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スポーツ  投稿日:2016/4/9

社会が求める一体感といじめ


為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)

世の中のグループを見ていると、いくら多様性が大事とはいえそれは仕事や社会全体の話で、実生活レベルでは価値観が似通った人といるほうが落ち着くわけだから、似た価値観の人が集まりやすいように思う。ではこの似た価値観は一体何で判断するかというと、実は嫌いなものではないかと私は考えている。

こんな生き方はしたくないよね。こういうことを人はするべきではないよね。それらが共有されていると、いちいちグループの中で話題を出したり、行動をするときに、自分の行動は規範に反していないかとチェックをしたりする必要がなくなる。泥酔することを微笑ましく見るグループと、人前で泥酔するなんてと見下されるグループでは、酔っ払いの私は居心地の良さがずいぶん違う。

嫌いなことや許せないことというと、何か判断が難しいと感じるが、おそらくほとんどの嫌いなことは人類で共有されていることだろうと思う。例えば子供を殴っている人がいたらそれを皆許せないと思うだろうし、殺人も許せないことにあたると思う。ところが徐々に“人の話を聞かないなんて許せない”とか、“派手なことが嫌い”とかが出てきて、そうなると個別に違いが出てくる。

ピダパンという特殊な言語を扱う民族について書かれた本を読んだが、一番の制裁は仲間はずれだそうだ。ぼんやりと民族内で漂う規範(法律がないので、なんとなくの空気)を著しく外れた人は、その後みなでまとまって食事をしている際に食事が回ってこなくなる。そしてじきに村を離れるのだけれど、大概は一人では生きていくことができず早めに寿命を終える。私たちにも似たようなことを恐れる感覚があるように思う。

この共同体内で嫌われることは何かを都度確認するのに、一番手っ取り早い行為は例を見ることだろう。誰かがわかりやすく社会的に嫌われていたり叩かれている姿をみて何はしてはならないことで、これをやったら排除されるのだということを学ぶ。

ちゃんと圧力がかかった状態では、子供達は“いわゆる”正しいことを言う。小学校の頃、道徳の授業で戦争はよくないことですと答えが決まっている作文をクラスの人間全員で書いた。うなずいている先生を見て、答えがあっていたんだとほっとした。ああいった答え合わせを繰り返し私たちの(表面上の)価値観は形成されていくのだと思う。一方それにうまくはまれないような人間は、人生のどこかではみ出てしまうか、取り繕いながら生きていく感覚になるか、うっかりはみ出て排除されてしまうことになる。いじめはそういった側面があると思う。

(為末大氏HPより)


この記事を書いた人
為末大スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役

1978年5月3日、広島県生まれ。『侍ハードラー』の異名で知られ、未だに破られていない男子400mハードルの日本 記録保持者2005年ヘルシンキ世界選手権で初めて日本人が世界大会トラック種目 で2度メダルを獲得するという快挙を達成。オリンピックはシドニー、アテネ、北京の3 大会に出場。2010年、アスリートの社会的自立を支援する「一般社団法人アスリート・ソサエティ」 を設立。現在、代表理事を務めている。さらに、2011年、地元広島で自身のランニン グクラブ「CHASKI(チャスキ)」を立ち上げ、子どもたちに運動と学習能力をアップす る陸上教室も開催している。また、東日本大震災発生直後、自身の公式サイトを通じ て「TEAM JAPAN」を立ち上げ、競技の枠を超えた多くのアスリートに参加を呼びか けるなど、幅広く活動している。 今後は「スポーツを通じて社会に貢献したい」と次なる目標に向かってスタートを切る。

為末大

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