「不寛容の本質」を考えよう
Japan In-depth 編集部(坪井映里香)
「不寛容」という言葉を最近様々な場面で聞く。社会学者の西田亮介氏はそういった現代社会の「不寛容」さに焦点を当て、統計やいくつかの事例を用いつつ実態やメカニズムを分析した『不寛容の本質』という本を上梓した。
『不寛容の本質』のサブタイトルは、「なぜ若者を理解できないのか、なぜ年長者を許せないのか」。西田氏はこれがむしろ「メインのタイトル」としたうえで、若者も年長者もお互いに不寛容である、と述べた。その理由として、まず純粋に年長者、お年寄りが増えたことを指摘。「昔は長く生きること自体が珍しくて、長く生きた人だから尊重するというのがあった。でも今はたくさんいる。なので、お年寄りのポジションというのも変わった。単に長く生きているだけだと、それだけによって敬うというのは難しくなっている時代。」と述べた。
西田氏によるとこの本は、「不寛容の本質は、日々刻々と変化している、だが、我々の認識や社会の制度の変化は速度が遅い。習慣や会社もそうだが、昭和的なもので動き続けている。その間にはとてもギャップがあるということをいろいろな対象を扱いながら見ていく」ものであると述べた。
他の本との相違は、昭和の見え方は「年長世代と若年世代で二つの見え方」があり、かつ「対照的」であることを指摘しているところだという。年長世代の見る昭和というのは、ある種の「ノスタルジー」で、昭和の面影。特に昔のことはデフォルメされ、美化される。「昔はよかった。」というように昭和を見ている。
一方で現役世代の見る昭和は、古いものだからさっさと乗り越えようとされるが、良かった点もある、という認識。西田氏は昭和の一つの習慣として、「マイホームを買う」という習慣を例に挙げた。しかしそれは、正社員で35年ローンを組むことができるという前提で、「右肩上がりの給与体系とセット」である。非正規雇用も多く、将来が見通せない今の現役世代にとって「昭和的な選択を取ることができないというところもあるという図式」であり、若者にとっての昭和は「羨望の昭和」であると西田氏は述べた。
つまり年長者と若者、両者には「そもそも認識ギャップがあるうえに、その見え方というのが全く対照的なものになっている。」ということだ。昭和30年生まれの安倍編集長は、「ノスタルジーは感じないが活気はあった。」とした上で、「今の社会に閉塞感があると若者に思わせているのだとしたら、それは何とかするのは政府、もしくは年配の人たちの役割じゃないかと思う。若い人たちが閉塞感を感じている、社会は不寛容と思っている社会なんて絶対に住みやすくないし、発展していかないような気がする。」と年長者の責任を指摘した。
ここで、一般会計の税収のグラフを参照。一般会計の歳入というのは消費税・所得税・法人税の三本柱で形成される。ここ数年の税収は、「バブル期とほぼ同じ」である。西田氏によるとこれはつまり、「我々の個人や法人というのはそれほど儲かっている感じはしないけれども国というのはたくさん儲けている。」ということで、同時に国が「誰かから召し上げている。」ともいえる。「そもそも今こういう状態から消費増税するかどうかとか、そういうある種の決断のポイントにきているということを知ることが大事ではないか。」と述べた。
安倍編集長は、歳入も増えているが歳出も増えていて、両者の「ギャップが一向に埋まらないから、(税を)増やさざるを得ない。」という点も指摘。増えている歳出というのは、基本は社会保障費だ。このことから西田氏は、「現役世代にとってこの国は生きづらいと言える。」とした。
しかし、やみくもに歳出を絞っても解決しない。西田氏は、「年長世代の支出を増やすことは政治的にとても難しい」ことから、若者や生活保護受給者など「今苦しい人たちにそのしわ寄せがいくのではないかという気がする。」と懸念を示し、経済成長による解決を求めていた。安倍編集長は、「所得制限とかきちんともうけて、高齢だということでやみくもに社会保障費をばらまくのではない。」と社会保障制度の制度的な問題解決の重要性を示した。
こうした中、視聴者から「若者かわいそう論でいいのか」というコメントが寄せられた。それに対し西田氏は、「そうでもない。」と反論。著書の中の一節でもある、オピニオンリーダーの変遷を例に出した。西田氏は、以前は学者や物書きたちが「社会の言説をリードするという時代だったが今はそうじゃない。」と指摘。起業家やNPO、ベンチャー企業の経営者等がオピニオンリーダーなる存在になってきている、と西田氏は考える。筆者も同意し、その理由として以前のような、物を書く、ということによる発信だけではなく、「実践したりSNSで発信したりとアプローチが多様になってきたのでは。」と述べた。
西田氏は、今のオピニオンリーダーは、昭和は終わった、古い時代だからさっさと捨てろとあおる、それを今の学生をはじめとする若者は真に受ける、と考える。「具体的になぜどこがどう古いのか、今の状況がどうだからそのころの時代と決別すべきなのか、そういったエビデンスや問題点を理解せず、なんとなくあおられるがままに右に左に、あるいは不安になっているという部分がある。」と述べた。
つまり、西田氏の著書は、「『若者かわいそう』というのではなく、今我々がどういう時代なのか踏まえたうえで」、昭和の時代を捨てたり乗り越えたり、あるいは希求することを選択するべきだ、と若者にも警鐘を鳴らしているものとなっているという。
最後に、政治的な若者の変化についても言及。最近の若者は与党支持が多い、と言われている。学生運動の名残で、「若い人たちが政治にかかわるというと、反体制・反与党を応援するようなものだという固定観念」があったが、今はそうではないようだ。その理由は「政治の心象風景と関係しているのでは。」と西田氏は考える。
年長者は、とくに2000年代半ばごろ、「旧民主党による政権交代への期待感もあったしそれが身近」だった。一方で、その頃は「今の若い人たちが幼かったころ」だ。つまり、「民主党の期待を集めた時期の記憶が若い人は乏しい。」と西田氏は述べた。民主党の政権交代への期待感や高揚感を知らないからこそ、若者世代にとって野党への政権交代に現実性がない。同時に、「自民党的なものがどういう風に見えるかというと、ベストじゃないかもしれないけど、これはこれでベターなんじゃないかという風に見えているのでは。」と西田氏は考え、そこに見え方のギャップが存在するという。
こういった現状が見えていない政治家もいるそうで、「そこの現状認識をきちんと持たないと民進党も道を誤ってしまう。」と安倍編集長は述べた。
若者と年長者との認識のずれとそれによる行動のギャップ。この社会であらゆる世代が共存するためにはそういったギャップを知る必要があるだろう。
(この記事は、ニコ生Japan In-depthチャンネル 2017年2月8日放送の内容を要約したものです)
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「不寛容の本質 なぜ若者を理解できないのか、なぜ年長者を許せないのか」 /経済界新書 西田 亮介(著)
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この記事を書いた人
西田亮介立命館大学大学院先端総合学術研究科特別招聘准教授
専門は公共政策の社会学。情報と政治。慶應義塾大学総合政策学部卒業。同大学院政策・メディア研究科修士課程修了。同後期博士課程単位取得退学。同助教(有期・