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.国際  投稿日:2014/3/1

[青柳有紀]<HIVは特別な病気ではない>世界のHIV感染者の70%が集中するサハラ以南から


青柳有紀(米国内科専門医・米国感染症専門医)

執筆記事プロフィールWeb

 

「彼は内科医です。HIVに感染しており、抗HIV薬を服用していたという記録があるのですが、私たちがいくら尋ねても詳細を話そうとしません。動けなくなっているのを近所の人に発見されて連れてこられたのに、『膝が痛い』と言うだけで、それどころか、『俺はベテランの医者だぞ』と声を荒げて、私たちを追い払おうとさえします」。

当惑した研修医たちに連れられて救急室に向かうと、50代くらいの男性がベッド横たわっていた。髪や肌も清潔そうには見えず、こめかみや頬の筋肉が削いだようにこけている。

「アメリカの大学から派遣されて、この病院で教えている者です。お話を聞かせて下さい。どうされましたか?」

男性は、1週間前から続く両膝の痛みを訴えた。そして、自分が経験に富む医師であること、また、かつてはこの病院でも10年近く患者を診ていたことなどを、こなれた英語で話した。私が男性の同意を得てブランケットをめくると、筋肉がすっかり萎縮してしまった彼の両下肢が露になった。

「膝の痛みが始まったのは1週間前で間違いないですか。あなたの足を見るかぎり、少なくともこの数週間、場合によっては数ヶ月、寝たきりだったように思えます」

沈黙が暫く続き、やがて男性が口を開いた。

「君と二人だけで話せないだろうか」

私は研修医たちを、静かにカーテンの外に促した。

彼は8年近く前にHIVに感染している事実を知り、抗HIV薬も服用していたが、医師である自分が感染してしまった事実を受け容れることができず、やがて薬の服用は不定期になった。彼の体調は悪化の一途を辿り、免疫を司るリンパ球の数も減少していった。薬剤耐性のHIVが疑われ、異なる処方の抗HIV薬も試されたが、彼が指導された通りに薬を服用することはなかった。

数ヶ月前からは、食事の支度や身の回りのことをするのも満足にできなくなり、衰弱は一層激しくなったという。

「私の免疫機能は、もうかなり低下しているだろう」

私は、彼の言葉に明らかな「死への恐怖」を感じとって、しばらく返答に躊躇した。

「この病気は、根治すること(cure)はできなくても、治療可能(treatable)です」。

彼はずっと黙っていた。その後、私が治療方針を説明し、病棟に戻ろうとする時になって、「ドクター」と彼が私を呼び止めた。

“You are a wise man.(君は賢い男だ)”

サハラ以南のアフリカにおけるHIVの主要な感染経路は、異性間性交渉である。世界のHIV感染者の70%が集中するこの地域では、成人人口の10%以上がHIVに感染している国も少なくない。一方で、HIVに対する人々の認識は不十分なままであり、それについて率直に語ること(すなわち性について語ること)がタブーであったり、患者自身の病気に対する誤解や否定的態度、また患者に対する人々の無理解や偏見も依然として存在する。

これは医療従事者においても当てはまる問題であり、例として、患者の性行動に関する問診を避けたり、彼等への共感や寄り添う姿勢に著しく欠ける医師を目にすることもまれではない。

HIV感染者は、病気が進行する前に診断が行われ、適切に抗HIV薬による治療が開始、また維持されれば、非感染者とほとんど変わらない生活を送ることができる。これは、先進国と比較して医療資源が著しく劣るルワンダにおいてさえ事実であり、十分な教育を受けた医師にとって、HIVは決して特別な病気ではない。

私がここで対峙しているのは、病そのものだけでなく、それを巡る患者自身、および周囲の人々、そして医師たちの意識のあり方なのだと思えてならない。

 

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