晴らすべきは業界の「闇」 漫画アニメ立国論 その7
林信吾(作家・ジャーナリスト)
「林信吾の西方見聞録」
前回、日本の漫画業界を支えているプロダクション・システム=アシスタント制度について、これこそ日本型ものづくりの姿である、と述べた。
そもそも私が「漫画アニメ立国論」などというテーマを思いついたのは、前々から、こういう職人の徒弟制度のようなものが、実は大衆消費社会の市場を席巻する原動力たり得るのではないか、と考えていたからでもある。
しかしそれでは、そうしたシステムに問題はないのだろうか。
結論から言えば、大いなる問題をはらんでいる、と言わざるを得ない。
まず第一に指摘せねばならないのは、この業界の苛酷さである。
「48時間寝ないなどザラ。締切のストレスで胃はボロボロ。缶コーヒーは一日10本、タバコは呼吸のように一日7箱」
ある漫画家の回想だが、昭和の流行歌の歌詞を剽窃すれば、これじゃ体にいいわけない。
共に仕事をするアシスタントたちも、同様の苛酷さを味わうわけで、別の漫画家は、
「お願いですから家に帰らせて下さい」
と言って泣き出したアシスタントの逸話を紹介している。まるでブラック企業だ。
百歩譲って、ここまでは、好きなことで飯を食うというのは、そう簡単なことではないのだ、と達観することもできるかも知れない。しかし、食べて行けない現実があったとしたら、どうだろうか。
近年アニメを見て、最後のテロップの「作画」という項目に、中国人や韓国人の名前がズラリと並ぶことに、お気づきではないだろうか。
アニメーターと呼ばれる人たちだが、彼らは漫画のアシスタントと同様、いや、それ以上に苛酷な長時間労働を強いられ、それでいて単価が安い。
実は高校の後輩に、アニメーターになった者がいるので、業界の内膜を多少は聞きかじっているのだが、端的に言うと、かなりの経験を積んでも、年収200万円を超えるのはなかなか難しく、これでは妻子など養えないということで、結婚が決まると「寿退社」を選ぶ男性が多いのだそうだ。
映画であれTVであれ、毎秒24コマの画像があって、はじめて自然な動画になるのだそうで、これは実写でもアニメでも変わらない。
逆に言うと、アニメでもって実写と同様の躍動感を描き出そうとすれば、1秒につき24枚もの原画が必要だということになる。
そんなスピードで絵を描くことができる人間はこの世にいないから、これまた逆に言えば、1時間のアニメ映画を作るために必要な原画の枚数は、膨大なものとなってしまう。
日本に比べて人件費の安い中国や韓国へ「生産拠点」が移って行くのは、自然な流れなのだ。しかし、本当にそれでよいのだろうか。
漫画家に話を戻すと、こちらはこちらで「連載貧乏」という言葉がある。まだ経験が浅いうちに連載が決まると、急に仕事量が増えることから、アシスタントを採用せざるを得なくなる。
言うなれば従業員を雇うことになるわけだが、連載1本だけでは(大ヒットして多額の印税が入れば話は別だが)、アシスタントの人件費まで負担する生活など、とても維持できない。私が「漫画アニメ立国論」をとなえるもうひとつの理由が、ここにある。
あらためて指摘するのもおかしなものだが、もともと資源に恵まれない島国である日本で、今や危機的なまでの少子高齢化が進んでいる。
そのような日本が21世紀も社会の活力を保って行くためには、一人でも多くの若者に、絵でも文章でも音楽でもよい、もちろんスポーツでもよい。なにかしら好きなことを職業にできる,少なくともその可能性を追求できる環境の整備が不可欠だと、私は考える。
補助金をいくら出せとか、そういう話ではなくて、職人芸とかプロの技術といったものに皆がもっと敬意を払うようにする教育、そして政策的には、若年層に対する福祉、とりわけ奨学金や就労助成金のようなシステムを拡充することが、日本経済再生への本当の王道だと、私は考える。
いかがだろうか。
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。