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.政治  投稿日:2016/3/3

報道に対する「合法的統制強化」


西田亮介(東京工業大学准教授)

2016年2月に入ってから、政治からメディアに対して、矢継ぎ早に「要望」が発せられている。改めて、全体像を、時系列で簡潔に整理してみよう。

■ 2月4日

衆議院予算委員会にて民主党階猛氏が、自民党憲法改正草案における表現の自由の制限について、安倍政権に批判的なテレビキャスターやコメンテーターが次々と番組を降板しているが、民主主義の健全な発展にもマイナスではないかという主旨の質問を実施。

安倍首相は、言論機関が萎縮しているかのような表現があったが、全くしていないと反論。事例として「日刊ゲンダイ」の報道姿勢を紹介。

なお「日刊ゲンダイ」は日刊ゲンダイの自由な報道をもって、報道の自由全体が確保されているという主張はご都合主義的ではないかという主旨のコメントを公表。

■2月8日

衆議院予算委員会にて、高市総務大臣は、放送局が政治的な公平性を欠く放送を繰り返したと判断した場合には、放送法第4条に対する違反を根拠に、電波法第76条の規定に基づき電波停止を命じることがありうると発言。

■2月9日

高市大臣は、法律に、放送事業者が放送法に違反した場合、法的には総務大臣が放送法第174条に基づく業務停止命令や、電波法第76条に基づく運用停止命令を行うことができると法律には規定されているので、将来にわたって罰則規定を一切適用しないことまでは担保できないと発言。また増田総務大臣の答弁や民主党政権時代には、平岡副大臣の答弁と同様である点にも言及。

自民党と連立を組む公明党の山口那津男代表は9日の記者会見で、慎重な運用が望ましいという認識を表明。

■2月10日

民放産業で唯一の労働組合の連合会で約1万1千人が加盟するという、日本民間放送労働組合連合会が、「放送局に対する威嚇・どう喝以外の何ものでもない」と撤回を求める声明を公表。2月末までに、 第4条に「法規範性がある」と考える理由や「倫理規範ではない」と断言する根拠、昨年4月に自民党がNHKとテレビ朝日の幹部を呼んで事情聴取したことを放送法違反で厳重注意する考えはないかといった5項目についての回答を求める質問状を公開(http://www.minpororen.jp/?p=297)

■2月12日

閣議後記者会見で、各社報道記者が、相次いで、この問題について質問。それに対して、高市総務大臣は、放送法が定めたかぎりにおいて、「同一の事業者が同様の事態を繰り返し、かつ事態発生の原因から再発防止のための措置が十分でなく、放送事業者の自主規制に期待するのでは、法律遵守した放送が確保されないと認められる」場合に限定されると述べると同時に、放送法第4条違反を「命令」をした事例がないこと、行政の継続性の観点から、質問があれば法律について解釈すること、アメリカのFCC(連邦通信委員会)のような第三者機関型の放送行政については現状否定的な見解等を提示。

■2月24日

TBS社長の武田信二氏が、記者会見で高市大臣の発言を批判。

■2月29日

田原総一朗氏、鳥越俊太郎氏、大谷昭宏氏、金平茂紀氏、岸井成格氏、田勢康弘氏、青木理氏らジャーナリストが、高市大臣の発言に対する抗議記者会見を開催。報道の萎縮に対する懸念を表明。

これらの一連のやり取りを踏まえて、報道の自由が脅かされているのかどうか議論がなされている。法解釈の字面だけを追うと、確かに従来と大きな変化はなく、「脅かされているか否か」という問いはともすれば主観に依存しかねない議論になってしまう

そこで幾つか補助線を引いてみることにしたい。まず、日本の報道姿勢が、国外からどのように評価されているのか、その変化に注目してみることにしよう。

1985年に設立された、報道の自由を擁護、評価している世界的なNGO「国境なき記者団」の「世界報道自由度ランキング」で、日本は、2015年には過去最低の61位を記録している。2011年の東日本大震災と福島第一原発事故をきっかけに、2012年は22位、2013年53位、2014年には59位と低迷してきたが、2015年にワーストを記録している。

確かに世界報道自由度ランキングの評価方法についても一定の傾向があるが、民主党政権の時代から、第2次安倍内閣までほぼ一貫して順位を下げていることに留意すれば、この尺度をもってするとその過程で生じたメディア・イベント、とくにメディアと政治をめぐってのメディア・イベントが、日本の報道の自由を引き下げるものであると対外的に評価されていることは明らかである。

