Brexit 「離婚」か「別居」か?
久峨喜美子(英国オックスフォード大学 政治国際関係学科博士課程在籍)
Brexitをかけたレファレンダム(Referendum:国民投票)の結果と共に衝撃の朝を迎えてから3日が経つ。ローマ市内の友人宅の窓から、イギリスでは決して得ることの出来ないであろうまぶしいほどの日差しが燦々と降り注いでいたのがなんとも皮肉だ。なぜならこの「離婚」によって、ヨーロッパへのリーゾナブルなホリデーも、ヨーロッパからの低価格の輸入品も、イギリス国民はこれまで通り得る事ができなくなるかもしれないからだ。
キャメロン首相の母校でもあるオックスフォードをベースとした私の友人、同僚や教授等のFB上での嘆きや新聞記事を観ていると、イギリスにとっていかにこの選択が間違っているのか、老世代や学歴の低い人々がBrexitから予想されるであろうリスクにどれほど無知で、それがいかに若者世代に悪影響を与えるのかなど、視点は様々であれ離脱に投票した人たちの無知に対する批判と恐怖が大多数を占めている。
しかし批判されるべきなのは本当にBrexitに投票した人々だけであろうか?オックスフォードというある意味特殊な環境にいながら、非EU市民である私がBrexitについて一番ショックを受けたのは、所謂イギリスの「エリート層」が住むと言われる土地の人々がいかにその他の地域に住む人々の声に無頓着で、彼等の政治的影響について楽観的であったのかという事実である。
Brexitは、単にイギリスのEUとの離婚を意味しているのではない。イギリス社会が昔から抱えていた多方面での複雑なギャップがBrexitを通して顕在化したにすぎない。例えばスコットランドがイギリスからの独立をかけて住民投票を行ったのも記憶に新しい。今回のレファレンダムでもスコットランドのどこの地域を見てもEU残留を希望している。こうしたイギリス国内での亀裂は南北の対立軸だけでなく年齢層によっても明らかだ。
しかしレファレンダムから時が経つにつれ、実際EUから離脱することなどできないのではないか、という見方の方が強くなっている。確かに市場での急落はレファレンダムの結果とともに世界中に衝撃を与えた。しかし未曾有の大戦を経験したヨーロッパが平和と共存を求めて培ってきた「関係」は、一度のレファレンダムであっさりと断ち切れるはずもない。
帝国というステータスを完全に失い、グローバリゼーションというダイナミクスの中で、イギリスも1973年の加盟以来、貿易、投資、自由移動、移民、訴訟、安全保障、そして何より民主主義や法の支配という政治的価値を、否が応でもEUと共有するよう努力してきたからだ。
ではこの「レファレンダム劇」の勝者は誰で、今後予想されるシナリオとはどのようなものなのか。レファレンダムの勝者は、決してEU離脱に投票した人々ではない。EUへ投資していた£ 350 millionをNHSに充てると宣言したイギリス独立党 (UKIP)のナイジェル・ファラージは、レファレンダム後あっさりとその宣言を撤回。
保守党ダニエル・ハナンはEUを離脱したところで今後移民の数が減る見込みがないことを示唆している。結局、離脱を求めていた人々が望む強い福祉国家を満喫することもなく、また見て見ぬ振りをしたい移民問題から逃げることもできない、という現状維持の状態に甘んじる他ないようだ。
初めから離脱をしたらどうなるのかという結果について曖昧であったこのレファレンダムで勝者がいるとするならば、それは離脱キャンペーンを成功させた同じく保守党のボリス・ジョンソンとマイケル・ゴーブかもしれない。しかし確かなプランもなく、今後彼らがEUとの交渉にどのように関わっていくことができるのか、疑問は大きい。
彼ら自身、Brexitをかけたレファレンダムの結果がどうであれ実際にEUとの関係を完全に断ち切ることはできないと知りながら、政治的に大衆の声を利用したにすぎないのだ。
この離婚劇の中で一番重要なのは、こうした劇の主人公らのほとんどがオックスフォード、そしてともすればイートン校出身者であるということだ。こうしたイギリス社会に根付いた階級と構造を根本から解決しない限り、大衆は彼らの劇の中で安易に踊らされることになる。今後のイギリスの行方は、ポンドの急落が示す通り明るいとは言えない。
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この記事を書いた人
久峨喜美子同大学政治国際関係学科博士課程在籍
慶應義塾大学法学部政治学科卒業同大学法学研究科政治学専攻修了英国オックスフォード大学、コンパス(COMPAS)訪問研究員 (2011-12)現在、同大学政治国際関係学科博士課程在籍(DPhil in Politics, The Department of Politics and International Relations, University of Oxford)