「支配」と三船の「支配」
岩田太郎(在米ジャーナリスト)
「岩田太郎のアメリカどんつき通信」
年の差が24歳もある夫婦、タレント・三船美佳(33)と歌手・高橋ジョージ(57)の離婚が成立した。三船は離婚後の記者会見で解放感に浮かれた満面の笑みを浮かべ、「勝利宣言」を行った。彼女の高揚感、ハイパーさが目立つ会見には、既視感が漂っていた。
記者の質問に答える三船のハイテンションは、落語家の初代林家三平の娘で、シンガーソングライターの泰葉(55、当時46)が2007年11月、当時の夫であった落語家の春風亭小朝(61、当時52)と「あっけらかん離婚会見」を演出した際の様子に酷似していた。金屏風の前でにぎやかに満面の笑顔を見せる泰葉は、両手でピースサインを作り、隣で寂しそうな小朝と奇妙なコントラストを見せていた。喜びを隠せない泰葉はさらに、「この会見とかけて泰葉ととく。そのこころは『小朝(こわさ)知らず』」と詠み、新たな自由の素晴らしさをアピールした。
泰葉・小朝と三船・高橋の最大の違いは、後者にひとり娘、蓮音(れんおん)ちゃん(11)という子宝が授かっていることだ。会見で三船は、「一番苦しんでいるのは娘」と述べ、「母親として申し訳ない」と付け加えた。だが、関係を修復したい高橋に対して一方的に一切の接触を遮断し、自身が容赦なく推し進めた離婚訴訟騒ぎで「娘が一番傷ついているので、あたたかく見守っていただけたら」と言明しながら、娘が傷ついた責任を反省するでもなく、満面の笑みを振りまく、「マッチポンプ」的な違和感が残る会見だった。
こうして、三船は高橋による結婚の束縛を脱した。高橋は離婚後の番組出演で、「オレが子どもに見えてきたんじゃないかな。16歳で結婚して、オレは中身が変わっていないけど、向こうは成長して、抜く。幼稚に見えちゃったんじゃないかな」と分析をして見せた。
三船は、実父であり、2016年にハリウッドの殿堂入りした大俳優の三船敏郎(享年77)が1997年の死の間際まで認知しなかった、いわゆる「婚外子」だ。そうした運命の下に生まれた彼女は、常に「父親」を探し求めてきたフシがある。現在、「三船の新恋人である」と週刊誌が書き立てている神田正輝(65)も、父親くらい年の離れた人物だ。
こうして「父親」を探し続ける一方、16歳の時に結婚した「父親的存在」の高橋の束縛には耐えられなくなった。高橋と三船の力関係は、いたわり合う「夫婦」ではなく、支配に近い「父娘」であったようだ。三船の友人である北斗晶(48)も、離婚原因について、「高橋が夫というより父であった」ことを挙げていた。
高橋は、「モラハラ報道が出たのは、それと勘違いするような、近いものがあったと思う」と振り返っている。高橋は、文字通り幼な妻だった三船の自身への依存を利用した。その対等ではない力関係の本質は、妻であり娘の母である三船への信頼の欠如ではなかったか。だから、三船の人格を信じて任せるのではなく、生活の細かい管理や暴言などの支配が表出し、成長や自由を束縛したのだろう。
そうした束縛の「被害者」であった三船だが、母親で女優の喜多川美佳(67)は、父の敏郎と不倫をし、正妻である女優の吉峰幸子を苦しめた。娘の三船が夫の高橋に離婚訴訟を起こしたように、父の敏郎も本妻の幸子に離婚訴訟を起こした。だが、1992年に敏郎が認知症を患った際に愛人の喜多川は直接介護を放棄し、正妻の幸子にボケた敏郎を投げ返した。結局、敏郎と喜多川美佳の不倫関係にも真の信頼がなかったように見える。
喜多川美佳・三船美佳の母娘には、世代を超えた他者・自己への信頼感の欠如と、「父なるもの」「夫なるもの」への憧憬と憎悪が同居しており、それは、三船とその娘である蓮音ちゃんの関係にも影を落としている。なぜなら、三船が蓮音ちゃんの対人関係を、高橋が三船にしたように支配・束縛しているからである。
(束縛脱した三船美佳が娘を縛る皮肉(中)「パパといっしょ」と「パパが怖い」、束縛脱した三船美佳が娘を縛る皮肉(下)娘はやがて母の束縛を破る に続く。全3回)
あわせて読みたい
この記事を書いた人
岩田太郎在米ジャーナリスト
京都市出身の在米ジャーナリスト。米NBCニュースの東京総局、読売新聞の英字新聞部、日経国際ニュースセンターなどで金融・経済報道の訓練を受ける。現在、米国の経済・司法・政治・社会を広く深く分析した記事を『週刊エコノミスト』誌などの紙媒体に発表する一方、ウェブメディアにも進出中。研究者としての別の顔も持ち、ハワイの米イースト・ウェスト・センターで連邦奨学生として太平洋諸島研究学を学んだ後、オレゴン大学歴史学部博士課程修了。先住ハワイ人と日本人移民・二世の関係など、「何がネイティブなのか」を法律やメディアの切り口を使い、一次史料で読み解くプロジェクトに取り組んでいる。金融などあらゆる分野の翻訳も手掛ける。昭和38年生まれ。