警察・司法こそ「構造改革」が必要 自壊した日本の安全神話 その10
林信吾(作家・ジャーナリスト)
「林信吾の西方見聞録」
個人的な話で恐縮だが、某県警から通訳の仕事をしないかと打診されたことがある。これも個人的な事情で、お断りせざるを得なかったが。近頃は大都市に限らず、日本語が通じない犯罪者が摘発される例が増えていて、地方の警察も手を焼いているのだろう。もちろん、研修の名の下に不法就労させているとか、どちらかと言えば雇用主たる日本人の責任こそ第一に問うべき、という事案も少なくないのであろうが。
その話はさておいて、ここで私が言いたいのは、日本の警察機構が、グローバルな現在の治安状況に、もはやついて行けなくなっているのではないか、という危機感である。あまり知られていない事実だが、日本は、犯罪容疑者の引き渡し協定を、米国と韓国との間にしか締結しておらず、先進国の中でも際だって「孤立」している。
それ以上に、自治体警察の体制が改められておらず、複数の都道府県にまたがって、連続して起きた事件に関しては、捜査の進捗がしばしば非常に遅い。私は、日本版FBIを創設することで、こうした構造的な欠陥を是正できる、と考えるものである。
もともとFBI(連邦捜査局)とは、アメリカ合衆国特有の制度と考えられてきた。かの国では、なにしろ州によって法律が違うくらいなもので、具体的にはヒッチハイクが合法だったり非合法だったりする。当然ながら警察も州単位で組織されており、複数の州にまたがる犯罪に対処するのが困難であった。そこで、各地域で任命される保安官(今も警察署長はこう呼ばれることが多い)とは別に、大統領直轄の捜査機関を設けた。つまりは、建国直後からの歴史を持つのだが、現在の名称となったのは1935年である。また、彼らには捜査・逮捕権はあるが訴追権はない。
日本の場合、警察庁という官庁が置かれてはいるが、実際の警察活動は警視庁などに丸投げの状態で、多くの人が治安の悪化を憂えているにもかかわらず、警察官僚の権限ばかり肥大しているというのが実情だ。こういう状態を改めるには、警察庁直轄の捜査機関をまず設け、外国語堪能であったり法医学の知見を備えた捜査員を集中的に配置して、初動から広域捜査の態勢がとれるようにするのがよい。これがすなわち、日本版FBIというわけだ。
米国のように、起訴する権限を与えないという方法が本当によいか否か、即断はしかねるけれども、取り調べの可視化など、冤罪に対する抑止効果が期待できる制度改革は急がなくてはならない。同時に私は、旧来の自治体警察の良さも生かし続けるべきだと考えている。
これまで日本の警察の優秀さは、交番制度によるところが大きいとされてきた。地域に密着し、かつ警備の拠点が分散していることで、事件への初期対応が非常に早く、きめ細かいという長所は、たしかにあったろう。同様の制度を採用すべく動き出している国も、ひとつやふたつではないと聞く。
さらに言えば、こうした自治体警察と、新たに作られる中央直轄の捜査機関とが相互監視の関係にあることによって、綱紀をより厳正にする効果も期待できるのではないか。意地悪い見方をすれば、縦割り行政の弊害や派閥抗争などもあり得るが、それでもなお、得られるものの方が大きい、と私は考える。
前回、憲法改正を待たずして自衛隊の海外派兵(武力行使を認める以上、これは軍隊としての派兵以外のなにものでもない)の危険性を指摘した。しかし、日本版FBIの創設や、諸外国の警察との連携強化には、こうした問題が存在しない。
国民がより安心して暮らせる社会の実現という観点から、安保法制と警察機構の改革、どちらがより喫緊かつ重要なテーマであったか、自ら明らかではないだろうか。日本の安全神話は自壊した、と認めざるを得ない。しかし、再生の道がないわけでもないと私は思う。機密保持より情報公開。地域コミュニティーへの過信をやめ、司法と警察機構を改革すること。長期戦略の上に立った安全保障政策。
……これらが実現しさえすれば、だが。
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。