現代社会の「単純化したい欲求」
為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)
【まとめ】
・現役時代、とあるトレーニングにはまった時、「真実を発見した」と感じたことがある。
・物事をシンプルに説明するモデルは人にとって救いとなる。複雑なものを受け入れるのは疲れるから。
・疲労困憊気味の今の社会で、端的に言い切るモデルが好まれるのも分かる気がする。
現役時代のまだ若いときに、あるトレーニングのモデルにどっぷりとつかったことがある。結局それは私にはうまくはまらずに、そのトレーニングをやめることになったが、今考えると、その時の心理は非常に興味深かったなと思う。大人になって友人に会ったら、私は事あるごとに”僕は真実を発見したんだ”ということを言っていたらしい。
人体は複雑である。右肩が痛かったとしても、右肩の問題なのか、左側に体重を乗せていることが問題なのかわからない。また頭と体も切り離せない。意味的には身体の中に脳は含まれる。物事は複雑に絡み合い、問題の原因は簡単にはわからない。常に何かを試し、変化を洞察し、自分なりに整理し仮説を立て、また試すしかない。そこに確固たる正解はなく、あると思っているならそれはすでに間違いの入り口に立っている。
最初このようなことを先生に言われた時、正直を言って、この人は知的ではなく勇気もないからはっきり言えないのだと思った。正解はこれであると言いきっている人の方がかっこよかったし、賢そうに見えた。今考えてみると、それは物事をしらなかったからだと言えるし、またただ頭がそのような複雑なものを複雑なまま捉えるという負荷に耐えられなかったとも言える。
何かをシンプルに説明することは大切だけれども、それは一旦このようなものにしておきましょうかという程度の意味にしか過ぎない。複雑な人間関係をそこにある石3つで説明するようなものだ。これが真実なんて思えないけれどもこうでもしないと理解できないし、伝えられないというのが近いと思う。そもそも言語を使うこと自体が、ある物事を切り取るので現実をそのまま表すことができない。
ところが、ある物事をはっきりとシンプルに示すモデルは強烈で、特に負荷に耐えられない人にとっては救いになる。必ず強くなるトレーニングがあると信じた方が負荷は軽いし、どこかに絶対悪があると思った方が負荷は軽い。複雑なものを複雑なまま受け入れることは、まず何より疲れるし不快感であることも多い。ああ、真実はそうだったのかと納得することは快楽でもある。
洗脳に関する本を読んだ時、洗脳をするときに効果的な状態は、睡眠不足、疲労困憊、孤独だと書いてあった。疲れるとやはりシンプルなモデルを受け入れやすいのではないか。最近社会全体が、疲労困憊気味で、孤独でもある感じがしていて、こういう時は端的に言い切るモデルが好まれるんだろうなと思ったが、考えてみるとずっとそうであったような気もする。
(この記事は2017年7月5日に為末大HPに掲載されたものです)
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この記事を書いた人
為末大スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役
1978年5月3日、広島県生まれ。『侍ハードラー』の異名で知られ、未だに破られていない男子400mハードルの日本 記録保持者2005年ヘルシンキ世界選手権で初めて日本人が世界大会トラック種目 で2度メダルを獲得するという快挙を達成。オリンピックはシドニー、アテネ、北京の3 大会に出場。2010年、アスリートの社会的自立を支援する「一般社団法人アスリート・ソサエティ」 を設立。現在、代表理事を務めている。さらに、2011年、地元広島で自身のランニン グクラブ「CHASKI(チャスキ)」を立ち上げ、子どもたちに運動と学習能力をアップす る陸上教室も開催している。また、東日本大震災発生直後、自身の公式サイトを通じ て「TEAM JAPAN」を立ち上げ、競技の枠を超えた多くのアスリートに参加を呼びか けるなど、幅広く活動している。 今後は「スポーツを通じて社会に貢献したい」と次なる目標に向かってスタートを切る。