洗練された基本のすごさ
為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)
【まとめ】
・すごい技ができる人は当たり前の行為のレベルがとても高い。
・行きつくところまで行けば全然違う世界がある。
・社会においての必殺技は、誰もが毎日行うことを全く違う次元できること。
【注:この記事には複数の写真が含まれています。サイトによっては全て表示されず、写真説明と出典のみ記されていることがあります。その場合はJapan In-depthのサイトhttp://japan-indepth.jp/?p=39921でお読み下さい。】
昔、水泳選手と話をしていてフォームの話になった。何気無くその選手がその場でほんのちょっと水を描く仕草をしたときに、肩甲骨から手先までの連動がなんとも言えない美しい動きをして、感動したことがある。
最近ようやく仕事がちょっとわかってきたところで、ある点を突き抜ける人とそうではない人は何が違うんだろうかと考えると、誰にもできないすごい技ができる人というより、みんなもやっているような当たり前の行為のレベルがとても高いのではないかと感じている。
例えばメールひとつとって、さらっと書いたように見えて無駄なものがひとつもなく、かつ足りないものもないメールを送ってくる人がいる。しかも、とても印象が良い。ある情報を伝えるという点において、メールなんてもはや誰でも使えるだろうが、それでも行き着くところまでいけば全然違う世界がある。
昔英語が喋れるようになりたいと思っていて、ああ喋れる人は羨ましいなとみんなを見ていたが、今めちゃくちゃながらも一応会話ができるようになってくると、ああ、英語ができるというのにはネイティブであってもさらに違いがあるのだなとわかるようになってきた。考えてみれば当たり前で、日本人でも村上春樹と一般人の言葉のレベルが違うように、喋れることは入り口でしかなくてその奥には深遠な世界がある。
▲写真 イメージ図 出典:Pixabay photo by Free Photos
これができるようになりたい。これができるんです。と言っている時、一体どの程度できるということを指しているのか。使えるようになりたいということか、うまくなりたいのか、それとも芸術的な域に達したいのか。それはどこまで行きたいのかに影響されるように思う。会社内で仕事ができるようになりたいのであれば、その程度の、世界で勝負したいのなら、その程度の、必要とされる技がある。
息子が戦隊モノが好きなので、必殺技をたくさんみるが、派手な必殺技を見ながら、社会においての必殺技は、誰もが毎日行うことを全く違う次元できることなのではないかと思った。1試合に数度出てくる必殺アッパーよりも、恐ろしく洗練されたジャブを何気なく繰り出す選手の方が私は怖い。
(この記事は2017年9月13日に為末大HPに掲載されたものです)
トップ画像:水泳選手 出典 Pixabay photo by KeithJJ
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この記事を書いた人
為末大スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役
1978年5月3日、広島県生まれ。『侍ハードラー』の異名で知られ、未だに破られていない男子400mハードルの日本 記録保持者2005年ヘルシンキ世界選手権で初めて日本人が世界大会トラック種目 で2度メダルを獲得するという快挙を達成。オリンピックはシドニー、アテネ、北京の3 大会に出場。2010年、アスリートの社会的自立を支援する「一般社団法人アスリート・ソサエティ」 を設立。現在、代表理事を務めている。さらに、2011年、地元広島で自身のランニン グクラブ「CHASKI(チャスキ)」を立ち上げ、子どもたちに運動と学習能力をアップす る陸上教室も開催している。また、東日本大震災発生直後、自身の公式サイトを通じ て「TEAM JAPAN」を立ち上げ、競技の枠を超えた多くのアスリートに参加を呼びか けるなど、幅広く活動している。 今後は「スポーツを通じて社会に貢献したい」と次なる目標に向かってスタートを切る。