「もし私だったら」と想定しておくこと
為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)
最近面白いなと思うことがあった。数日前に起きた僕の友人のスキャンダルについて、インターネット上でよく見かけた意見は”あれは悪いことか、それともそれほどではないか”というものだった。要はことの善悪について話されているものが多かった。
ところが別の会合に出席した時、話題に上ったのだけれどその主な内容は”自分だったらどうするか”ということだった。実際にことの善悪や、それを自分がするかどうかはさておいて、もしそういう状況だったらどう振る舞うともっともダメージが少ないのかということが議論された。
昔とあるレースで失敗をした時に、しょぼんとしょぼくれかえっていると、当時仲が良かったアメリカのコーチが”Don’t surprise”と教えてくれたことがある。スポーツの現場では初めての状況に遭遇はするのだけれど、その時にそれが本当に初めての状況なのか、それとも事前に(完全には同じではなくても)その状況を頭の中でシミュレートしてあるのかで、まったく対応が違ってくる。
状況にでくわしてから考えているようでは間に合わないし、パニックに陥る恐れもある。それからはレースの前に事前に頭の中で入念に様々な状況をシミュレートしておくようにした。
元陸上自衛隊で第35代西部方面総監の番匠幸一郎さんと対談した時に、誰にでもできる危機管理について尋ねたら、”想定しておくことですね”とおっしゃっていた。例えば今後ろから襲われたら、どちらに逃げるべきか。出口はどちらの方向か。この高さであれば飛び降りても助かるか。そういうことを考えておくだけで、何かあった時の対応は違ってくるそうだ。
善悪がはっきりしすぎていて物事をそれだけでジャッジしてしまい、あれはよくないことだ→私はよくないことはしない→だから考える必要もない、となってしまって、考えることをやめてしまっている人がいる。ところが、まったく同じ状況はなくても、人生では(主体的に動けばだが)初めての状況や想定外の状況というのはよくやってくる。その時、役に立つのは”もし私だったらどうするか”と考えた形跡だと思う。
あなただったらどうする?と質問されて面食らったり、私はそんなことをしないから考える必要もないと言っている人は、日々状況を想定せずに生きている可能性が高い。想定する癖がない人は、初めて出くわすことが多くなり、出くわしてから考えるので、対応が後手後手に回る。主導権をそもそも握った経験すらない可能性もある。
あの人はなんでも答えられてすごいと思われている人も、膨大な思考の跡があるように思う。私も多少なりとも質疑応答をすることがあるが、その場で答えているのではなくて、過去に考えたものをファイルから引っ張り出すだけなんだということに気がついてから、質はともあれだいたい答えられるようになった。
陸上のレースでは9割がた勝負はスタート前にはついている。社会において難しいところはここからがレースですよというのがはっきりしていないことで、だから日々想定し続けるしかないのだと思う。
(為末大氏HPより)
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この記事を書いた人
為末大スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役
1978年5月3日、広島県生まれ。『侍ハードラー』の異名で知られ、未だに破られていない男子400mハードルの日本 記録保持者2005年ヘルシンキ世界選手権で初めて日本人が世界大会トラック種目 で2度メダルを獲得するという快挙を達成。オリンピックはシドニー、アテネ、北京の3 大会に出場。2010年、アスリートの社会的自立を支援する「一般社団法人アスリート・ソサエティ」 を設立。現在、代表理事を務めている。さらに、2011年、地元広島で自身のランニン グクラブ「CHASKI(チャスキ)」を立ち上げ、子どもたちに運動と学習能力をアップす る陸上教室も開催している。また、東日本大震災発生直後、自身の公式サイトを通じ て「TEAM JAPAN」を立ち上げ、競技の枠を超えた多くのアスリートに参加を呼びか けるなど、幅広く活動している。 今後は「スポーツを通じて社会に貢献したい」と次なる目標に向かってスタートを切る。