陰謀説の読み方② 陰謀はいつもそこにあった
古森義久(ジャーナリスト・麗澤大学特別教授)
「古森義久の内外透視」
【まとめ】
・陰謀説の有名なものは、9.11の米同時多発テロ。
・米が非核三原則を守らず核を日本に持ち込んでいたとのスクープで自身も陰謀論に巻き込まれた。
・「IBM産業スパイ事件」も陰謀論で語られた。
陰謀とは英語ではconspiracy, 陰謀説はconspiracy theory である。欧米でも陰謀をめぐる論議や指摘は歴史上、長い年月、頻繁に起きて、何度も何度も繰り返されてきた。その意味では陰謀説の本場はヨーロッパであり、アメリカだといえる。
わかりやすい近年の実例としては、2001年9月にアメリカで起きたイスラム原理主義過激派のテロ組織アルカーイダによる同時多発テロの陰謀説がある。
極端な陰謀説は「あのテロ攻撃は実は時のブッシュ政権が仕組んだのだ」という内容だった。「実は特定のユダヤ人集団の陰謀であり、破壊された世界貿易センターにはあの日、ユダヤ人だけはみな出勤してこなかった」という陰謀説もあった。
歴史的に非常に悪名の高い陰謀説の実例としては「シオン賢者の議定書」というのがある。1890年代からロシアで登場し、西欧にも広まった文書である。内容はユダヤ民族が世界征服を計画しているという趣旨だった。いわゆるユダヤ陰謀説である。やがて偽書だと判明した。だがヨーロッパでのユダヤ民族への警戒や敵対を高めるという実際の効果があった。
日本を標的とした「田中上奏文」という陰謀説文書も有名である。
1920年代後半、時の日本の総理大臣の田中義一が中国征服から世界征服までの侵略的な意図を実際の陰謀計画にして天皇に上奏したという趣旨の文書だった。これまた完全な偽造だと判明した。だが中国側はこれを事実として宣伝し、国際社会での反日の勢いを高めることに成功した。
中国では私が北京に駐在した2000年の時点でもこの「田中上奏文」は高校などの歴史教科書に事実として紹介され、教えられていた。
このように陰謀説は欧米での歴史が長いのだが、日本でもその傾向はなかなかのものだと実感させられるにいたった。私自身が陰謀説の標的となり、被害をこうむる破目となったのだ。
私は1981年、当時、所属していた毎日新聞を休職し、アメリカの民主党系研究機関のカーネギー国際平和財団に勤務した。上級研究員という立場での一年間の研究活動の機会を与えられたのだ。その際の研究・調査のテーマは日米安全保障だった。
その研究の一環として私はエドウィン・ライシャワー元駐日大使にインタビューした。日米安全保障や日米同盟のあり方に対する彼の見解を詳しく尋ねることが主目的だった。するとライシャワーは私との長時間の一問一答のなかで「アメリカの海軍艦艇は日米両国政府の公式否定にもかかわらず長年、日本の港に核兵器を搭載したまま寄港を重ねてきた」と語ったのだ。
この発言は日本側の「核兵器は製造せず,持たず,持込みを許さない」とする非核三原則が虚構だったことを物語っていた。私が東京の当時の同僚や先輩たちと協力して、このライシャワー発言を毎日新聞で報道とすると、日米両国で大騒ぎが起きた。日本の非核三原則の「持ち込みを許さない」という部分は虚偽だったことを意味したからだ。
日本の国会でもライシャワー発言報道は取り上げられ、アメリカ側でも混乱が起きた。当時のアメリカではちょうどロナルド・レーガン政権が誕生したばかりだった。レーガン大統領は就任早々、ソ連との対決姿勢を打ち出し、米軍の大規模な増強を始めていた。
そんな時期の私の報道に対し日本側の一部では「ライシャワー発言はアメリカ側の陰謀なのだ」という声が起きた。その陰謀説は複数の日本のメディアで実際に活字にもなった。「日本の核アレルギーを減らすためにレーガン政権がライシャワーと毎日新聞記者の古森を使って意図的な報道をさせたのだ」という説だった。要するに全体がアメリカの陰謀なのだとする説なのである。
インタビューの当事者の私としてはまったく心外だった。ライシャワーには事前に質問や討論の内容は具体的になにも知らせていなかった。彼としてはなにがテーマになるかも知らなかったのだ。しかも民主党の年来の支持者であるライシャワーが共和党のレーガン政権と組むはずがない。
だがなぜか日本にいる一部の消息通は当事者の私が知らないことをみな知っていて「陰謀説」を堂々と述べるのだった。ただその「陰謀」を裏づける具体的な証拠を示す人はだれひとりとしていなかった。
その翌年の1982年6月、アメリカで「IBM産業スパイ事件」というのが起きた。アメリカ側の捜査当局が日立製作所と三菱電機の社員など6人を逮捕するという事件だった。日本側の6人がIBM社の産業技術の機密情報を盗んだという容疑だった。
本来ならスパイをしたとされる側の名称をとって「日立・三菱産業スパイ事件」と呼ばれるほうが理屈にかなっていた。だが日本側ではスパイの主体はあくまでIBMであるかのように響く名称をつけていた。
このときも日本側で陰謀説がどっとわき起こった。
「日本企業をアメリカ市場から締め出すための陰謀」
「日本側企業を狙い撃ちしたレーガン政権の陰謀」
「日米貿易摩擦での日本側をワナにかけた政治的な捜査」
こんな字句が実際に日本側の雑誌や新聞の見出しになった。もちろんそのような趣旨の記事が出たからである。
この陰謀説はどんな趣旨かといえば、同事件は単なる刑事摘発ではなく、レーガン政権の諸関連機関が一体となり、日本産業界に目をつけて、うまくワナにはめた政治的攻撃なのだ――という骨子だった。
この捜査にあたったFBI(連邦捜査局)が日本人容疑者に対しておとり捜査を実施したことが日本側のその種の「説」をことさらあおる結果を生んだようだった。
この陰謀説に従えば、アメリカ側では日本との貿易問題で中心となる通商代表部(USTR)がFBIと組んで、事前に周到な準備をしたうえで刑事捜査に踏み切った、というシナリオとなる。
私は当時、前述のカーネギー国際平和財団での研究活動を終えて、また毎日新聞のワシントン駐在特派員にもどっていた。このIBM産業スパイ事件ではすぐに舞台となったカリフォルニア州のサンノゼに飛んで報道にあたった。現地で各方面の取材にあたったが、いくら調べてみても、アメリカ側の「陰謀」を示すような事実はただの一つも出てこないのだ。
私自身の記者としての能力が不足しているからその陰謀の証拠をみつけられないのかもしれないと、謙虚に自省してみて、取材をさらに徹底させてみても、結果は同じだった。
一方、日本にいる「消息通」たちはどういうわけか太平洋のはるか彼方の陰謀を見抜いて、その趣旨を断言するのである。
(「③ロッキード事件の謎」に続く。全4回。毎日配信)
この連載は雑誌『歴史通』2017年1月号に掲載された古森義久氏の論文「歴史陰謀説は永遠に消えない」に新たに加筆した記事です。
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この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト/麗澤大学特別教授
産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。