[為末大]遺伝子で「未来」は決まるのか?〜依存体質の人が「ギャンブル依存」になるか、それとも「勝利に依存してスポーツの英雄」になるかは紙一重
為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)
◆遺伝子からどの程度わかるのか◆
先日、テレビ番組で遺伝子情報から病気のリスクや子供の能力をある程度推察するという特集をやっていた。それを見ながらふと思い出したのは、オリンピック短距離選手の遺伝子を調べたら、長距離向きの選手が結構いた、ということ。
もしかしたら長距離をやっていたら更に大成していたのではないかという考えもできるけれど、10秒0近くで走る選手のバランスが、遅筋(遅筋:持久力を引き出すときに使われる筋肉)よりだとは少し考えにくい。そういうデータの話を聞いて、私は遺伝子情報はまだそれほど信じていない。
遺伝子でどの程度「未来」は決まるのか。アスリートにソシオパス(ソシオパス:反社会性パーソナリティ障害。他者の権利や感情を無神経に軽視するパーソナリティの障害。モラル欠如や不誠実さなどの傾向がある)が多いのではないかという話を聞いた。確かに勝利に向かって突き進む時、他人に大しての配慮や情がそれを阻害するときがある。
私が思うに、生来の性質は大きくは変えられない。けれどもそれをどういう風に活かすかはコントロールできると思う。依存体質の人が、ギャンブルに依存するか、それとも勝利に依存してスポーツで英雄になるか。紙一重な所がある。
遺伝子である程度わかるもの、遺伝子以外の要因が絡みすぎてわかりにくいもの、この二種類があるのではないか。プリミティブな陸上の短距離ですら、短距離向きの遺伝子ではない人がオリンピアンになる。要因はそれだけ複雑なのだと思う。
◆お騒がせした罪◆
つい先日とある弁護士さんとお話しした時に“最近、盛り上がる議論の事を「炎上」と呼ぶ人が増えていて、結局、有意義な議論が世の中から少なくなっている気がするんです”と言っていた。確かに賛否両論渦巻く議論も確かに「炎上」と呼んでいるきらいがある。
随分前になるけれど、両足義足のピストリウス選手がオリンピックに出た際、ドイツの研究機関が「義足は走行に有利である」という論文を出した。その後、義足は有利か不利かについて西洋諸国で議論されてる一方で、日本では彼がどれだけ苦労してきたかで話が展開していた。
そして最近、CMが抗議で自粛したり、テレビドラマからスポンサーから降りるという話もあった。振り返れば震災当時、スポーツをする事に対して相当なバッシングがあった。一番多かった言葉は“不謹慎だ”というものだった。つい“空気の研究”を思い出した。
よく有名人が謝罪をする際に、一言目は“お騒がせして申し訳ありませんでした”という。悪い事をしたからではなく「世間に波を立てた」という事を謝る。自粛の際もそれが法的や社会倫理面で悪かったと本人が思っているかどうかより、世間が騒いだから辞めるというものが多いように思う。
太平洋戦争の開戦を決める「御前会議」で反対意見が出なかった理由に“そういう空気じゃなかった”というものがあったという。大まかな「空気」の流れが決まっている時、それに反対する事は“お騒がせ”する事になる。騒がせる事は罪だからそこは黙っているしかない。
「炎上罪」、「お騒がせ罪」をさける事を、「リスク管理」と呼んでいたりするけれど、議論や一石を投じる事をしない社会は、全体主義の空気を帯びる。個人の危険を避けていった先に、全体として大きな危険の種を抱えてしまう。
一色の正義で染まった社会を全体主義と呼ぶのである。
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