また報道の自由について、第4条の解釈、とくに政治的公平性と報道が事実を曲げないことという点の解釈をめぐって、議論がなされている。しかし、そもそも放送法の目的を記した、第1条には、以下のように、「表現の自由を確保すること」、「放送が民主主義の発達に資すること」などに言及がなされていることに留意したい。

(目的)

第1条 この法律は、次に掲げる原則に従つて、放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的とする。

一 放送が国民に最大限に普及されて、その効用をもたらすことを保障すること。

二 放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること。

三 放送に携わる者の職責を明らかにすることによつて、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること。

(以上、「放送法」より引用)

 

加えてそもそも日本の報道について、報道の自由を擁護する制度設計が弱いという指摘が諸外国のジャーナリストや研究者から繰り返しなされている。というのも、日本では総務省が放送事業者に対する許認可を行うが、放送事業者の中核事業の存続の可否に対して行政が強い影響力をもつことを意味するからである。

FCCなど政治から一定程度独立した第3者機関を設置し、報道と政治の独立を確保することで政治の報道への影響を排除しようとする制度設計と比較すると、やはり日本の現状では、報道は行政や政治の影響を受け易いものといえよう。

過去には、テレビ朝日の局長が政治的にコミットした発言をしたことがきっかけになって、テレビ朝日の放送免許の取り消しが議論されたこともあった。小泉内閣において、現在の安倍首相とNHKが番組制作過程をめぐって、軋轢が生じたこともあった。

したがって、確かに高市大臣がいうように、過去に電波停止が行われたことこそないものの、制度設計や、過去のメディアと政治の摩擦などを踏まえると、受け手である放送事業者や、その関係者からすれば十分に抑圧的に聞こえる理由はあるといえるだろう。言い換えると、外形的には法律違反とまでではいえない、その意味において合法的であったとしても、報道に対しての統制を強化する影響を招来しうる可能性について否定できる要素はまったくないといってよいだろう。

拙著『メディアと自民党』(角川新書)で詳しく論じたように、日本のメディアと政治の関係が、伝統的な「慣れ親しみ」の関係から、互いに影響力を行使しようとする「対立・コントロール」の関係に変化しようとしている。そのなかで、メディア、なかでも報道が政治に対して、従来とは異なった影響力を行使する余地というのは、まだ十分に残されているのではないか。

従来のメディア環境が変化したもとで、従来と同様の権力監視機能を果たそうと思えば、論理的にはその手法も変化しなければならない。制度の変更には時間がかかる。報道をめぐる制度設計は、より報道の自由を擁護するものに変更されるべきだが、当面は現状の制度のもとでということになるから、報道事業者における新たな可能性の探求について、いっそう期待したい。

もちろん、イギリスのサッチャー政権下で起きた、フォークランド紛争をめぐるBBCの批判的報道をきっかけとするメディアと政治の対立のように、必ずしもメディアが直近の勝利を得られるとは限らない。それでも、報道の自由、言論の自由は、成熟した民主主義国に共通する基本的価値である。市民自ら、その自由を手放す側に与する必要はない。ときの政治がメディアに対して、報道に対して、どのような態度をとったか、それを投票日まで意見表明しながら記憶し、投票行動に反映することが重要だ。

幸いにして、今夏には参院選も控えている。ただし、そのときに選択に値するオルタナティブがあれば、というかなり重たい留保の条件がついてしまうところが、現在の日本政治における選択の難しさではある。


この記事を書いた人
西田亮介立命館大学大学院先端総合学術研究科特別招聘准教授

1983年京都生まれ。博士(政策・メディア)。

専門は公共政策の社会学。情報と政治。慶應義塾大学総合政策学部卒業。同大学院政策・メディア研究科修士課程修了。同後期博士課程単位取得退学。同助教(有期・研究奨励Ⅱ)、中小企業基盤整備機構リサーチャー、立命館大学大学院特別招聘准教授等を経て、2015年東京工業大学に着任。『コロナ危機の社会学』(朝日新聞出版)、『情報武装する政治』(KADOKAWA)、『メディアと自民党』(角川書店)他多数。

西田亮介

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