[為末大]幸福は多様で、勝負から降りた方が幸せな人もいる〜子供が砂遊びに夢中になるのは、それが立派な事でも成長につながるからでもなく、ただ楽しいから
為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)
◆才能の無駄遣いはもったいないのか◆
アスリートが若くして引退する時、“もったいない”という声が時々上がる。確かに誰もが持っているわけでもない能力をせっかく持っているのに、それを使い切らないのはもったいない気がする。その裏側には、「人はよりよくなる方がいい」という考えがあるように思う。
せっかく持って生まれた才能は、より高みにうまく為に使う方がいい。足が速いなら走った方がいいし、オリンピックに出られるほどの才能があるなら、続けた方がいい。けれども、実はここに大きく欠けている概念がある。それは「幸せとは何か」という事。
世界で勝負できると言われていた選手が20代前半で引退した。みんなが「もったいない」と言っていた。彼女が言ったのは“気がついたらテニスをしていて、続けていたけど、テニスが好きで勝ちたいのは、私じゃなくてお母さんだったという事に気がついたの”
世間には暗黙のうちに、勝つ事はいい事、才能を発揮するのはいい事、成長はいい事だという考えがある。そしてそれがいつの間にかそうなる事が「幸せである」とされている。でも、実際には人の幸福はもっと多様で、勝負から降りた方が幸せな人もいる。
意味があるものを、より効率的なものを。皮肉なのは、遊びには意味が無いという事。子供が砂遊びに夢中になるのは、それが立派な事でも成長につながるからでもなく、ただ楽しいから。そして夢中が多い人生は幸福感が高い。
何が立派かはわかる、何がすごい事かもわかる。わからないのは「自分は何が本当に好きか」という事。ある意味で、うまくいっているのに、早く見切れる人は「好きがはっきりしている」のかもしれない。
◆社会の為の夢と個人の為の夢◆
先日、ある研究者の方のインタビューが読売に掲載されていて、それがとても興味深かった。要約すると“偉大な成果の為にはあり得ないと思う事に多くの人がチャレンジする必要があるが、それは一方で多くの研究者が長期間成果を出せなくなる恐れがあり危険でもある”
アメリカ軍から見た第二次大戦中の日本軍の評価を書いた本があった。最も効いたのは特攻。個々人の命が確実に失われる事を想定した作戦を普通の国家であれば取れない。逆に言うとだからこそ効いた。日本軍の最大の強みであり特徴は人命軽視だと書いてあった。
社会全体から考えれば、リスクを取ってあり得ない事に挑む人が一定数いる中、一人偉大な事業を成し遂げる事は、「ほどほどが100ある」よりもいい事なのかもしれない。一方で挑んでいる個々人にとっては、それは人生を一定期間、棒に振る可能性を秘めている。
成果が出なくても好きな事をやれて幸せだろう。何かに取り組んだ経験は必ず生きるはずだ。確かにそういう面もある。でも、それで時期を逸した人もたくさんいる。取り組んでいる最中に10年それに費やす事で失われる可能性の話は誰もしてくれない。
崖がある。ロープをかけて登ろうとするがなかなか引っかからない。横に小道があり、Aはロープでの登山を続け、Bは小道に行った。どちらが先につくかわからない。どちらもただの手段。諦めない事にこだわる人は最初に行った手段をひたすらに続ける。小道を見ようともしない。
社会と距離を置き、手段とも距離を置き、自らのすべき事は何か、どういう手段を選ぶべきか、を考え抜く事が“諦める事”だと私は思う。
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